新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

言葉にできない美しさ 九井諒子「金なし白祿」

2012年01月03日 | コミック/アニメ/ゲーム
 さて、正月休みも今日まで。しかし今日は年始のスピーチ原稿を書いたり、年明け早々のプレゼンのまとめをしたりしているはずです。てか、頼むよ未来の自分。2012年、年頭から仕事に全力で邁進する明るいブラック企業・黒幕商事をどうぞよろしくお願いします。

 さて、このブログがツンデレサーチにヒットするようになりました(当時)。

http://zapanet.info/tundere/?q=%E4%B9%9D%E4%BA%95%E8%AB%92%E5%AD%90&q2=new


 ……すべて、九井諒子さまのおかげでありました。

 ティア新刊「金なし白祿」、遅ればせながら年末に通販でお取り寄せしました。

 以下に作品の核心に迫る記述(牽強付会我田引水ともいう)がありますので、未読の方は自己責任で。


 「絵描きの高川白祿といえば
 都一とも謳われた画家
 その筆の運びの巧みさに
 描かれた生き物は
 たちまち紙を飛び出してしまうので
 必ず片側の瞳だけは描かないのだという…」

 しかし白祿には金がありません。弟子の裏切りから詐欺にあい、全財産騙しとられたのです。絵を描いて売ろうにも、画材も売り飛ばし、チビた墨、筆、硯が残るのみ。

 で、考えたわけですね。

「わしは今まで獅子だの龍だの
 存在しない生き物を沢山描いてきた
 それらに瞳を書き込み実在させれば
 高値で売れると」

 まさに「画竜点睛を欠く」を逆手に取った作品ですね。この故事成語ができたいわれも、中国に昔、張という絵の名人がいて、壁に4体の睛(ひとみ) のない竜を描いた。 瞳を描かないのは、本物の竜となって飛び去るからだという。しかし誰も信じないので、竜の目に瞳を描きいれると、たちまち天に昇っていってしまった。残りの竜は、まだ壁に描れたままだった……という伝説に基づくものだそうです。

 一休さんの虎退治なども思い出させます。誰もが見たこと聞いたことがありそうな〈おはなし〉を借りながら、たんなるパロディに終わらず、換骨奪胎してしまうのが九井ワールドなのです。

 この老絵師の話を聞いているのは、従者のヘタレ侍と駄馬くん。このふたり(一人と一頭)を絵から召還するオープニング場面が実に鮮やかなのです。

 撮影に例えると、一カット(一コマ)ごとにセットをすべてバラして総入れ替え、カメラも何台も用意しないと追っ付かないですね。実写映像化したらどうなるだろうと、シナリオ書きかけ、ゾッとしました。何だかもうすごいことに。監督なら小津ですか黒澤ですか、現場のスタッフ死者続出の構図の鬼。漫画家でよかった。

 特に唸ったのは、愛すべきヘタレ侍の左目に瞳を点じる場面です。左目が描きこまれ、これで両目が揃った……はずなのに、読者の期待を裏切って、まぶたが閉じられてしまう。しかし、この瞬間こそ絵に命が吹きこまれた瞬間なのです。

 次のシーンで、馬に乗った侍がどこからともなく出現。そして馬もろともに転倒。

 ヘタレ侍も駄馬くんも(そして読者も)、いったい何が起きたか、さっぱりわからない。そこに老絵師が一喝。

 「わしは絵描きの高川白祿
 そしてお前はそこの掛け軸絵だ
 もっと詳しくいうと
 お前はどこかのアホが描いた
 わしの掛け軸絵の贋作じゃ!」

 えーーーーーっ!と、ショックを受けるヘタレ侍と駄馬くんの表情がおかしい。

 まさに問答無用のオープニング。読者はこの作品の世界観やルールを受け入れるしかないのです。

 この導入部の素晴らしさは、猿人と馬人が共存するIFワールドを描いた「現代神話」のオープニングにも通じます。お弁当箱を大切に持ったまま、全速力の旦那様の自転車を追い抜いたところで、初めて若奥様がケンタウロスであることが明かされるのでした。

 最近のマンガもラノベも、会話やナレーションだけでその世界観を承認させてしまおうとする、安普請が目立ちます。しかし架空の世界やキャラクターをリアルに現前させるためは、「日常」「常識」というメモリをいったんリセットして新しい世界を再起動する手順や手続きが重要なんですね。

 この二人プラス馬の珍道中がどうなるのかは、読んでのお楽しみ。応挙風の虎や獅子がかわいいですよ。そして九井さんといえば竜、竜といえば九井。今年の年賀状にポストカードがあれば欲しかったなあ。

 芸術論、創作論としても考えさせる作品でした。絵はひとたび他人の手に渡ると、もはや自分のものではなくなる。老絵師は未完の絵を完成させ、自己のもとに取り戻そうとします。老絵師の孤独に、私は表現者が避けることのできない本質的な孤独を感じました。

 しかし優れた作品であればあるほど、誰にも伝えがたい、絵にもコトバにもできない、明かし得ぬディスコミュニケーションを創造の核に持ってます。だからこそ優れた作品は本質的に孤独である人間を励まし、時代を超えて生き残れるのでしょう。

 クライマックスは、直接でないまでも、東日本大震災の経験が投影されているように思いました。それは他者を救うためなら自らの危険を省みない、勇気ある人びとの気高い自己犠牲の精神。黒いドロドロの何かは、もう二度と戻らない生命のメタファーであり、あの津波の跡に残された汚泥や瓦礫のように私には見えました。もちろん、個人の感想です。

 老絵師にお金が必要なのは、これからも描き続けるため。では、何のために描き続けるのか。生活のため? やはり絵が好きだから? しかし、そんな簡単にコトバにできるくらいだったら、絵描きなんかにはならないよね。近作の「人魚禁猟区」も、2011年このマンガを読めベスト3に入る力作。

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 どちらも会員登録が必要で代引きのみ。しかしCOMIC ZINは1万500円以上で送料無料です。震災チャリティ同人誌もあるので、この機会をお見逃しなく。「金なし白禄」ではないので注意。

 印刷所はしまや出版さんかー。若い頃、私もお母さんにお世話になりました。ぺこり。


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