とね日記

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アインシュタインここに生きる: アブラハム・パイス

2019年05月16日 17時14分05秒 | 物理学、数学
アインシュタインここに生きる: アブラハム・パイス

内容紹介:
晩年最も身近にいたパイスが、新しい発掘資料やこれまでに知られていないエピソードを盛り込んで描きあげた、人間アインシュタイン像。前著『神は老獪にして…』の姉妹版。

2001年3月刊行、427ページ。(原書は1994年4月1日刊行)

著者について:
アブラハム・パイス: Wikipedia
1918‐2000。ユダヤ系オランダ人としてアムステルダムに生まれる。アムステルダム大学、ユトレヒト大学で物理学を学ぶ。1941年、博士号を取得した直後、大学からのユダヤ人追放令にともない潜伏生活に入り、ドイツ占領下の苛烈な時代を辛うじて生き抜いた。戦後ただちにデンマークのニールス・ボーア研究所に留学し、ボーアの助手を務めた。1947年渡米し、アインシュタインのいるプリンストン高等研究所所員となる。1956年、米国籍取得。1963年以降、ロックフェラー大学教授、この間、優れた素粒子論研究者として大きな業績を収めたが、1970年代には、現代物理学史に転じ、自らの研究生活と豊かな交友経験にもとづく多くの著作を書いた。

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理数系書籍のレビュー記事は本書で412冊目。(アインシュタインの伝記なので理系本としておこう。)

先月はじめにアインシュタインの研究や思想に光を当てた最初の伝記「神は老獪にして…: アブラハム・パイス」を紹介した。アインシュタインの伝記本ではいちばん詳しく、信頼できる本である。

しかし、この本は博士の研究を解説するだけに数式が多いので物理学科の3年生以上でないとすべてを理解することができない。この本が刊行されてからおよそ10年後、新たに発見された資料をもとに「人間アインシュタイン」にフォーカスした同じ著者による姉妹本が刊行された。「アインシュタインここに生きる: アブラハム・パイス」である。

アインシュタインの最晩年まで秘書をつとめたヘレン・ドゥーカスは博士の死後、論文や資料を整理、管理し続け1982年に亡くなった。「神は老獪にして…: アブラハム・パイス」の原書はその前年に刊行されたのである。パイスはアインシュタインの死後もヘレンと交流を続け、この姉妹編に盛り込まれた資料を参照させてもらっていた。

姉妹編は、数式がまったくないのでどなたでも読むことができる。日本語版は縦書き本である。章立ては次のとおりだ。

第1章:「アルベルト・アインシュタインの陰で」
第2章:ボーアとアインシュタインについての考察
第3章:ド・ブロイ、アインシュタイン、物質波概念の誕生
第4章:アインシュタイン、ニュートン、そして成功
第5章:素人のための相対論の短い説明
第6章:アインシュタインはいかにしてノーベル賞を獲得したか?
第7章:ヘレン・ドゥーカスの思い出
第8章:『おかしなファイル』からのいくつかの例
第9章:インドとの関係―タゴールとガンジー
第10章:宗教と哲学におけるアインシュタイン
第11章:アインシュタインと新聞


第1章は家庭人としてのアインシュタインが紹介される。夫として、そして父親としてのアインシュタインは模範的と呼べるものではまったくなかったこと、最初の妻ミレーヴァとの結婚生活は不幸だったこと、そしてリーザルという私生児が生まれてその後の消息が不明であることが紹介され、本書はスキャンダラスなゴシップ記事のような出だしで始まる。博士と長年親交のあったパイスだからこそ書くことを許される内容だ。

第4章と第6章は「神は老獪にして…: アブラハム・パイス」にも含まれ、重複している。

アインシュタインが世界的に有名になったのは1919年11月である。現代では科学に関心がない人であっても、アインシュタインの名前を知らない人を探すのは本当に難しい。たとえ相対性理論を知らなくても博士個人がこれほど知られているのは、1919年に始まり現在まで続いているマスコミによってつくられたイメージと宣伝効果によるものだ。そして博士自身はそれを楽しんでもいた。世間一般の間での知名度はアイザック・ニュートンとほぼ同列であろう。

著名人であるからこそ避けることができないのが、無知な大衆からのファンレター、おせっかいな手紙、迷惑メールである。現代のツイッターでいえば「クソリプ」のことだ。6歳の少女からは「博士のもじゃもじゃの髪の毛は切ったほうがいいですよ。」という手紙まで受け取ってしまった。この少女が生きていれば現在74歳だ。秘書のヘレン・ドゥーカスは、そのようにどうでもよい手紙すべてに整理番号をつけて管理していた。博士の目に触れたかどうかはわからないが、現在は論文と一緒にヘブライ大学で管理、保管されている。

本書には「クソ手紙」が年代別にこれでもかというほどたくさん紹介されている。見開きで2か所ほど紹介しておこう。(その他の手紙はこちら。)

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面白く読めたのはナチスドイツの迫害から逃れるために、海外を訪問したときのこと。訪問先によっては歓待されることもあれば、政治的な理由や人種的な理由で一部の民衆から攻撃を受けることもあった。アメリカへ移住してからのアメリカ国内旅行、海外旅行の記述も興味深く読むことができた。

1922年11月17日から12月29日の43日間、43歳のアインシュタインは日本に滞在した。博士は次のページで紹介されているようにいくつかの大学で講義をし、各地で大歓待を受けた。長岡半太郎57歳、寺田寅彦44歳、仁科芳雄32歳、朝永振一郎16歳、湯川秀樹15歳である。25歳だった天文学者の荒木俊馬が歓迎の挨拶をした。その後、荒木は京都大学助教授時代にドイツへ2年半留学し、アインシュタインに直接教えを受けた。

時は戦前。来日したアインシュタインを感動させた神秘の国ニッポン
https://news.goo.ne.jp/article/mag2/nation/mag2-242620.html

まじかよ…実はあの偉人たちも、日本滞在を満喫してたw
https://matome.naver.jp/odai/2145622954435765501

アインシュタイン夫妻がリピート買いした、新橋玉木屋の江戸前佃煮
https://designroomrune.com/magome/daypage/11/1117.html

余談:ちょうど来月、このような演劇が開催されるようだ。アインシュタインの登場しないアインシュタインの物語だそうである。

演劇集団 円
『アインシュタインの休日』
2019年6月14日(金)~23日(日)
http://www.theaterx.jp/19/190614-190623t.php


著者のパイスが日本語を読めないためか、本書には日本滞在時のことが、ごくあっさりとしか書かれていない。写真付きで詳しく知りたい方には、この2冊がお勧めである。

アインシュタイン日本で相対論を語る
アインシュタインの東京大学講義録―その時日本の物理学が動いた
 

あと岩波現代文庫の「アインシュタイン・ショック(1)(2)」もお勧め。(紹介記事

2019年6月18日に、この本が発売された。写真はなく、文章だけの本である。

アインシュタインの旅行日記: 日本・パレスチナ・スペイン



アインシュタインは晩年になるに従い、平和主義的な発言、行動をとるようになるが、年代によってその考え方や発言内容は変化していく。特に広島と長崎に原爆が投下された後、博士はローズベルト大統領に「ナチスドイツに原爆開発の先を越されないようにアメリカの原爆開発を急ぐように進言したこと」をとても後悔し、第二次世界大戦後は平和運動へ積極的に関わっていった。

しかし「原子爆弾 1938~1950年: ジム・バゴット」に書かれているように、米ソ冷戦、核開発競争が始まり、博士が亡くなる1955年4月までに、次のような実験が行われてしまった。科学者が政治に影響を与えることの限界を感じてしまう。

- ソ連:1953年8月12日にアンドレイ・サハロフによって設計された最初の熱核兵器(水爆)を爆発させた。
- アメリカ:1954年3月1日、リチウムの同位体を用いた最初の航空機に搭載可能な小型の熱核兵器(水爆)を爆裂させた。(第五福竜丸が被害を受けた。)

アインシュタインの戦争反対の思想は、1932年にナチスドイツから国外に逃れる時点で強いものになっていた。アインシュタインのためにハリウッドで行われた『西部戦線異常なし(1930)』(DVD, Blu-ray, Prime Video)の特別上映で映画を観た後、アインシュタインはドイツで上映禁止になったことについてコメントした。(連投ツイート

「この映画に対する弾圧は、世界全体が注目する中で、われわれの政府が敗北をみたことを示す。その検閲によってわれわれの政府は町の暴徒の声に屈服していることを証明し、政策を転換することがどうしても必要とされねばならないほどの大きな弱点を示す。」

これは第3回米国アカデミー賞最優秀作品賞、および最優秀監督賞を受賞した作品で、第一次世界大戦時のドイツ軍を描いたアメリカの反戦映画である。1930年はドイツでヒトラーが率いるナチ党が勢力を18パーセントまで拡大していた時期だ。

西部戦線異状なし(All Quiet on The Western Front、日本語字幕付き) - Part 1 Part 2



西部戦線異状なし (字幕版)



アインシュタインの肉声が聞ける動画と音声なしのカラー動画を見つけた。

Albert einstein talking about his famous equation e=mc^2


Albert Einstein (stock footage / archival footage)


Einstein cracks joke


Albert Einstein colour footage



翻訳のもとになった原書はこちらである。1994年に刊行された。

Einstein Lived Here: Abraham Pais



アインシュタインの研究や思想に光を当てた最初の伝記はこちら。

神は老獪にして…: アブラハム・パイス」アインシュタインの人と学問(紹介記事

翻訳の元にされた原書は1982年に刊行されたこの本だ。

Subtle Is the Lord: The Science and the Life of Albert Einstein: Abraham Pais」(ハードカバー


原書には2005年に刊行された新版「Subtle Is the Lord: The Science and the Life of Albert Einstein: Abraham Pais」(Kindle版)がある。


数式はまったく読めないが、アインシュタインの人生や業績を知りたいという方には、こちらがお勧め。ただし2016年2月に発表された「重力波の直接初観測」以前に刊行された本であることにご注意。

アインシュタイン 相対論の100年 (ニュートンムック Newton別冊)」(詳細



関連記事:

神は老獪にして…: アブラハム・パイス
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d9258ed7a2d52173116ccd6e61ba0881

アインシュタイン選集 1 ―特殊相対性理論・量子論・ブラウン運動―
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/26d6fc929bf7b9f0fc1e2a210882f559

アインシュタイン選集 2 ―一般相対性理論および統一場理論―
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d3d0869ab3911e84845b5b121bd1aa3e

だれが原子をみたか(岩波現代文庫):江沢洋
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/0f1e91e296d8d83ff2759c2de190be57

ブラックホールと時空の歪み: キップ・S. ソーン
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/76795b03e7dc89cd08dac67dc25b73ab

アインシュタインの反乱と量子コンピュータ: 佐藤文隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/9fa38724ad6881636cdff2903ee14a5b


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アインシュタインここに生きる: アブラハム・パイス


読者へ

第1章:「アルベルト・アインシュタインの陰で」
- 序論
- いくつかの背景
- ミレーヴァとアルベルト、最初の出会いからリーザルの誕生まで
- リーザル
- 結婚、ハンス・アルベルト、リーザルはどうなった?
- アルベルト、ミレーヴァそして相対論について
- 別居、離婚、アインシュタインは再婚する
- テーテ
- 結論

第2章:ボーアとアインシュタインについての考察
第3章:ド・ブロイ、アインシュタイン、物質波概念の誕生
第4章:アインシュタイン、ニュートン、そして成功
第5章:素人のための相対論の短い説明
第6章:アインシュタインはいかにしてノーベル賞を獲得したか?
第7章:ヘレン・ドゥーカスの思い出
第8章:『おかしなファイル』からのいくつかの例
- 前書き
- 封筒
- ベルリン時代の手紙
- プリンストン時代の手紙

第9章:インドとの関係―タゴールとガンジー
- タゴールとガンジーの紹介
- アインシュタインとタゴール
- アインシュタインとガンジー

第10章:宗教と哲学におけるアインシュタイン
- 屋根の上のヴァイオリン弾き
- 養育時代
- アインシュタインの初期の経歴におけるユダヤ教
- 「特殊な宗教的感情」
- 科学と宗教
- アインシュタインは哲学者だったのか
- 哲学的著作との付き合い
- 物理学と哲学---相対性理論
- 物理学と哲学---量子論
- 結び---アインシュタインの哲学

第11章:アインシュタインと新聞
- 序論
- 1902-19年
- 1919年11月 アインシュタイン世界的人物となる
- 1920年代初め
- アメリカやイギリスへの最初の旅行
- フランスへの旅行
- 東洋訪問
- 聖地訪問
- 南アメリカ旅行
- 政治的かかわり---ドイツでの年月
- 様々なこと 1928年-32年
- アインシュタイン、最終的かつ永遠にヨーロッパを去る
- アメリカ到着
- 1933年から1939年:世間の注目での中でのアインシュタインの最初のアメリカでの日々
- 核分裂と核兵器について
- 最後の10年。アインシュタインと原子力時代
- 最後の10年。市民の自由についてのアインシュタイン
- アインシュタインとユダヤ人 アインシュタインの死
- おわりに
- そしてショーは続く

訳者あとがき
事項索引
人名索引
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