れんちゃん、メールありがとう。
新学期が始まって、がんばっているんだね。
日本のこと、いろいろ心配させちゃっているね。
米不足、水不足はあいかわらず。
水は手に入った。買い占めですぐ売り切れてしまうだけで、供給は変わっていないようだ。昼休みにスーパーに行けば、まだ棚に残っている。
南海トラフ地震の臨時情報にはじまり、のろのろ迷走する台風10号、結局、8月のスーパーは、結局、買いだめさんが絶えることはなかった。家族で手分けして、携帯で連絡を取り合いながら、あちこちのスーパーを回っている人たちもよく見かけたよ。きのうのレジの前の女性は、かご2杯分。支払いも一万円を超えていた。
こんな人たちがいたら、さすがに在庫一掃だね。
米不足は本物だ。もともと米の供給量が落ちる夏に、宮崎の地震で、はじめての南海トラフ地震の臨時情報が出された。パニックを起こす人がいるのもおかしくない。臨時情報が出たのは夏休み真っ最中。食べ盛りの男の子かいるご家庭は、さぞかし不安だったろう。
しかし9月には新米が出回るというのに、米を50キロも買い込んで、いったい、どうするつもりなんだろうね。本当に地震が来たところで、水道や電気やガスが止まったら、お米を炊くこともできない。
これは短期的な問題。米農家の減少や高齢化、農林水産省の政策の誤りなど、長期的な問題はまた別に考えていかなければならない。
今回の「米騒動」をきっかけに、日本の農業、食と生活について考えてくれる人が増えたらいいね(他人になんか期待していないけれど、角が立たないようにそういうことにしておくのさ)。
8月11日、穂高湖のイベントに参加して、12日深夜の電話を最後に消息を絶った女性は、残念ながら、いまだに発見されていない。
その日のイベント「山が海へ」には、私も行ってみようかなとも思っていたんだ。穂高湖を海に見立てて、山の上で海気分を楽しもうという趣旨のイベントだったと思う。イカ焼きやサザエつぼ焼きの屋台でも出ていたら楽しいなと思ったんだ。でも、私のイメージとはちがったらしいね。
しかし、その日、人と会う約束ができて、結局、その日はお山に出かけなかった。お目にかかったのは、H@Lさんの個展の帰り、いつものお蕎麦屋さんで相席になった女性だよ。亡くなったお連れ合いの著作を電子書籍にしたいけれど、どうしたらいいのかというご相談だった。実際の事例を示すために、お父さんもついにKindleデビューしてしまったよ。
新神戸駅からお山に入って、穂高湖のイベントを訪ねた女性が行方不明になってから、ツイッターには、さまざまな情報が寄せられた。
そのなかに、穂高湖で撮影された、その人らしき写真が投稿された。捜索情報に掲載されたのに似た、赤いリュックサックをかたわらに置いて、テーブルに突っ伏して寝ている女性の写真だった。ベンチには、おみやげでいっぱいのポリ袋も置かれていた。
家族へのおみやげだったのだろうか。私はあのおみやげが、食料や飲み物であったらいいなと思った。水と塩さえあればサバイバルできる。人間は意外に強い。
しかし、人間は同時に脆く弱い。女性が12日深夜に家族に送った最後のメールは、 「公園から貯水槽の川に向かって森の中を下っている」というものだったという。
公園? 貯水槽の川? 森?
「貯水槽」が、予測変換のタップミスで「貯水池」のことだとしたら、六甲森林公園から布引貯水池に向けて降りているという解釈が成り立つ。最初はそのような報道も見かけた(すぐに消えた)。
しかし、下山を開始したと家族に連絡があった11日午後から、この最後のメールまで、12時間ほどのタイムラグがある。女性は自宅のある須磨を徒歩でめざしていたのではないか。もしそうなら、この「貯水池」は「鳥原貯水池」かもしれない。捜索範囲は一挙に広がる。
ツイッターでは、「貯水槽」は「浄化槽」のことではないかという指摘もあった。さらに捜索範囲が広がる。
もう20日が経過してしまった。
状況はかなり絶望的である。
この女性の遭難事件から学ぶこと。
この女性は体力がありすぎるのが、災いしたかもしれない。
迷ったら、その場に留まり救助を待つこと。警察にも消防署にも連絡が通じず、自力で打開をめざすなら、降りるのでなく逆に登ること。六甲山系は山上のほうが開けている。ふもとのまちは近いように見えて、トラップだらけだ。道と思っていたら、たんに落ち葉が降り積もっているだけで、その下は奈落の谷の渓流なんて当たり前。危険すぎる。
そして、地名を正確に記憶することの大切さ。地名を正確に伝えるだけで、遭難したときの生存率は飛躍的に違ってくるだろう。今回の女性は、あいまいな表現で捜索範囲を半径数キロ以上に広げてしまった。
れんちゃんの栗の苗木は、今年は順調に育っているよ。
柵を補修して、猟犬を引退したロッキー号を導入して、どうにか2年連続で栗の苗木の新芽を食い尽くしてくれた鹿対策が成功した。
この栗園はれんちゃんのためにつくったものだよ。
50年後、お父さんはさすがに生きていないだろうけれど、れんちゃんはまだ元気にやっているだろうと思う。
しかし、れんちゃんも100年後に生きているかどうかは微妙だね。
でも、この栗の木たちは、50年後も、100年後も、200年後も生き続けるんだ。
この栗の木たちが生き続ける限り、ぼくたちが生きた証も残り続ける。
gooブログに引っ越してきてから出会った、「ひろこさんの傷跡」「泉の水を求める鹿のように」は、私がこれまでの人生で読んできたアーティクルのなかで、最も美しいテクストたちだ。ひとりでも多くの人に読んでほしいな。
ひろ子さんの傷跡 泉の水を求める鹿のように
以前、「フルート」という小咄を再録する際にご紹介した、愛読しているフルートの先生のブログ。音楽の喜び フルートとともに (goo.ne.jp) https://blog.go......