つながりませんでしたが感謝しましたらケエブルさんがきてもらいました感謝しました
みちちゃん

今日は昔話を書きます。
中学生時代は、バス通学でした。
バスを待ちながら同級生数人といろんなおしゃべりをしていました。
不思議な話だったので、今でも覚えています。
それは同級生の身内か、彼女の両親からの伝聞でした。
一つ目はがんを患っていたおじいちゃんの話でした。
入院していたある日「死神(悪魔?)が来た!俺を連れに来たんだ!ほら、そこにいるじゃないか!」とパニックになって、病室内を逃げ回ったそうです(その後まもなく亡くなられました)。「がん治療で強い薬を使って、きっと幻覚を見たとか、混乱してたんだよ、かわいそうに・・・」と、大体皆の感想はそんな感じでした。
しかしもう一つの話は異色でした。知人のお父さん(おじさん?)が、病室で寝ているのを家族が取り囲んでいたそうですが・・・。
「うなされていたのか正気だったかはわからないけど、『ドアが見える』っていうんだって。家族が『ドア?何それ?』って聞いても『ドアがある。でも開かない、どうしても開かないんだ』と繰り返すばかりで、最後は、『開かない、開かない・・・』と言いながら、亡くなったって。」それを聞いて皆、首をひねるばかりでした。
その数年後、高校生になってまもなく、私はクリスチャンになりました。
さらに大人になって、上記の似たようなエピソードを、教会で聞いたり、信仰書(※1)で読んで驚いた記憶があります。
(※1:その話の内容⇒真っ暗闇の中を歩いていたクリスチャンの女の子があるドアの前に来ました。内側から光が漏れていて、ドアの前には大勢の人だかり。自分は中に入れてもらえるか分かりません。不安になり、半泣きで思わず口から出た言葉は「イエスキリストの御名によってお願いします。中に入らせて下さい。」。するとあっさり「OK,入りなさい。」「え、いいの(驚き)」。ちなみに、「ドア」というのは「天国の入口のドア」で、未信者は入れないという内容の話でした)。
聖書には、はっきりこう書いてあります。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれ一人父の御もとに来ることはありません」(ヨハネの福音書14:6)。天国に入る唯一の道は、イエス様を信じるという事なのでした。
何とも不思議な出来事でした、主を賛美します。
hiromi
【追記】:「そんなの不公平」や、「神は愛です。と聖書に書いてあるのに、それは差別ではないのか」という声が聞こえてきそうですが・・・。人間は生まれながらに罪(原罪)を持っている。と聖書に書いてあります。
神は、愛であると同時に義(100%正しい:聖なる)の方なので、人間の罪を見逃す事ができません。でもそれでは誰も天国には入れません。死んだら滅んでしまいます。
だからこそ、イエス様の犠牲(十字架)が必要でした。イエスキリストを信じたら、罪が許され、天国に入れる。それを取り決められたのは、神です。
第一、天国に(罪をもったままで)誰もかれも入ったら、この世と変わらなくなります。
以上、捕捉させていただきました・・・。