手話通訳者のブログ

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手話は視覚言語である

2017-03-07 06:40:26 | 手話
今回は手話世界の本物の「主流派」たちに挑戦する。
主流派たちは大きな間違いを犯している。

障害者基本法で法的に手話が「言語」と認められるまで、言語と言えば音声言語のみだった。

手話が言語と認められた、この事実は、今までの常識が覆された、と言っても過言ではない。
コペルニクス的転換である。

それなのに、手話世界の研究者や学者の視点は旧来のままだ。
これが、奇妙な現象を引き起こしている。

戦後、グローバル化の大きな流れの中で、外国語を学ぶ人が急増した。
外国語を研究し普及させる過程では辞書が作られ、これを教材にして、多くの人が外国語を身につけてきた。
この流れ自体は自然なものだ。

しかし、これを何の考察もなく、手話の普及に応用しようとすれば、問題が生じる。
これが、主流派たちが犯している大きな間違い。

辞書を作ること自体はよい。
問題は、日本語を手話に変換しやすくするために、「手話を創っている」こと。
これは、間違いである。

かつて、英語を日本に広めていくために、研究者たちはどうしたか。
新しく言葉を創ったのか?
答えは「ノー」である。

全く言葉を創らなかったわけではない。
英語圏という異文化の言語を日本語に置き換えていく過程で、言葉を創る必要性に迫られることもある。
「愛」という言葉は、「love」という英語を翻訳するために「創った言葉」と言ってよい。
ただし・・・・
ここからが重要だ。
言語学者たちは、言葉を「創る」ことには非常に慎重だった。
一部の研究者たちが言葉を「創る」なんてことをやれば、大きな混乱を招きかねないからだ。
そして、生まれたのが外来語である。
英語をカタカナ表記にして、そのまま使用した。

手話世界に戻ろう。
「新しい手話」の乱発はひどい。
既に大きな混乱を招いている。

主流派たちよ、手話を創ることは、もうやめてもらいたい。