一昨日の記事「どうして鏡は左右を逆に映すのに上下はそのままなの?」の答をみなさんは見つけることができただろうか?
以下がその答だ。
大事なことは「実は鏡は左右を逆に映していない。」という点だ。そして「上下も逆に映していない。」のだ。鏡がしていることは「鏡を正面から見たときに手前と奥を逆転させている。」だけなのだ。この絵を見ればよくわかるだろう。
鏡は左右も上下もそのまま映し、手前と奥が逆になっているのは紫の玉だけである。
それではどうして左右逆に見えてしまうのだろう?まずこの写真を見てほしい。
当たり前だが、本の表紙を鏡に映すと文字が「裏返し」に映っているのがわかる。
しかし、鏡に映すために私たちはどういう操作を行っただろうか?自分のほうに向いていた本の表紙を「上下はそのままに保ちながら、水平回転だけ行うことによって本を裏返し」鏡のほうに向けたはずだ。文字の左右が逆(つまり裏返し)に見えたのは、わざわざ自分でこのような水平回転操作をして左右の文字の位置を入れ替えたからだ。
そして鏡は裏返された表紙のイメージをそのまま垂直に反射して私たちに見せている。(そのとき私たちの意識にはほとんどのぼらないが、鏡の面に向かったときの「手前と奥の逆転」も行われている。)
本を鏡に向けるために裏返す方法には横方向に回す方法(水平回転)と、(本にとって)縦方向に回して逆さまにした状態で鏡に映す方法がある。(斜めの方向にも裏返せるが。)
もし、私たちが縦の方向に本を回して鏡に映していれば、鏡には文字の上下が逆転した形で本の表紙が見えるはずだ。ただし文字は「裏返し」であることに変わりはない。なぜなら私たちは本を裏返して鏡のほうに向けたのだから。このように見えるはずだ。右が私たちが鏡の中に見る本の表紙である。
みなさんはもうおわかりだろう。「鏡を正面から見たときに手前と奥が逆転し、左右や上下はそのまま映す。」という原則だけ覚えておけばよい。
金閣寺の写真で水面が、金閣寺の横方向ではなく「上下だけを逆転」させていることも、この原則さえ知っていれば不思議なことは何もない。文字は裏返ることに変わりはないが、左右ではなく上下の裏返しである。
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2015年10月2日に追記:
この記事はときどきアクセス数が急にアップするので、以下のことを補足しておきます。
今年7月に「鏡映反転――紀元前からの難問を解く」という高野陽太郎という心理学者の先生がお書きになった本が発売されました。先生はこの問題を心理学の立場から解説されています。けれども僕が書いたこの記事は「なぜ人間は左右反転に見えてしまうのか、そう認識してしまいやすいのか。」という心理学的な考察には踏み込んでいません。心理学的にこの問題があることは事実で、僕も興味深い問題だと思います。けれども僕はその分野には疎いので、その観点から記事を書くことはできません。
参考ページ:
「鏡の左右逆転 1種類ではなかった」
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_191101_01_j.html
【心理学】鏡の中で像が反転する現象(鏡映反転)を解明! 東大
http://world-fusigi.net/archives/8055607.html
鏡に映ると左右が反対に見えるのはなぜ?(日本心理学会)
https://psych.or.jp/interest/ff-21/
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2018年10月21日に追記:
NHKの「チコちゃんに叱られる!」という番組で、この問題が取り上げられていた。物理的(幾何的)には解明されているが、認知心理学的な観点では問題は解明されていないとしている。
その後、以下の解説動画がアップされていることを見つけた。僕の解説記事と同じことをビジュアルに解説している。ぜひご覧いただきたい。(誰か日本語で字幕をつけてくれるとうれしいのだが。)
Why do mirrors flip horizontally (but not vertically)?
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今回の問題とは話題がそれるが、鏡について次のような写真を見つけた。
その1:Christian DiorのPoison(ポワゾン)というかなり官能的な匂いのする香水の広告。鏡に美女が自分の姿を映している絵だが、遠くから見ると髑髏(どくろ)に見える。
その2:自分が太っていると妄想しているためにダイエットをやめられない不幸な女性。これは有名なCMだ。動画で見るほうがショッキングなのでこちらからご覧いただきたい。信じ込むとは恐ろしいものだなと納得させられてしまった。人の悩みや苦しみは単なる思い込みであることが多い。女性のみなさん、ダイエットには気をつけてくださいね!
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そのような状況でしたか。だとしたら違和感感じますよね。納得です。
最近のweb会議は各々1人で映るので自分の顔だけですが、昔のテレビ会議は、大阪と東京でそれぞれ複数人がテーブル挟んでいる雰囲気で会議していました。すると、声は右から聞こえるのにモニターには自分の左に映っているという状況になり混乱したのかもしれません。
> 自分が動く姿を映した動画を見たことがありますが、
> あれは違和感というより嫌なものでしたねぇ。できれば
> 見たくない映像でした。
まったく同感です。
テレビ会議での自分の顔に違和感は感じていましたが、最近はほとんど顔は映さず、会議資料を映すようになったので、違和感を感じずにすんでいます。要するに「慣れ」なのではないでしょうか。というのも写真で見る自分の顔には違和感を感じないからです。(もちろん鏡に映る自分の顔にも違和感を感じません。)
タイムラグのほうは経験したことがありません。ですが、自分が動く姿を映した動画を見たことがありますが、あれは違和感というより嫌なものでしたねぇ。できれば見たくない映像でした。
ブログ訪問ありがとうございます。
私には、これに付随して疑問があります。
それは、
https://ameblo.jp/ttl-nikomat/entry-12562423921.html
に記載しましたが、1つは、テレビ会議における、自分側のモニタの映り方問題です。記念写真だと違和感ないのにリアルタイムにみると違和感を持つのは私だけ?
もう一つは、タイムラグのある不思議な鏡です。
皆さんどう思うのか実験して欲しいものです。
ブログ記事を読ませていただきました。コメントありがとうございました。
答を2つご提示いただきましたが、同感です。どちらも正しいと思います。学校教育は、先入観につながり、将来にわたってものすごい影響力をもつと思います。
①鏡に映ったのを人や文字と感じる人は左右逆に
鏡に映ったのを像だと感じる人は左右はそのままとなる。
②小学校の教育でそのように洗脳された。
詳しくはURLをご参照ください
返信が遅くなり申し訳ございません。コメントが入ったときの通知に使っているgooブログのスマホアプリの仕様が変わり、通知に気がついていませんでした。
認知科学的な視点からのご意見を紹介していただき、ありがとうございます。被験者に協力していただくと、かなりのところまで検証することができるのではないかと思っています。
以前から疑問と私なりの理解していた内容を分かり易く解説して頂いている記事を読ませいただいて、思わずコメントいたします。
ほとんど私の理解と同じ(というか同意)なので、異論はなにもないのですが、「なぜ左右反転という認識が多いのか?」という点で思っていたことを参考までに書かせていただきます。
2018年10月21日に追記:の動画の最後の方に人間の左右対称性という話が少しでてきます。
Z軸反転は物理現象で、認知科学的には、なぜ?左右?という問題と思っています。ここには深くかかわらないという方針も理解した上で少し思ったことを書かせていただきます。
・鏡像と実物とどこが異なるか?と(左右か?上下か?など)考える時、通常は実像と鏡像を重ね合わせて違いを探します。ここで異なる部分がないか?どこか?が集約して左右が異なる、上下が異なるという認識になる。
仮説:
①非対象性が高い軸を(直立の人なら上下、前後)を保存して重ね合わせて違いを見る傾向にある。
②非現実的な変換を施して比較することはしない。
①は鏡の前の人を(想像上で)回れ右をして(左右反転)させて鏡像と比較して、左右が異なるねっと感じる。
②は鏡に前の人を逆立ちさせて、前後も左右も同じだけど、上下が異なるねっと感じたり、鏡の中に(想像上で)進んでいって上下も左右も同じだけど、顔の部分が高等部だから前後が異なるね。。とは感じない。
つまり(違いを比較する時の)対象物の非対称性/対象性の部分と、認識が関係していると思っています。
例えば泳いでいる錦鯉を鏡に映した場合(池の中に鏡があるとして)、錦鯉は、(どちらを向いていても)背びれと腹びれ方向と頭と尾の方向は非対称、左右(といっていたかどうか?ですが)の方向はほぼ対象なんで、非対称を保存して、重ね合わせて(人間は)比較しがちと思うので、もしウインクしている錦鯉がいれば、「あっ、左右逆だ」と認識します。鏡に平行して錦鯉が泳いでウィンクしていれば、鏡面に対して前後が逆なんですけどね。
カレイはどうでしょう?どのような泳ぎ方か知らないので(笑)お皿に盛られているカレイを鏡に映してみました(想像上で)。頭が左で尾が右。背びれが向うで腹が手前です。鏡を何処においてもいいですが、実像と鏡像を(想像上で)比較してみてください。普通の感覚では、背びれと腹びれが異なり、頭・尾、表・裏(白い方)は同じと思うのじゃないでしょうか?
左右か上下かというより、対象物の対象性の部分に依存して、感じ方が異なると思っています。
長々と失礼いたしました。
> 「本の文字を左右反転させている犯人は鏡ではない」
> で合っているでしょうか。何度もすみません。
はい、そのとおりです。
わかりやすい動画を探してみました。釈迦に説法かもしれませんが、ご紹介させていただきます。この動画の再生開始から2分経過したあたりからが重要だと思います。
鏡はどうして左右が逆転するのかを、わかりやすく一発解説|オブジェクション!の提案【ユーチューバー】
https://www.youtube.com/watch?v=hQvwJSZ1aHM
先の書き込みで、ここのページの主張を読めていなかったと思います。
「本の文字を左右反転させている犯人は鏡ではない」
で合っているでしょうか。何度もすみません。
はじめまして。コメントをいただき、ありがとうございました。
ホームぺージを拝見させていただきました。鏡映問題についていろいろ試されていらっしゃるのですね。
おっしゃるとおり心理操作を省くのは難しいことです。しかしながら、この記事では人間の心理の働きは無視するという前提で解説をしている次第です。
「左右反転」と思えるのは錯覚で、その錯覚ですら左右に限らない、という結論であっているでしょうか。
本の対角線を軸に回して鏡の方に向けると、(私には、)左右反転文字が書いてある本が、さらに横倒しになっている風に見えます。これは、私が上下を強く意識するからだと思うので、明らかに心理に惑わされています。
特別な訓練を受けていない限り、鏡像の見え方から心理を切り離すのは難しいと思うのですが、いかがでしょう。
コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり面対称ということになりますね。
> 先生の答えられない質問すると嫌われる
この問題に限らず、一般的にそう言えますよね。僕は小学生のとき「練り歯磨きやクリームは液体か固体か?」と担任の先生(若い女性)に質問して困らせていたことを思い出しました。
そうなのです。いまは物理・数学のブログ化しています。
鏡についてのこの記事を書いた2008年頃は地味なブログだったのですが、2010年頃から急にアクセス数が増え始めました。以下の記事でこれまでの推移がおわかりいただけると思います。
祝: トータル閲覧数1000万ページ達成
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/4ff26999742c350c0c6f0bb1858377bc
読者数が増え、大学の先生とかもお読みになっていることを知ったので、昔のように好き勝手なことを書かなくなりました。この鏡の左右についての記事も最初に投稿したときから何度も修正し、他の人へ配慮する形にしています。(最初に投稿したときは、理解できていない人を小馬鹿にしていると受け取られかねないブラックジョークが書いてありました。)
数式が苦手のようでしたら以下の記事のリストからお始めになるとよいですよ。
文系の読者にお勧めする理数系書籍リスト
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/7dee199fe31ca60820a4698e9e553cfe
> 面白そうなタイトルが並んでいるので、他の記事も拝見させて頂こうと思います。
ありがとうございます。最近書いたもので気に入っているのは、こちらの3回にわたる連載記事です。
宇宙の形、ガウスの曲面論と内在幾何(第1回)
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/80515a1627564b9d4f52883a270dc738
私も物理や数学が理解できるようになりたいと思い、時々本を買ってはいたのですが、さっぱりです。
もともと理系なのですが、数式に弱いのか読むのに莫大な時間がかかり、読み終えると1週間でほぼあとかたもなく消えてしまいます。
とはいえ、面白そうなタイトルが並んでいるので、他の記事も拝見させて頂こうと思います。
> そういう意味でも、ここのブログの説明はとても優れていると思います。
ありがとうございます!
> 偏見・盲点から解放されてしまえば、身体の反転や、さらなる問題についても、丁寧に考えれば自ずと答えにたどりつけるように思います。
そうなのですよね。僕の過去の経験では、この記事のように文字や写真で説明するより、目の前の相手に鏡や物を実際に見せながら説明したほうが理解してもらえる人が多かったです。(中にはそれでも理解できない人がいましたけど。)
世の中、いろいろな理解力、理解のしかたの人がいますしね。説明すればするほどこんがらがってしまう人もいるわけですし。
いずれにせよ、この問題の本質をつかむのに役立つのは文字の反転経験だと思っています。そういう意味でも、ここのブログの説明はとても優れていると思います。
偏見・盲点から解放されてしまえば、身体の反転や、さらなる問題についても、丁寧に考えれば自ずと答えにたどりつけるように思います。
議論の前に偏見からの脱却を確認しあう、それがこのテーマにおける鉄則のようです。
多幡氏のページの説明は長いですね。
この問題は、いろいろな方が書籍、ホームページ、ブログなどで説明を書いていますので、僕のこの記事のコメント欄でも、それらが紹介されたり引用されたりしがちです。
その説明の内容が正しいにせよ、間違っているにせよ、文章をお書きになったご本人を排除した形で議論がされるのはフェアではありませんから、なるべく判断を差し控えるようにしているのです。
また、もし仮にご本人から説明をしていただいても、それに反論したり、議論したりする時間がとれないということもあります。
①~⑤の分類や、文字と身体の場合分け等、もっとうまく論点を整理できるようにも思います。
しかし、②③以外には大した問題はないと思います。
と、何か偉そうなことを書きましたが、さきほど、ここのコメントで紹介されている下記を読んでわからなくなってきました。「広義の」鏡像問題に面白い点があるようなことが書いてあります。
多幡氏: http://www.geocities.jp/tttabata/mirrorcom.html
また読んでみましたが、
どうも、鏡像問題を専門家レベルにおいて混乱させているのはこの多幡氏だと思えてきました。
多幡氏は、自己の身体とその鏡像は物理的原理によって左右が逆転する、と言っているようです。
その理由として引用しているのが従属軸説です。要は左右が最後に決定されるから左右が逆転するのだということです。
これはある意味正しい。確かに身体の左右の定義も援用すれば、このとおりになるように思います。。
(身体の左右の定義とは、私が考えるに、原初的には、自分と考察対象の、頭-足、腹-背中を一致するよう重ね合わせた時に、自分の右手の方向を考察対象における右とみなす、といったものです)
しかし、そのような恣意的・非対称的な定義を離れれば、上下、左右、前後のいずれの逆転とも見なせます。(②)
(あるいは従属軸として、上下や前後をとってみればいい)
そして、ほとんどの人は左右逆転という解釈だけを偏愛している、という心理的プロセスが働いているわけです。(③)
ところが多幡氏は、「上下、左右、前後のいずれの逆転とも見なせる」ということに気付いていないようなのです。左右逆転だけが見出されるのは、恣意的な左右の定義に依存している、ということに気付いていない。つまり先の④の落とし穴にはまっているのです。
(実は、先の投稿の前に多幡氏の記事の冒頭だけを走り読みした結果、④を付加したのですが・・・)
多幡氏は、従属軸説の他に朝永やファインマンの文章も引用していますが、それでもなおかつ左右に関する先入観-偏見-固定観念から抜け出せていない。こういうのをイドラというのでしょうか?
はじめまして。コメントいただき、ありがとうございます。
①から⑤のように段階に分けて考えると整理できて、とてもわかりやすいですね。
特に僕の記事では④と⑤が抜けていますし。
この問題はなかなか理解できない方がいらっしゃるようで、コメントに対して返答に窮することがときどきあります。この記事にコメントが投稿されると「ドキッ!」とする時期が数年前までありました。
後は単なる応用問題と考えていいと思います。
ただ、習慣のせいだ、というところまで触れないと不十分かもしれません。
①鏡自体には、上下と左右の間での非対称性はない(奥行を反転させるだけ)。
②操作や想像において、水平回転すると鏡像は左右反転となり、垂直回転すると上下反転となる。
③現実的には圧倒的に左右反転となるのは、行動・思考習慣のせいである。
④また物体の左右の定義にも原因がある。
⑤そうした習慣や定義が形成された理由は、・・・・
ネットを見ると①の主張で終わっている人が多いようです。
しかし、②が本質であり、ここに気付かないとこの問題が解けたとはいえません。
②に気付けば、③に気付くのは容易です。
ただ、③に気付いても④に気付かず落とし穴にはまる人もいるようです。
(右手-左手、右前‐左前の問題)
あとは、下記のような点に注意すれば十分かと思います。
文字の場合:操作により、実際に実物と鏡像を見比べることができる。
自己の身体の場合:(写真を除くと)実物を眼前に見ることはできないので想像が関わる。物もそうだが、自身の倒立はさらに非日常的。
コメントありがとうございます。高野陽太郎先生の文章が掲載されたページをご紹介いただき、ありがとうございました。
僕自身も次のページを読んでみました。
http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=391282&lindID=5
文字が左右逆に見える理由については僕の記事でも説明していますが、その他の場合なぜ左右逆に見えてしまうかということについて理論をたてて検証する心理学実験なのですね。
僕の記事ではそのように心理学まで立ち入っていません。そのぶん「深く問題の本質を理解せずに」ということなのだと思います。
この問題についてはとりとめもない議論のやり取りになりやすく、自分自身が議論するために十分な時間を割けないことと、面識のない方との議論は非難合戦になりがちで僕の望むところではないため、とりあえずこの記事はそのままにして静観しているところなのです。
人気記事にこの記事が紹介されてたので、読んでみました!
ご存知かもしれませんが、ここら辺の問題で、最近
高野 陽太郎『鏡映反転――紀元前からの難問を解く』岩波書店
という本が出てるみたいです
(サブタイトルに若干危険な匂いがしますが、
出版社は岩波ですし、著者はこの分野の結果は
東大の広報ページ
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_191101_01_j.html
で紹介されてるので、
所謂「とんでも」では無さそうです)。
ぼくも今読んでますが、
やはりこの記事にあること(「鏡は前後を変える」、「鏡面に垂直な軸で反転している」)や
朝永先生などの解説をきちんと踏まえた上で、
「では何故左右反転に「見える」のか」
ということが問題の本質みたいです。
実は、ぼくは鏡映反転の本を見かけたときに、
「何でこんなことを今更考えてるのだろう」
と思ってましたが
(一応数学の人間なので、ここら辺のことは色々考えたことがあるし本も読んでたので)、
それはぼくが問題の本質を全く理解せずに、
調子に乗って専門家を過小評価してる恥ずかしい人間だったということで。
やはり誰かのを評価するときは、
自分の世界だけで考えずに、
ちゃんとその人の主張の本質を見極めないといけないのだな、と猛省しました。
いえ、どういたしまして。他の記事に対してもときどき「ご批判」のコメントをいただくことがありますが、それも「ご鞭撻」と考えてもよいのだろうと思って、できるかぎり公開承認することにしています。公開承認しないものは「他人を批判するコメント」や「乱暴な言葉づかいのコメント」、「意味不明のコメント」、「記事の内容と関係ないコメント」などが過去にありました。
さて、ご質問にお答えしたいと思います。面白いご質問だと思いました。
>「斜めの方向に裏返した」場合、
> つまり、表紙がこんな状態 ◇ で映っている場合> は、
> 上下が逆転してるんですか?
> 左右が逆転してるんですか?
上下が逆転とも左右が逆転ともいえません。強いていうならば「斜め方向」が逆転しています。
斜めにも30度とか45度とかありますから正確にいうと30度斜めの方向について逆転しています。のようになりますね。
たとえば人が横たわるとき、床に対する角度は0度ですが、立っているときは90度です。逆立ちすればー90度です。そのとき斜め45度に立っている人を見かけたときに「立っているか」、「横たわっているか」のどちらとも言えませんよね?これと同じような感じです。
> 「横方向に回す方法」で映っている状態 □ から> → ◇ → 「縦方向に回して逆さまにした」状態
> □ まで、
> じょじょに回転させていったら、一体どの段階で> 「左右が逆転」と「上下が逆転」が入れ替わるん> でしょうか?
これも上の質問と同じことです。
この説明でおわかりでしょうか?
あと、別の説明ではこうなります。
人はうなづく(肯定)するとき頭を上下に振ります。否定するときはイヤイヤする感じで左右に振ります。でも変な人がいて右斜め上と左斜め下のほうこうに頭を振っているとしましょう。その人は肯定の返事をくれているのでしょうか?それとも否定?
どちらでもないですよね。ご質問いただいた内容はそのようなことだと思います。
(てっきり無視されるものと思っていました)
でも、あらためてツッコマせていただきます。
> 文字の左右が逆(つまり裏返し)に見えたのは、わざわざ自分でこのような水平回転操作をして左右の文字の位置を入れ替えたからだ。
> 本を鏡に向けるために裏返す方法には横方向に回す方法(水平回転)と、(本にとって)縦方向に回して逆さまにした状態で鏡に映す方法がある。(斜めの方向にも裏返せるが。)
> もし、私たちが縦の方向に本を回して鏡に映していれば、鏡には文字の上下が逆転した形で本の表紙が見えるはずだ。
> みなさんはもうおわかりだろう。「鏡を正面から見たときに手前と奥が逆転し、左右や上下はそのまま映す」という原則だけ覚えておけばよい。
では、とねさんも書かれている、「斜めの方向に裏返した」場合、
つまり、表紙がこんな状態 ◇ で映っている場合は、
上下が逆転してるんですか?
左右が逆転してるんですか?
それに、
「横方向に回す方法」で映っている状態 □ から→ ◇ → 「縦方向に回して逆さまにした」状態 □ まで、
じょじょに回転させていったら、一体どの段階で「左右が逆転」と「上下が逆転」が入れ替わるんでしょうか?
はじめまして。コメントいただき、ありがとうございます。
貴重なご意見をありがとうございました。
今後、同様のご批判、ご鞭撻をいただかないようにするためにも、記事中の文面を修正させていただきました。
また、この箇所で引用していたシンポジウムのページはすでにリンク切れになっていましたので、同じ学会のホームページからこのテーマに関する解説ページをリンクしておきました。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
主さん、あなたが嘲笑する人たちよりも、貴方自身の方が、はるか手前で「思考停止に陥っている」のに気付きなさいな。
記事の内容と比較して、とてつもなく難易度の高いコメントをしていただきましたね。(笑)
他の読者の方のために「パリティの非保存=パリティ対称性の破れ」についてのリンクを書いておきます。パリティが保存されるとは鏡に映したときも物理法則が変わらないということです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E5%AF%BE%E7%A7%B0%E6%80%A7%E3%81%AE%E7%A0%B4%E3%82%8C
量子力学の範囲では確かにパリティは保存されますね。
僕もパリティ対称性の破れが理解できるほど勉強は進んでいませんから、kafukaさんと共にこれからも頑張って学んでいきたいと思います。
波動関数が、相互作用によって、どうユニタリー発展してもパリティは、保存されるからです。
啓蒙書では、パリティは保存されないが、
CPTは、保存されるからいいのだ
で、済ましてますが、
僕は、波動関数がどういう形式の時間発展すれば、パリティが保存されなくなる
のかに興味があります。
こちらこそ、大変ご無沙汰しております。以前やりとりをしていたのは、まだ寒い季節でしたね。今年も猛暑やらゲリラ豪雨やらで大変です。
kafukaさんのおっしゃっている「刷り込み」のことは正しいと思いますよ。「方向」という意識はまず「左右」が優先して意識にのぼっていますし。
「僕の解答」についても、まったくkafukaさんがおっしゃるとおりです。
それでも、この問題を普段お付き合いしている理数系とは全く関係ない知り合いに尋ねると、ほとんどの人が答えられないんですよね。
無作為に聞いたとして正答率はどれくらいになるのか興味があります。
>左右の逆転として認識されるのか。
>が問題です。
方向感覚が自分自身を基準にしかできない(東西南北という感覚のない)
ヒトの幼児の頃から映った像が、
刷り込まれる からではないでしょうか?
つまり、右手を挙げれば、鏡の中の「自分自身」は、左手を挙げている
という認識が刷り込まれる のでは?
僕の解答?は、
鏡を東西方向に置いたとして、
西側の手を挙げれば、鏡の中の像も西側の手を挙げます。
これで、左右方向の逆転でないことがわかります。
北へ進めば、鏡の中の像は、南へ進みます。
つまり、前後の逆転です。
いろいろ考えていらっしゃいますね。「禾へんのポーズ」とか「蟹の一種のように」のような言い回しを読んでいると、僕のほうも楽しくなってしまいますね。
そうでなのです。「向き」のことだけに注目すれば、みちさんが思いついたように「影だ!」ということで正解です。人間の場合も、蟹の場合も錯覚ではないですよ。科学的にもおかしくないです。半透明の人間や半透明の蟹になって鏡の前に立って後ろからライトで照らしてみればわかりやすいですよね。その場合は鏡じゃなくても白い壁でも同じことになります。
実は自分もこの問題が気になっていたのですが、文系なので釈然としませんでした。
このサイトで色々考える事で少し解ってきたのでとても嬉しいです。
もう少し考えて見ましょう。
鏡の前に立って、後ろからライトを背中に当ててみましょう。
すると鏡に自分の影ができます。
この影の形と、鏡に映った自分の外側の形を比べると
大きさは違っても同じ形です。
又体を動かしても同じ動きをします。
ということは、鏡にうつっている自分は実は
後ろから自分の背中を見ているということなんです。
ちなみに「禾」と言う字を紙に書いて
正面から読めるように持つと、影は鏡文字になっています。
これも自分の後ろから紙を見ると、紙の後ろから文字を見る事になるので、
鏡も字に見えると思います。
ですから、鏡の自分を見た時は「鏡文字」の自分を見ている事になるのです。
では何故鏡の中の自分は左右逆に見えてしまうのか?
これは体が左右対称なので後ろから見ているにもかかわらず前からみているように
錯覚してしまうので、日常相手と話している時の感覚になってしまうのではないでしょうか?
もし蟹の一種のように、(仮に)右手だけがすごく大きいとすると
鏡の中の相手が本当にこちらを向いているのなら向かって左側の手が大きくなるはずです。
しかし鏡の中の相手は右側が大きいので相手が対面にいるという錯覚はなくなり、
自分の「影」が映っているのだと感じるのではないでしょうか?(錯覚は起こらない)
これは自分の思い込みですので科学的にはおかしいかもしれませんね?
感覚としてはこんな感じで納得しました。
みなさんお元気で。。
おはようございます。
「禾へんのポーズ」という言い方が可笑しかったです。右手で敬礼することなのですね。
みちさんに今回ご説明いただいたことは正しいですよ。自信を持っていただいて大丈夫です。
「相手 - 自分 - 鏡」の順番に並んだとします。右手で敬礼しながら相手を見ると、相手から見るみちさんも、鏡の中のみちさん(背中が映っているわけですが)も禾へんのポーズをとって見えます。
今度は道さんが「回れ右」をして鏡のほうに向いたとします。そうすると相手から見るとみちさんは背中を向けた状態になります。相手からみちさんを見ると禾へんの鏡文字に見えますし、鏡の中のみちさん(お腹を向けた状態)も禾へんの鏡文字に見えます。
どうして鏡文字になったかというと、みちさんが自分で回れ右をして180度回転したので自分の左と右を逆転させたからですね。
はじめまして。コメントいただき、ありがとうございます。
> つまり、頭と足がある事によって上下というものさ しができて、結果左右の錯覚が生まれたと思います。
それでは、そのまま横に寝っ転がって(つまり体を90度回転した状態にして)みても、鏡文字は鏡文字のままになりますが、そのことはどのようにお考えになりますか?
ここで実験。ダンボールで絵を描き体に貼り付けてみます。頭の部分に右手、足の部分に左手、左手に頭、右手に足のダンボールを貼り付けてみましょう。ちょうど体が90度左へ傾いた状態です。でも右手部分のダンボールには穴が開いているのでそこから鏡を見ることができます。すると今まで頭が映っていた所には右手がありますよね、それを動かすと鏡では左手を動かしているように見えます。つまり、頭と足がある事によって上下というものさしができて、結果左右の錯覚が生まれたと思います。
今回は「いい回答」ということでうれしいです。
でも、2ちゃんねるに引用されるのは恐ろしいですねぇ。(笑)
http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51284202.html
ここでいい回答だとして紹介されていますお
この記事はどこか目立つところに引用されたらしく、昨日から急にアクセス数が増えているようです。
自分自身は理解していますが、これを誰にもわかるように説明するというのは難しいなと改めて思いました。
思考停止になっていませんか?とご指摘を受けたところも「左右」という言葉を使って説明したため、読み手には伝わりにくい表現になっていたと気がつきましたので、若干文章を手直しさせていただきました。アドバイスいただきありがとうございます。
前後の逆転であることはわかっていて、それがなぜ左右の逆転として認識されるのか。
が問題です。
前後が逆転されるから、という答えを覚えたところで思考停止していませんか。
この記事に対する異論とご意見という内容ではありましたがコメントをいただきありがとうございました。
記事のほうで引用したシンポジウムのほうは「認知学会」による主催ということを考えると「心理学的にどうしてこの問題が難しく思えるのか?」というのがテーマなのですね。そうであるならば僕にもこの会の意味はあると思えました。
鏡は左右逆に映すのに~と問う人に、鏡映を散文的に説明して納得が得られるかというと難しいのではないでしょうか。
というか諸先生方は幾何学が分からないからシンポジウムをひらいてる訳じゃないですよ。筋違いに馬鹿にする態度はあまり宜しくないと思います。
確かに小学校で鏡の映り方についての授業がありましたよね。僕も習った覚えがあります。
「鏡像=左右逆転」という固定観念が正しい理解を邪魔してるんでしょうね。それでもなおあらためて理由を考えてみてください、と言ったとき正解を見つけられない人が多いのが不思議です。
僕も身の回りの10人くらいの人に質問してみたのですが、正しく答えられる人は1人もいませんでした。
本来の興味の主題は「多くの人が、軸とは関係ない要素で逆転していると心理的に誤って認知してしまうのは何故なのか」かと思うのですが、それ以前の問題でいまだにウンウン唸ってる人がそれほど多い(のと、この2つの問題が分離できていない人が多い)という事自体に驚きです。
コメントありがとうございます。
> 「定説が無い」
> と書かれているので
> 驚いてしまいました。
僕もあっけにとられてしまいました。
> とねさんはすでに見られたかもしれませんが。
> このようなページがありました。
> http://www.geocities.jp/tttabata/mirrorcom.html
このページも僕は読んでいました。こんなにいろいろな説があるのかなぁと不思議に思いながら。。。そんなに難しいことじゃないと思うんだけどなぁ。。。
興味深いですね。
一応、前後のみの反転で理解していたんですが、
それの確認をこめてもう一度考えてみます。
とねさんが紹介されているシンポジウムによると
「定説が無い」
と書かれているので
驚いてしまいました。
定説がいまだ無いのが本当なのか、それとももうとっくに
すんでしまったことに頭を悩ましているのか?
とねさんはすでに見られたかもしれませんが。
このようなページがありました。
http://www.geocities.jp/tttabata/mirrorcom.html
朝永先生のその本、読んだことありませんでした。どうしてこの鏡の不思議について思いついたかは思い出せません。たしか会社で仕事中に漠然と不思議に思ってネット検索したのがきっかけかと。。。
「ボタンの合わせ」も説明のためにはわかりやすい題材ですね。記事を書くにあたって、どういう題材を選んだらよいかと数日僕は考えました。詳しく説明すればするほど文章も長くなって、余計にわかりにくくなることに途中で気がついて、文章をどんどん削っていったらこういう感じになりました。
> お互いあそこまで、量子力学を勉強したいですね。
そうですよね。同感です。それにしても、最近「積読」状態の本が増えてきたので、新しい本を買うのを控えているところです。明らかに自分が読めるスピードを越えた冊数を買っていましたので。(ちくま学芸文庫から最近いい本が増えてきましたし。)
面白い投稿ですね。
ところで、多分とねさんは、朝永振一郎の「鏡のなかの世界」というエッセイも参考にされて、この投稿をされているのでしょうから、敢えて書かなくても良いとは思ったのですが、朝永さんは重要な指摘をしていますよね。
それは、鏡に映った自分の自画像を描くと、ボタンの合わせが左右逆になるということです。
とねさんの言うように、手前と奥を逆転させているのだ、という説明だけでは、ボタンの男合わせと女合わせが入れ替わるのは、余り上手く説明できないのです。
逆転している、自画像を見たとき、人はやっぱり、左右が逆になっていると、感じてしまうのです。
実際には、キャンバスの中の自分の前後が入れ替わっているのですが、言葉として「右合わせ」「左合わせ」と言っている以上、表現がそれに従ってしまうのです。
後、朝永さんが最後に指摘している、パリティの非保存につての話題は、以前から私は興味を持っているのですが、まだ勉強がそこまで行っていません。
お互いあそこまで、量子力学を勉強したいですね。
それではまた。