手話通訳者のブログ

田舎の登録手話通訳者のブログです。

親友との再会/厳しさとは

2017-03-13 07:12:23 | 手話
前回の続き。
Kは優秀な男で、栄転に次ぐ栄転でどんどん遠くに行ってしまい、なんと20年も会っていなかった。
積もる話がたくさんあった。

今月からKは隣県に転勤してきた。優秀な男はどこでも必要とされる。
早くも、隣県のろう協の新年度役員に内定しているらしい。


手話通訳者派遣制度に関して、問題だと感じていることは?
「人が育たない」
やはりね。どこも同じだ。育たない理由は?
「指導的立場にいる人たちが、人を育てることができていない」
例えば?
「ろう協の中心にいる者が、手話通訳者のミスを指摘するのはいいが、みんなの前で、攻撃的な言い方をする。あれでは、新人通訳者はやる気をなくしてしまう」
そうか。わしらの地域でも同じ光景を見る。
「厳しい、ということと、乱暴なことは全く違う。本当の厳しさを理解しない者は人を育てることができない」
さすが、大企業で部下を持って苦労しているKだな。本質的なところに気が付いている。


Kが3月から暮らすのが隣県なのが残念だ。
Kのような人材が、わしらの地域にも欲しい。



親友との再会/当日

2017-03-12 17:49:40 | 手話
Kが予約してくれた韓国料理店に先に到着した。店先の椅子に座ってKを待つ。20年ぶりだ。
Kが現れた。
20年前の、そのままのKが現れて、握手。
不思議な男だ。こいつは年をとらないのか・・・。
この20年、いろんなことがあった。
つもる話が山ほどある。

まずは、乾杯。
Kが発した最初の言葉は・・・・

「たいし、手話、うまくなったな」
・・・・・
「どうした? 腹でも痛いか?」
手話通訳者は、ろう者から“手話がうまい”と言われたらオシマイなんや。
「あのなあ・・・俺たち、お世辞やおべんちゃら言い合う仲ちゃうやろ?」


考えてみれば、Kの感想はごく当たり前かもしれない。
手話通訳者としての20年の積み重ねは大きい。
20年前と比べて、手話がうまくなっていても不思議はない。
いや、むしろ、進歩がなかったら、そっちの方が問題や。


この20年を取り戻すように、話し続けた。
手話通訳者として参考になる話も聞いた。
また、続きを書かせてもらお。




親友との再会

2017-03-10 06:58:46 | 手話
Kが転勤となり、隣県で働くことになった。
Kはろう者で、彼との出会いが手話との出会いだった。
もう35年のつきあいになる。
地理的に遠く離れていたため、もう20年ぐらい会っていない。久しぶりに、酒でも飲んで話そう、ということになった。
Kからメールがきた。

「たいし、店を予約しておこうか?」
うん、頼む。

この会話、もし、地元の主流派が聞いたら、
「ろう者に予約させるなんて! 聴者であるたいしさんが予約すべきでしょう! しかも、あなたは手話通訳者じゃないの!」
と怒るだろう。
しかし・・・
主流派たちは、ろう者と対等な関係を築いていないだろうと思う。

何がいけないのだろうか?
Kは大企業の幹部社員で、店の予約など日常的にやっている。

もしKが、「たいし、店の予約頼む」と言ってきたら、俺が予約する。
頼まれてもいないのに、でしゃばる気はさらさらない。



月曜男555/目を大切に!

2017-03-09 06:21:39 | 手話
http://szdi-center.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/555-ce56.html
うんうん、年齢的に、よーくわかりますな。
目の衰え・・・
年をとれば、あらゆる面で衰えてくるが、最も実感するのは、やはり目の衰えかなあ・・・



手話は言語である

2017-03-08 06:55:32 | 手話
ランクルさん、コメントありがとう。

>どっかからの通訳者のお偉方が来て、こんなことを言っていました。
>「国語辞典はあんなに厚いのに、手話ときたらペラペラ。私はもっと頑張って、厚くしたい」と。
手話と日本語を比較するなら、日本語の方が語彙が圧倒的に多い。
これは当然のこと。
手話が言語として劣っているから?
違う。
日本語の語彙が手話に比べてはるかに多い理由の一つが、書き言葉としての歴史の長さだ。

手話は書き言葉としての歴史が浅い。
こう書くと、主流派は反論するかもしれない。
「ラスコー洞窟の壁画をお前は知らないんか?」と。
あれば言語ではない。絵である。
主流派たちが研究して発表している通り、言語としての発祥は日本語よりも手話の方が古いかもしれない。
しかし、「書き言葉」としての発達は、比較にならないほど、日本語の方が発達している。

言語としての優劣を論じているのではない。
言語としての特徴を述べているのだ。


手話世界の主流派たち、もっと「言語」についての研究と考察を深めてもらいたい。
主流派たちは完全に専門馬鹿になっている。
視野が狭すぎるから、変な方向に進んでしまう。