新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

私は鳥が歌うように、絵を描きたい(モネ)

2011年11月14日 | アート/ミュージアム
 きょうは光の画家、クロード・モネの誕生日。

 でも、グーグルのタイトル画像は変わったりしていなかったなあ。
 「13日が誕生日」と書いたサイトもある。
 しかしブログ更新の都合上(それか!)、きょうはモネの話。

 『アバター』以降、3Dの映画も増えたけれど、
 眼鏡なしで観るぼやぼや画像は、モネの「睡蓮」と同じだなあと思う。
 過去エントリにリンク。

 ☆印象派の水辺
 「モネは眼にすぎない――だが、何という眼だろう!」
 http://gold.ap.teacup.com/multitud0/23.html

 絵を描いたり写真を撮る人なら別だろうけれど、
 若い頃には、あの絵のよさが全くわからなかった。
 いや、いまもわかったとはいえないな。

 <モネの絵がわかったのではない――私にも「見えた」のだ。

 「見えた」からといって、別にどうってことはないのだった。

 しかしそのとき、私の目に見えていたのは、
 モネの見た睡蓮と、同じ睡蓮であることは、
 間違いのないことだった。

 水際だつ自然は、ことばよりも雄弁に、
 まだ見ぬ未来を指差している。>

 ちゃんとものごとを見きわめるには、
 「日常」「常識」という名のメモリを消去して、
 クリアな眼、耳、こころを再起動することが必要なんだね。
 たまには美術館やコンサートに出かけたり、
 スポーツで汗を流したりしなければ。

 初めてモネの睡蓮を見た日(14歳か15歳?)、
 『菜穂子』を読んでいたと書いている。
 あの高原の木漏れ日をイメージしたような新潮文庫の装幀と、
 不忍池と、モネの絵がオーバーラップしている。

 あの本を読んだ頃は、菜穂子のモデルはまだ存命だったことを知って、
 感慨深かった。
 (クライアントのあった六本木で時折お見かけした淀川長治さんが、
 太宰治と同年生まれと知ったときの感覚に近い)

 ☆『かなしき女王』 あざらしの娘
 http://gold.ap.teacup.com/multitud0/283.html

 印象派関連では、こんなエントリもありました。
 (ジュリーの日記は、休止中だけれどいずれ再開したい)

 ☆ジュリー・マネの肖像(1) ベルト・モリゾの娘
 http://gold.ap.teacup.com/multitud0/302.html

 ☆可愛いイレーヌ ルノワール展
 http://gold.ap.teacup.com/multitud0/275.html

 ひまなときにでも、のぞいてやってください。

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