
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」この手紙は、徳川家康の忠臣「本多作左衛門重次」が、長篠の合戦(1575年)の折、
陣中から妻に宛てて送ったもの、短い文章の中に大事なことが簡潔明瞭に言い尽くされていると言われています

丸岡城(国指定重要文化財)は、桃山時代の天正4年(1576)に柴田勝家の甥、勝豊によって築かれました
小さなお城ですが城へ入る階段は結構急坂で長いです

日本最古の遺構である、二層三層の望楼式天守閣で、屋根が笏谷石製瓦で葺かれているのも珍らしい城だとの事
春は日本さくら名所100選にも認定された400本のソメイヨシノが霞ヶ城の別名にふさわしく古城に美しさをそえるそうです
別名「霞ヶ城」と言われているのは
一向宗の残党が城をたびたび襲うことがありましたが、しかし、その度に、天守閣横にある井戸から大蛇が現れ、
城に霞をかけて城の危機を救ったと言われています
このことが丸岡城の別称「霞ヶ城」の云われだそうです
現在は大蛇が噴き出す霞を見ることはできませんが、春、丸岡城を取り囲んでいる桜の花々の淡いピンクが霞のように見え、
その中に丸岡城が浮かんでいるような幻想的な景色を作り出してくれるそうです、見てみたいものです
天守閣登り口の階段脇に石製の鯱が2つ並んで置かれていました、

福井震災で落下した笏谷石の鯱で、現在 階段脇に展示保管されています

城の中に入るとジオラマが展示されています
ここから天守閣へ上るのですが、天井の間に上るその階段の急な事、年寄りには上るのを躊躇させます

丸岡城特有の急な階段なのでしょうが、ご覧の様にロープが備え付けられています
ロープが無いとちょっと上るのが大変だと思った
必死で上り詰めました、ここが天井の間です

外を見ると丸岡市内が綺麗に見えます、天気が良ければ西方は日本海、三国の海岸まで見渡せるそうです

天守閣から降りるのがまた大変です

ほぼ垂直じゃーないですか、いくらロープが有るからと言ってもかなり怖いです
やれやれ、なんとか地上に降りることが出来ました
次は、東尋坊へ向かいます
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