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種の起源と人間の終焉

2012年11月24日 | 革命のディスクール・断章
 1859年11月24日、ダーウィンの『種の起原』出版さる。

 エンゲルスがマルクス葬送のことばのなかで、「マルクスは人間の歴史の法則を発見したことで、ダーウィンの功績に比すべきものだ」と述べたのはよく知られている。

 しかし、1980年代に思想的に物心めざめた世代には、マルクスもダーウィンも評判がよろしくない。「近代批判」「ポストモダン」「デカルト的世界観」「大きな物語」とか、その他いろいろである。ダーウィンにおよんでは、その主著の序文に次のように書かれてしまう始末である。

 「かくして仮説のうえに仮説を重ねたはかない塔ができあがった。そこでは、事実とフィクションとが、解きほぐせないような混乱のなかで、入りまじっている。……ダーウィンは、『種の起源』において、こうした好みに満足を与える、いわば古典的方法とでも呼ぶべきもののお手本を示したといってもよいであろう。……われわれ自身の思考法を理解するために、そしてまた、生物学を科学的基礎のうえに樹立しようとする場合、われわれが取りのぞかねばならない悪い考えとは、どういうものであるかを知るために、これからもなお、この『種の起源』というソースブックに立ちかえることは、われわれにとって無駄ではあるまい」(W.R.トンプソン、『種の起源』エブリマンス・ライブラリー1967年版序文)

 わが同志マルクスは『資本論』にこんな痛烈な序文を書かれないだけ、弟子たちに手厚く守られているというべきだろうか? いや、こんな弟子を持たず、レーニンのミイラのごとき経文と化しているところが、マルクス最大の不幸のように思われてくる。

 『資本論』は経済学的であると同時に、経済学批判である。この二つの領域が分かちがたく結びついている。恐慌激化の理論は、革命家マルクスのなかでは、「最期の鐘」=プロレタリア暴力革命と一体のものである。社会的労働が私的労働とその交換、その背後に隠れた階級関係として複雑多岐に分化していくこと……つまり「疎外」されてゆくことは、それ自身を自己否定、止揚していく動態的な発展過程としてとらえられていた。

 このマルクスの「疎外」を、ダーウィンの「進化」と重ね合わせて考えることはできないだろうかと、初めてフーコーの『言葉と物』を読んだときに思いついたことがあった。「科学の時代」の十九世紀人として、二人は近い場所にいる。

 もちろん、これはエンゲルスがいう意味とは異なっている。「歴史の法則」なるものを発見しただけなら、ヘーゲルの功績であるだろう。ダーウィンが生存競争や自然選択、適者生存のヒントを得たのは、マルクスも格闘したマルサスの人口論だった。

 若い頃には、これが何だかすばらしい思いつきに思えたが、もう少し整理してからにしよう。クロポトキンの『相互扶助論』(大杉栄訳)を読んでいるところだ。

(2005.11.24)


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