あるクリスチャン理学療法士の思いつき日記

クリスチャン理学療法士の私
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題して、4つの「とれ」のススメ

2013年08月10日 | 聖書から
明日のショートメッセージの原稿です。
高校野球の好きな方が初めて教会に来られるので、
それを絡めて・・・と思っています。

題して、4つの「とれ」のススメ

この世で生き生きとした老後を送るため、必要なこと3つの「とれ」という話を、あるリハビリの先生から聞きました。
①筋「トレ」
②脳「トレ」
③脂肪「とれ」(「摂れ」でなく取り去れ)

私は4つ目の「とれ」を考えました。
④天(主)から永遠のいのちを受け「取れ」


幸せだな~と思うことはそれぞれあると思います。
でも、この世では絶対に叶わないことがあります。
それはその幸せな状態が「永遠に続く」ということです。
必ず「死」をもって終わりが来ます。
秦の始皇帝を始め、多くの権力者が不老不死の薬を求めたという話がありますが、叶いませんでした。
聖書にも永遠の命を得るためにはどうしたらいいでしょう?と真剣に悩む人は多く登場します。


世の中には「絶対」ということはないですし、将来の予言は当たるものではありません。最近多くなっている地震も洪水も、最新の技術を持ってしても「可能性はある」と言えても、それが絶対とは言い当てられません。
しかし、唯一絶対に起こることが言い当てられるとするなら、私もあなたも全員死ぬということです。
聖書によるとその続きがあります。
「死後に裁きを受けることが定まっている」と。


裁きというと閻魔大王が閻魔帳を開いて、裁判をする、なんていうことをイメージしてしまうわけですが、本気の本気でそれを心から信じる人はいないでしょう。
被告人として裁かれるというと、判決は良くて無罪、悪ければ死刑というのが常識で、被告人が「100万円をもらう刑」なんてことはないのです。
しかし、この裁きは、人間の常識の判決である死刑~無罪までではなく、(それを軽く通り越してお金を逆にもらえることも、なんてどころではなく、)天国行きの判決まであるわけです。


しかし、聖書で言うこの「裁き」が行われるのは裁判所というよりも、表彰台(ギリシャ語でヴェ-マ)であり、裁くのは裁判官というよりも、「審判」なんですね。
審判は「アウト!」ばっかり言うのではなく、「セーフ!ホームイン!」もちゃんと言ってくれるんですね。

高校野球、夢中になりますね。今日来てくださった方も野球が大好き、ということで、野球に絡めてお話させて頂きます。

野球に例えるならば、この世にオギャーと生まれ1塁にランナーとして出ます。この世の人生というベースを2塁3塁と回ってきます。盗塁だったり、バントで送ってもらったり、相手のミスであったり。仕事や結婚、出会いや別れがあり、それはいろんな方法です。
足の速い人は自分の頑張りで次の塁に進み、足の遅い人はバントなど次のバッターの人からの助けなどいろいろ借りまして3塁までは来ます。野球と似ていますね。
でも、ホームまで来てそこで「セーフ!」と審判が言うかどうかは野球と同じではありません。足が速かろうが、遅かろうが、次のバッターが打とうが、相手のピッチャーが凄かろうが、全く関係ありません。
ボールはキャッチャーが持っていて、必ずタッチされます。ポロリと落とすことはありまえん。この世の人生は最後には必ず「アウト」のタイミングになります。すなわち全員が必ず味わう「死」です。
審判の判定は???絶対に「アウト!」がっかりしてベンチの鬼監督のところへ行くことになるんでしょうか?
なんと、「セーフ!ホームイン!」もあるんです。
1つしかホームインする方法はないのです。
いろんな方法があるわけではありません。人それぞれ違ってもいいのでもありません。
イエス様を信じるかどうか、それにかかっています。


最後にある方の詩を紹介いたします。

地上にいる者の心は 喜びに満ちた経験のただ中で
「このことが終わって欲しくない」と言う。
しかし例外なくそのような経験は終わりを迎える。
天にいる者の心は 「このことが永遠に続いて欲しい」と言う。
そしてそれは永遠に続く。
これよりもすばらしい知らせは他にはない。

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