感謝と祈りといやし

熊本アンテオケ教会の神様の栄光の表れを神様に栄光を帰しながら書いていきます

満月祈祷会にて

2021年05月26日 | 祈り

  教会では、月曜と金曜に祈祷会があります。

 夕べは月1回、満月の夜に行われる祈祷会があったので、参加しました。

 皆さんとお祈りする中でふと、頭をよぎった「日本26聖人(※)」の子ども達。

26人中、子どもは3人。ルドビコ茨城(12歳:最年少)、アントニオ(13歳)、トマス小崎(14歳)。

26人は京都で捕縛され、見せしめに耳たぶをそがれ、市中を引き回され、そして冬の最中に約1か月かけて、長崎まで徒歩で連れて行かれました(←長崎にはキリシタンが多く、見せしめの為)。

12歳と言えば、小学6年生。あとの2人も中学生位。普通は、おびえて泣き叫ぶか、死にたくないと大騒ぎするはず。

しかし処刑されるその瞬間まで、「天国に行ける」と、彼らは喜んでいました。

「棄教すれば養子にする。死なずに済むし、武士になれるぞ」と、幼いルドビゴを憐れみ、声をかけた武士がいました。しかしルドビゴは「(神を信じて得た)永遠のいのちには変えられません。お武家様こそ神を信じて、私と共に天国にまいりましょう」と、きっぱり断ってさえいます。

 彼らはブレず、揺れませんでした。子どもなのにそんな信仰を持っていた。「天国は本当にある!」という確信があって、「今からそこに行ける!」というのは、彼らにとって喜び以外の何物でもなかった。捕縛後、1日が過ぎるごとに「一体どうなるんだろう」ではなく、「天国へ行く日が近づいている」なら、本当に幸いな事です。

祈祷会で「イエス様、彼らが持っていた天国への揺るがない確信が、私達にも与えられますように・・」と祈りました。

神に感謝します。

hiromi

「日本26聖人」とは、当時の最高権力者だった豊臣秀吉から、キリスト教の信仰を捨てない故に、1597年2月5日に磔の刑に処され、殉教したカトリック信者の26人の事です。


熊本地震”後”の思い出(感謝献金)

2021年05月15日 | 献金(経済の祝福)

 今回は、この話(2016年の熊本地震)の 、「3年後の話」です。

 信仰書を読むと、結構、献金の証しがあります。内容を要約すると「神にお金を捧げた⇒経済的に豊かになった」「金銭に対して考えが変わった(信仰が引き上がった)」等です。

 聖書には、「受けるより、与える方が幸いである」(使徒の働き20章35節)と書かれています。いつしか私も、そんな体験がしたい、感謝献金など、特別な献金に挑戦したいと思うようになりました・・が、そんな金銭的余裕は中々。でもイエス様は、そんな願いを叶えて下さいました。

 上記の数年後、熊本地震が起きました。本震で、私が寝ていたベッドの右側は「V」字型にへし折れ、その部分がベッド下の床に付き、まるでハンモックのような形に変形しました・・。左側に身を寄せれば、まあ寝られたのでそのまま3年使っていたある日、急激に腰が激しく痛みだし、身動きできなくなって数日欠勤(診断は「筋肉痛」)。4~5万円位のシングルベッドを、家具店勤務の兄から買う事にしました。手持ち資金もあり、身内割引価格になるので、祈りは時々、一言「質が良いベッドを買えますように」。

 母のベッドも古くなった為一緒に買い替える事になり、兄を家に呼びました。「安物はダメ。日本製で、シモンズのセミダブルがいい」云々、母のリッチな話を横で聞きつつ、「私はシングルベッド。予算内で適当に選んで」。すると母が唐突に「一緒に買ってあげる、同じセミダブルのベッド」。部屋は狭いし、自分で買うからいいと一旦断ったのですが「セミダブルでないとダメ!」と、頑として譲りません。いつもは「それ位、自分で買え」と言う兄も、何故か「そんな時は『ありがとう、嬉しい』だろ」と母の援護をします

 事の背後に何とな~く神の働きかけを感じたので、ありがたく買ってもらいました、税込13万のベッド。寝心地最高、熟睡できるようになり、神と家族に感謝しました。しかし、話はここで終わりませんでした。

 神が判断された「良いベッド」というのは、セミダブルのブランド物のベッドだったのかな~と、感謝の思いで一杯だったある日、「その感謝の思いを、神に具体的に表現するように」という考えが浮かびました。いわゆる「感謝献金」です。什一献金なら【総収入の十分の一(例えば、給与なら天引き前の金額から十分の一)】、しかし、感謝献金は初なので、捧げる献金額の基準がわかりません。

「お気持ちの額だと、ささやかになりそう。十分の一だと13000円か~。もうすぐ白馬キャンプもあるし、ちょっときついな~」。イエス様に「捧げる金額を教えてください」と祈りましたが、祈りの答えは別になく、むしろ私がどう判断するか、心をご覧になっておられるかのよう。信仰の諸先輩にアドバイスを求めても、サクッと一言「私は、献金するのが嫌ではない」。

 「どうしよう。 第一、感謝献金に回せるお金あるっけ」と考えた時、ハッと気づきました!先月、病欠で数日間欠勤した分が、有給休暇で全部カバーされていたのです。会社から「有給使いなよ。というか、もう手続きしといた」というサプライズがあり、その時初めて、有給が付いてる事を知った私。「欠勤分は無給」と思っていたので、それはまさに天からふってわいたお金としか思えず、サクッと献金に回せました。そして、有給分の金額は、ほぼベッドの購入代金の十分の一。

イエス様は祈りに答え、元手も備えて下さいました。後日、献金した後に、経験したことがない類の喜びに満たされました。神をほめたたえます。

hiromi


今年の母の日

2021年05月08日 | 感謝

 ステージ4の末期癌患者の母は、ほぼ毎週日曜に、友人達と近くの山にハイキングに行きます

(コロナ禍なので、皆1.5メートル離れて黙々と歩き、お昼も、距離を保って食べるそうです)。

癌の事は皆さんご存じですが、最近

「なんでそんなに心身共に元気なの~?何か宗教でもしてるの?」と聞かれたとか(笑)。

教会(の祈祷会)でも、そして私も、日々母の為に祈ってるので、確かにその通りです

 昨年11月に癌発覚、そして「余命は半年か1年。手術も不可能」との宣告に、衝撃を受けていた母。

5月で半年を迎えますが、今の母は、(体力は若干落ちましたが)癌になる前よりイキイキして見えます。

「日々、生きている幸せを実感できる、今を精一杯生きられるのが嬉しい」。

「抗がん剤治療の副作用も、坊主頭になった位で痛くもかゆくもない」←最近は五分刈り程に髪が生えました。

「友達も、変に気を使わず接してくれる。本当に私は幸せ者だ」。

その言葉に、とても嬉しくなります。

母の日の贈り物は日傘にしました。とても喜んでくれました

神に感謝します。

hiromi


神に〇〇を捧げたら・・

2021年05月01日 | 祈りの答え

 神に捧げる。というと、「祈りを捧げる」「献金をささげる」等のイメージがありますが・・、私はこの教会で「悪い習慣や良くない事も、神に捧げなさい」と、お勧めされたことがあります(笑)。

それはご迷惑では?と聞き返すと、ソレが「神の目から見て良く無いモノ」なら取り上げられる(=例:悪習慣ならそれから解放される)。でも、もしソレに神のご計画があれば、【とても良い物にして、返して下さる】と説明されました。

 私が神に捧げたのは、ハードロック・ヘヴィメタルのCD120枚と山のような音楽雑誌です。

 私は中学生の頃からずっとその手の音楽が大大大好きで、レア物レコード(5分収録で6000円!)を嬉々として買ったりと・・今だとヲタクというのでしょうか?。しかし、イエス様を信じてから、そういう音楽を聴くのも自室に音源がある事も、抵抗を感じるようになりました。彼らの音楽(=歌詞)やライフスタイルが、教会や聖書の価値観と相いれなくなってしまったからです。

 ミュージシャンやバンドには本当にゴメンナサイと心中で謝りつつ、レコードもCDも全部捨てました。「イエス様、私は大好きだったこれらの音楽を捧げます」と、祈りながら。

 次は、押入れの中の、大量の音楽雑誌の処分です。片付け中、ある人物が表紙の本がバサッと落ちてきました。その人(DSM氏)は、美男で音楽の才あり。でも嫌味で意地が悪くて下品で大大大嫌いなミュージシャン。しかしその時は何故か、その本を拾い、彼のインタビュー記事を読み始めました。内容は、いつもと違って珍しい事にまぁまぁマトモ。読んでいるうちに、彼に対して胸が痛むというか悲しみがこみ上げてきて、大粒の涙がポロポロ・・(=泣くような内容ではありません)。読み終わると、居住まいを正して、祈らずにはいられませんでした。「涙の理由はわかりませんが、神はご存知です。DSMさんのために祈ります。イエス様を信じることが出来ますように」。その後、折に触れて救いの為にちょこちょこ祈るようになりました。私の祈りなんて、砂漠に水1滴レベルだけど・・思いながら。

 しかし数年後、こういう形で祈りが答えられました。私が捧げた音楽・バンドの中から、一人がクリスチャンになり、しかも私とやり取り・・、まさに奇跡です。

生きておられる神に感謝します。栄光在主。

hiromi