花壇で見つけた、かたばみの花です…
今日、10月28日の土曜日は、朝から父は組合のお仕事だったので、お昼すぎに合流しました…
王子公園駅に着きました…
今日はよく晴れてぃます…!
ぁれ…
ぉ父さん、ぉ昼ごはん食べなくてぃいの…? 朝もおにぎり一個だけだったよね…
「いろいろ考えることがあってね。あんまり食欲わかないんだ」
会社も組合も農園も「課題山積」のところ、最近は、小説を書き始め、食事の時間も惜しいようです…
ぅん…でも、「シャリバテ」しないように、途中でバナナとゆで玉子は食べてね…
マンデビラの花は今週も咲いてぃました…!
サルビアの花もきれいです…
これはアベリアの花でしょうか…
小さくてかわぃい…
神戸高校の坂の側溝で、つゆくさを見つけました…
上野道登山口の観音さま、今日もよろしくぉ願いします…!
旧天上寺の山門まで残り十三丁の道しるべのある休憩スポットまで来ました…
第三展望所まで来ました…
はぃ、ぉ父さん、約束のバナナとゆで玉子、食べて…
ひこばえさん、また来たよ…
菊の群生です…
ケーブルの「虹の駅」です…
峠茶屋跡のぉ地蔵さま、今日も休ませてください…!
今日もぃい眺め…
マヤーさんはぉ出かけです…
ぁのね、ぉ父さん、私も泉鏡花さんの『峠茶屋心中』を読んだんだ…
青谷道の不動の滝を過ぎたあたりで、摩耶夫人堂にお参りに来た青年が、夢寐(むび)にも忘れられない女性を見かけて、追いかけて、峠茶屋に駆け込むよね…
でも、不動の滝から先の青谷道にもぉ茶屋さん、あったのかなぁ…
「うーん。たぶん、なかったんじゃないかなあ。何かあったら、ボランティアの人たちが『マヤ遺跡』の案内板を出していると思うよ。原生林のなかで、眺望のきくスポットもないし、不動の滝から先は修行のための聖域だったんじゃないかな。『猫のふん』を売っている峠茶屋は、やはり上野道の『下のアメヤ』がモデルだろうね。青谷道と上野道は、直線距離にすれば数百メートルだから、直通ルートもあるのかもしれないけれど」
ぅん…でも、この急斜面を登ってくるの、大変だよね…
「今はネット情報が発達しているけれど、昔はそんな便利なものはなくて、描写も適当なものだったからなあ。松本清張の『ゼロの焦点』も、その場所から海は見えないとか、東西逆でそのルートではあの断崖絶壁にはたどり着けないとか、いろいろな凡ミスがある。でも、作品そのものは傑作で、能登の魅力や情緒を伝えて余りあるし、地元の人たちも、清張先生の誤りを言挙げしたりはしない。しかし、鏡花の『峠茶屋心中』は、初期のリアリズムの風俗小説とはいえ、リアリズムにも徹しきれず、小説としても失敗作だったね」
私は、明治期の摩耶山の植生のところが、興味深かったよ…?
天上山さんのあたりは聖域で杉の原生林が守られてぃたけれど、ふもとは六甲のほかのぉ山と一緒で、はげ山だったことがよくわかったから…
でも、昭和の火災でも焼け残ったこの山門、雨宿りに20人や30人は入れそうだけれど…あの人たちの描き方は気になります…
「そうだね。『峠茶屋心中』は、リアリズムに徹することもできなかった、ご都合主義の失敗作だ。女の傷口の痕の膿を吸うシーンは、穢れが聖なるものに転じる、からだ中が腫れて異臭を放つ病人の膿を吸ったという光明皇后の逆パターンなのかもしれないね。失敗作にこそ作者の本質が表れるのだとすれば、膿は乳のメタファーでもあり、摩耶夫人に託した、母恋のメインテーマがよく表れている部分だ。しかし失敗作であることには変わりなく、結局、そこにあるのはアンタッチャッブルな存在に対するあるな種のオリエンタリズムにすぎない」
ぁの傷口の膿がぉ母さんのぉ乳なのか…なるほど…
でもね、〈下のアメヤ〉名物の黒飴だった〈猫のふん〉を、あんなふうに描くのはよくないと思ぅ…〈営業妨害〉です…はぃ…
摩耶の大杉さん、ごきげんよう…
ほんとうのところは、どうだったのでしょうか…
摩耶の大杉さんの参道の崖下に捨てられてぃたゴミが、きれいに片付けられてぃました…
この〈アサヒビール〉と〈HI-C〉の缶は、そのときのぉ掃除で出たものだと思います…
父ぃわく、とてもなつかしいデザインなのだとか…むかしはペットボトルなんかなかったんですよね…天上寺さんが火災にあってから捨てられた、1970年代後半から80年代前半にかけてのもののようです…
〈HI-C〉は空き缶でしたが、〈アサヒビール〉はまだ蓋を開ける前で、振ると、中で「ちゃぽちゃぽ」と液体が揺れるのがわかりました…
しかし、振った感じでは、中身は半分くらいに減っているように感じました…
「さすがに40年以上経っているからなあ。開栓しなくても、経年劣化でどこかに小さな穴ができて、徐々に蒸発しちゃったんだろうねえ。もちろん、炭酸などとっくに抜けているだろう」
40年もあのままだったんだ…少し驚きです…はぃ…
ぉ掃除、手伝えなくてすみません…
旧天上寺まで来ました…
このまま山頂をめざします…
奥の院の道を歩いてぃたら、だれかが、ぴょんと跳ねました…
かえるさんです…!
まだ冬眠してぃなかったんだ…!
茶色いので、たごがえるさん?…かと、思いましたが、落ち葉に擬態したモリアオガエルさんでしょうか…
山頂に着きました…!
掬星台は今日もぃい眺めです…
梨花ちゃんに写真を送ったら「すごく雲が近いね!」って、感動してもらっちゃいました…
ぃつか二人で登る約束をしてぃます…
ぉ父さん、ほんとうにまだお腹空いてない…?
今日はぉ父さんの好きな鮭弁当にしてみたよ…梅干しも食べて…!
運動中も運動後も、切断した筋肉繊維の復元に、たんぱく質の摂取が必要なんだって…
唐揚げも魚肉ソーセージもぁるからね…!
ごはんも食べたので、それでは下山します…
弘法清水の悠久の流れです…
ね、ぉ父さん、『峠茶屋心中』の峠茶屋も、青谷道から行ける〈上のアメヤ〉の可能性だってぁるんだよね…
いまは、ラムネや果物を冷やしたという、コンクリート製の水槽が残るだけで、何も残ってぃませんが…
「ふむ。たしかに、これはコンクリート製だぞ」
父が、私のつぶやきに反応しました。
「セメントの生産が始まったのは明治だけれど、コンクリート製品が一般に普及したのは、明治の終わり、大正から昭和にかけてだと思う。つまりこの水槽は、『峠茶屋心中』の発表以降に造られたものだ」
東北電力の工事部門の技師を祖父に持ち、若いころは自分も建築現場で働き、建設資材会社のお客さんがいた父は、コンクリート・オタクなのです…
でも、それがどうしたのでしょう…
「『アメヤ』の屋号が、明治の終わり以降につけられた可能性があるということだよ。下のアメヤ名物の『猫のふん』を、泉鏡花が本物に仕立てたんじゃない。逆に、鏡花があんな怪奇じみた馬鹿な小説を書いたから、関係者が憤激して、『猫のふん』という新商品を売り出したのかもしれないよ」
それは考えてもみなかったかも…
「私もだ。当時はそれなりに評判になって、『アメヤ』が屋号にもなったんじゃないかな。『猫のふん』なんて、いくらなんでも、あんまりなネーミングだなあと思っていたけれど、関西の人なら商魂たくましくやりそうだ」
これは新説です…
「下のアメヤ」の猫のふんが発売されたのは、いつの時代なのでしょう…?
江戸時代や明治の初めからぁるのなら、父の説は成り立ちません…
これは「ちょうさ」が必要です…
しかし、仁王門から石段を降りてすぐ下の場所なのです…
鏡花さんの『峠茶屋心中』の描写とは、あまり一致しません…
ぉ父さん、今日は青谷道で降りよ…
もしかしたら、途中で上野道に出るルートが見つかるかもしれないし…
でも、谷底まで、ほぼ直角の急斜面だよね…
妹たちが大好きな〈ひみつきち〉までやって来ました…!
青谷道のご神木さまです…!
青谷川の渓流のせせらぎが聴こえてきました…
このご神木、『峠茶屋心中』にも出てきたご神木さまと、同じかなぁ…
「どうだろう。当時は健在だった摩耶の大杉さんのほうだったのかもしれないね」
カラスさんが鳴いてぃます…
もうすぐ夕暮れです…
不動の滝まで降りてきました…!
この崖をよじ登るのは大変そうです…
男性はともかく、着物を着た女性にはむずかしいと思います…
「青谷道から上野道に出るルートは、やはり物理的には考えにくいね。猟師さんや木こりさんのようなプロ、ベテラン登山家なら別だろうが」
と、父もいいました。
「ありうるルートとしては、女は青谷道をこのまま十数丁駆け登って、仁王門で雨宿りしていた人たちに言付けして、自分は山門の裏に潜んで、男も追いかけて、青谷道と上野道の合流地点まで来て、仁王門まで残り半丁なのに、なぜか上野道にぐるっと回って五丁も下って、峠茶屋に駆け込んで、また仁王門に舞い戻ってきたということかなあ。運命の女が現れたところに、嵐に巻き込まれて、正常な判断力を失っていたら、そういうこともありうるかもね。不自然極まりないけれど、そういうことにしておこうか。しかしあの峠茶屋の描写だけは許せないね。せめて私の小説では、峠茶屋の人たちはこの世のものとも思えない善人として描くつもりだよ」
今日は不動の滝に、神主さんがいらして、自由に見学できました…
滝に水は流れてぃなくて、行者の方もぃらっしゃいませんでしたが…
ぉ不動さまに、ぉ参りして行きました…!
つくばね登山会さんの本部まで降りてきました…
さ、ぉ父さん、鉄棒で懸垂していこ…
漢字で書くと「突破嶺登山会」で、父の小説の「踏破嶺登山会」(とうはね登山会)のモデルなんです…
旧天上寺の山門から、十六丁も降りてきました…!
登山口も近くです…!
青谷道登山口まで出ました…!
今日は駅前の「ぽーと」さんが満員だったので、明石焼きをぃただいて帰ってきました…!