新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

水鳥先生と町中華ディナー!

2024年07月25日 | 文学少女 五十鈴れんの冒険

話は一か月以上前に遡ります…

いまは6月8日土曜日の午後4時23分…摩耶山から降りてきたところです…

父はもっと早めに下りて、神戸市立文学館に見学がてらコーヒーを飲みに行きたかったようですが、今日もねぼすけさんで、そんな時間はぁりません…

しかし、約束の30分前に到着できただけでも、父にしては上出来です…

きょうは、「現代の夢殿」とぃわれる六角形の御殿、「水鳥荘」ご主人の水鳥先生と、夕食会なのです…

先生はフランス文学、特にバルザックさんの国際的な権威でありながら、国文学にも漢籍にも近代文学にも通じる、「生ける文学」「歩く百科全書」なのです…

「水鳥荘文庫」は、六面の壁全面に、世界中の古書マニア垂涎の稀覯本の1万冊以上の洋書をはじめ、国文学、漢籍、近現代の文学まで、さまざまな本の背表紙が、今にも本の宇宙に飛び立とうとする水鳥のように壁中にひしめき合いながら並んでぃるのだそうです…『薔薇の名前』のイメージかもしれません…

先生は工業高校卒業後、ある大手製鋼メーカーに就職したのですが、1962年、筑摩書房から出た『定本 太宰治全集』を手にして、文学に目覚め、文学への夢捨てがたく、先輩たちの応援で、大阪大学文学部に合格したとぃう、学者としては珍しいご経歴の持ち主です…

そんな「超」がつくほどえらい先生に、学歴も何の実績もない父が、なぜかぉ目通りを許されてぃます…

16歳で「左翼運動」に飛び込んだ父は、「とうそうひとすじ」で、高校も大学も、きちんと卒業してぃません…しかし、独学、自我流でしたが、この「活動家」時代に、父は人生でいちばんよく本を読んだそうです…

「路線転換」のため「組織」を去ってからの父は、紆余曲折を経て、大阪に移り住み、上方文化芸能支援団体のイベントで、水鳥先生の謦咳に接することができたのです…

水鳥先生と親しくメール交換するようになったのは、先生の軽妙で含蓄あふれる文学エセー『フランス流日本文学』を、父がブログで取り上げたことがきっかけでした…それはフレンチの鉄人が、王道の和食メニューを新解釈でアレンジしたような、衝撃のテクストだった、と父はぃいます…

左翼活動に走る前の父は文学少年だったのです…
そして、水鳥先生と同じく太宰治さんファンだったそうです…
父は、先生のテクストに、映画『シックス・センス』のラストのような衝撃を受けたとぃいます…自分がいかに太宰まみれだったのか、自分がいかに太宰さんの影響を受けてきたのか、自分自身、全く気づいてぃなかったのだと…

「死も長期投獄」も恐れず、「左翼運動」に飛び込んだ父でしたが、「文学」も「太宰治」も封印したはずの自分が、太宰さんの文学に、いかに「ことほぎ」と「のろひ」を受けてきたのか、水鳥先生のテクストを通じて知って、震撼したのだとぃいます…

たしかに、今はライターの父の書いた源氏物語の超訳本は、宮仕えの女房を語り手にする、太宰さんが得意とした「女性独白体」でした…

このブログに「習作」として収録された、「いるかと海へ」の美少女と私、「午睡」「たつまきが来る前に」の兄妹、幻想小説のかたちを取りながら、太宰さんの作品にどこか雰囲気が似てぃます…

先生はフランス文学が近現代の日本文学に与えた影響について分析されました…

文学少年だった父は、太宰さんのルーツを遡るように、太宰さんの作品から、フランスのヴェルレーヌさん、『海潮音』や『月下の一群』のみなさんに遡り、ボードレールさんからブランキさんに、ランボーさんからパリ・コミューンに、エリュアールさんとブルドンさんからトロツキーさんに出会っていったのです…


王子公園駅前のローソンに、大きなわんちゃんがぃました…! 
ぉりこうさんで、とってもかわいかった…!


西口のコインロッカーに預けた、先生へのぉみやげを取りに行きます…
さっきまでぃたぉ山が、ぁんなに遠くに見えます…


先生が大好物の真鰯の「天の橋立オイルサーディン」と、そして私たちが掬星台のカフェでよくぃく摩耶山カレーです…

スパイスが効いてぃて、「インディアンカレー」がぉ好きな先生なら、ぉ口に合うかもと思ったのです…
でも、先生にはココナツが効きすぎて「甘すぎ」とぃわれるかな…?

リュックに入れて運べない量ではぁりませんでしたが、パッケージがこすれて傷んでしまったら悲しいので、王子公園駅西口のコインロッカーに預けていくことにしたのです…

おみやげを取り出して、東口の改札に出ると、東口駅前の「ぽーと」さんのシャッターも上がっていて、「準備中」の看板が出てぃました…

父が仕込み中のマスターに、
「マスター、きょうはよろしく!」
と、挨拶しました…

父は、先生がどんなぉ方かは、話してぃませんでした…

しかし、会話のはしばしから、「すごくえらいぉ方で、超グルメの方」とぃう印象は伝わってぃたようです…

マスターはちょっと不安そうな顔でいいました…

「ほんまに、うちの店でええんかい。それよりも…」

マスターは、神戸の有名な中華店の名前をいくつか挙げました。

「そんな店は知らん。ふだんどおり、いつもどおりのマスターの店がええねん。先生、絶対、気に入ってくれる」

父はそう笑って答えました。

そして、席取りも兼ねて、リュックを置かせてぃただきました…常連さんは開店前でも集団で乗り込んでくることがぁるからです…

「れんちゃん、今日は絶対気に入ってくれるぞ…」

ぉ店を出てから、父は私にそういいました…

「今日は」とぃうからには、そうじゃないぉ店に、以前ご案内してしまったのです…今日は、そのリベンジです…

実はこの1月に、先生と初めての夕食会に行きました…

そのお店は、創業90周年の老舗居酒屋です…

H大文学部の教授先生がたの行きつけのぉ店で、先生も助教授就任後にデビューしたぉ店だったとぃいます…

父もライターの仕事で、このぉ店を取材したことがぁったようです…

父が思い出の店を知っていることを先生は喜び、食事会が決まったのですが…

ところが、代替わりで、先生がご存知のころから、味が変わってしまってぃたのです…

「お任せで!」

と先生が頼んで、出てきたのは、なんと、業務スーパーのお造りセットと(父がまじめに食事療法をしてぃたころ、見切り品を買って、五穀米のカルパッチョ丼にしてぃたので、見覚えがぁりました…)、そして、インスタントの高野豆腐だったのです…! 高野豆腐そのものがインスタント食品かもしれませんが…

三代めさんは、今年80歳の先生のご年齢を考慮して、やわらかいものを出してくださったのかもしれませんが…

しかし、父の労組の「みんなの農園」の収穫祭では、先生は猪肉のロース焼きに舌鼓を打ち、鬼皮ごと焼いた焼き栗も楽しみ、まだまだ歯も胃腸も健康そのものでぃらっしゃいます…

ぁの日は、先生にとって、いくつか期待外れのメニューが続いたようです…

「まずい! それに高い!」

と、先生もついに激怒されてしまったのです…

私は、ふだんやさしい先生がお怒りになるのに、びっくりしてしまいました…

父は「あちゃー」と頭を抱えてぃました…

先生がこの店に通ったころは、何を食べても安くておいしい全盛期でした…

しかし父が通うようになったころは、先代もすでに引退モードで、梅田でしたたかに飲んで食べてからたまに顔を出すお店でした…父が頼むのは、定番メニューの揚げたての揚げ豆腐だけで(お豆腐を油であげる、できたての揚げ豆腐です…!)、あとはお酒を飲んでぃるだけでした…

「くろくん、れんちゃん、Hに行こう!」

と、口直しに先生行きつけの小料理屋のHさんに連れて行ってもらいまいした…

この電車の移動中、先生のぉ怒りを、父は「大魔神」の大魔神さんの変身シーンにたとえて、「はにまる」ボイスで再現してぃました…大魔神さんも、私のソウルメイトのはにまるくんも(話すのが苦手な私は、はにまるくんと一緒に日本語を勉強しました…)、モデルは同じ国宝の埴輪の武人像なのです…

小さなころ、「はにまるくんの映画だよ」と『大魔神』を見せられたとき、私は大暴れする大魔神さんに、「こんなのはにまるくんじゃない…!」と泣いてしまいました…

すると、父は音声を消して、大魔神さんにはにまるボイスでアフレコを始めました…額に打たれたくさびを抜いて、悪いぉ殿様を串刺しにするシーンは、「これなに?(はにまるくんの口ぐせ) うーん。いらない! 返すね!」と、あっけらかんと明るくて、かわいいのです…

思わず笑ってしまいましたが、「ちがうー!」と私が父をぽかぽか叩いたことを、いうまでもぁりません…

そういえば、先生の私たち年少者に対する一人称は、「おいちゃん」です…

「おいちゃん」といえば、『男はつらいよ』の寅さんですね…

寅さん記念館で、柴又で発掘された寅さんそっくりな埴輪の展示を見たことを思い出しました…


父は、はじめて見る先生の怒りの姿に、『大魔神』を思い出し、さらに『おーい!はにまる』や『男はつらいよ』、そして9年前の葛飾めぐりの旅を思い出して、懐かしそうでした…

しかし先生はつり革につかまって、意気消沈とされてぃます…

先生にかなしい思いをさせてしまったことが、私も悲しくてなりませんでした…



Hさんの料理を食べて、人心地ついたのでしょうか…

先生はいつものやさしい先生に戻り、

「変わり果てた初恋の人を見るようだったよ」

と、Hさんのご主人にさびしそうに話してぃらっしゃいました…

だから今日、は先生を悲しい思いさせてしまった、あの日のリベンジなのです…!

先生の大好きな小津安二郎さんの映画には、

「こういうものはね、うまいだけじゃいけないんだ。安くなくちゃ」

というセリフがあります…! 

大好きな先生に、私たちの大好きな安くておいしい「ぽーと」さんの料理を食べてぃただきたい…! それが私たちの今日の願いでした…

阪急王子公園駅の改札の前で、先生をぉ待ちします…

「先生にぉ目にかかるの、楽しみだね…!」

と、私はぃいました…

「うん」

と、父は笑ってうなずいたかと思うと、

「でもこわいね。完全黙秘非転向の過激派を歌わせてしまう、恐ろしい先生だ。梅川文男のこともね」

と、父は語り、神妙な顔になりました。

「歌わせる」は、「自白させる」とぃう意味だそぅです…はぃ

梅川文男さんは、日本共産党に所属しながら、最後の最後まで反戦闘争をたたかいぬいた、労農活動家でプロレタリア文学者です…

梅川文男さんは、戦後の日本共産党の混迷のなかで除名されてしまいますが、
終生ひとりのコミュニストとして非転向を貫いた方でした…

梅川さんは先生の生まれた松阪市の第六代市長でもあり、今もその偉業が語り継がれてぃます…

革命家の父は、この「偉大な先輩同志」の名前をさえ知らず、本居宣長さんに始まる「松阪の知の系譜」と題した、文学研究者の水鳥先生のエッセイで知ったことが、ショックだったようです…

「ポスト・フランス革命の時代を生き抜いたバルザックに対する研究を通じて、先生はわれわれ凡俗の過激派より、革命の本質について、はるかに透徹した視点をお持ちだ。それはフランス語訳で『資本論』を読んだのであろう辰野隆が、1920年代の時点で、戦後のネオ・マルクス主義に通じる新たなマルクス像を提示していたのにも通じる」

父はそういって、ためいきをつきました…

三宮行きの電車が到着し、改札から乗客の方々が降りてきました…

私たちはぉしゃべりをやめ、先生をぉ待ちしました…

先生には、父は約束の午後5時ちょうど着のダイヤをご案内したようですが、約束の時間の10分前、「やぁ」と先生がぉ見えになりました…!

さっきの電車では見かけなかったのに…
先生はどちらかでお時間を潰されてぃたのでしょうか…


王子公園駅前の「ぽーと」さんにやってきました…!

ひと皿200円のぽーと名物の小鉢、「すき焼き」も、「卵とほうれん草炒め」も、すぐ食べちゃいました…! 写真は、陳建一さんのロゴ入りぉ皿です…!

「まったく、シーシュポスの神話のようだ」

いま、大きな仕事に取り組んでぃらっしゃる先生は、そんなことをおっしゃいました…

シーシュポスさんは神さまを欺いたことで、神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けます…

シーシュポスさんは、神々の言い付け通りに岩を運ぶのですが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまうのです…

カミュさんは、この神話を通じて、人は皆いずれは死んで全ては水泡に帰す事を承知しているにもかかわらず、それでも生き続ける人間の姿を、そして人類全体の運命を描き出したとぃうことです…


先生のはなしは楽しく、終わりがぁりませんでした…

この日は、先生からぃろぃろなぉ話をうかがえました…

尾道が舞台になった『東京物語』から、小津安二郎さんと志賀直哉さんの関係とか…

司馬遼太郎さんの文学に対する評価とか…

おもしろかったのは、とぁる学者さんの「剽窃疑惑」です…

その話を聞いた父は、あっけらかんと笑って先生にいいました…

「最低のクズ野郎ですね。やりましょう」

まったく、ぉ父さん、ぉ酒飲みすぎだよ…
ぉ父さんがぃうと、「しゃれ」にならないんだから…

広告屋さんでもある父は、コピーやデザインやコンセプトを、大手代理店さんに丸パクリされ、「力関係」で抗議さえもできないことは、何度もあったようです…

先生は、マスターと映画のはなしで盛り上がってぃました…!

先生もマスターも、とっても楽しそうでした…!

マスターは、たぶん中学校を卒業して、すぐに働き始めた方です…

そんな方とも話が合ってしまう大学教授、学部長、学長先生なんて、水鳥先生のほかにいらっしゃらるのでしょうか…

先生と隣り合って、楽しく会話してぃた淡路生まれの常連のOさんは、父の担当した得意先の会社で、定年まで勤め上げた方でした…

先生のぉかげで、一挙に世界が広がりました…!


でも、そろそろぉ別れの時間です…

締めのメニューに、父はチャーハンかラーメンを考えてぃたようです…

しかし、先生がオーダーしたのは、「焼き上げそば」でした…!


水鳥先生は現代の谷崎ともいうべき超美食家です…

谷崎全作品に登場する食のメニューを渉猟した「谷崎潤一郎と上方料理」(『やそしま』14号)、『心の中の松阪』所収の松阪市民のソウルフード「不二屋」の焼きそばの紹介記事、先生の書くグルメ記事はどれも絶品なのです…!

松坂駅前の不二屋の焼きそばも、水鳥流は、麺と餡を混ぜ切るのに2分以上かけるのです…

どうして不二屋の焼きそばはこんなにうまいのか、さらにおいしく食べるのにどう工夫してきたのか、先生の説明は実に科学的、化学的(!)なのです…

化学を学んだ先生は、文学の作品生成論に「触媒」という概念を用いたそうですが、自ら包丁を振るう先生のあくなき美食の追求は、先生のオリジナルな文学論に通じるものがあるように感じます…


先生自ら混ぜてぃただいたまぜそばをぃただきました…!

とってもぉいしかった…!

王子公園駅前の「ぽーと」も、先生のお気に入りのお店になってくれるでしょうか…

まぜそばをおいしくいただいたあとは、先生と帰りの電車をご一緒しました…

先生は、山帰りの父のトレッキングシューズを見ながら、

「登山靴には、靴紐が絶対にほどけない結び方があるんだそうだね」

と、おっしゃいました…

「そのようですね」

と、父も答えます…

先生のおっしゃる登山靴の紐の結び方は、あるミステリ作品のトリックのようでした…

「ウナギ料理」のはなしと間違えて、父が買ってしまったとぃうフレンチミステリ『ウサギ料理は殺しの味』については、先生はどのように思われるでしょうか…

この日は、先生からこのほかにもたいせつな話をたくさんうかがったのですが、すべては収録できてぃません…

また加筆修正させていただきますね…!

水鳥先生、ありがとうございました…!


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