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始まりと永遠と 蕪村×呉春『白梅図』の世界 逸翁美術館『蕪村 時を旅する』鑑賞メモ(3)

2022年06月18日 | 作家論・文学論

逸翁美術館『蕪村 時を旅する』鑑賞メモ(3)

 

 この蕪村展には、前期・後期2回訪ねた。

 

このエントリを含め8本の記事を書くことになってしまった。蕪村展も良かったけれど、池田の町そのものもよかった。

 

最後に取り上げたいのが、呉春画『白梅図』である。

 

この絵は逸翁美術館の図録の表紙絵にもなっている。蕪村、呉春、そして逸翁を結ぶ、この美術館のシンボル的な作品なのであろう。

 

この絵のモチーフになったのは、蕪村の絶筆となった「白梅」の図である。

 

 

「白梅に明る夜ばかりなり」

 

れんちゃんは、この『白梅図』の前で涙を流し、最後にはすごくいい笑顔で笑ったのだという。

 

この「文学少女五十鈴れんの冒険」シリーズの読者のみなさんはご存知だろう。彼女は芭蕉の古池の底にカエルの王国を空想し、父親のヴェルレーヌ訳をサポートして自分でもフランス語に挑戦し、今回も『晩秋秋鹿図』を蕪村一家のポートレートと考える、想像力豊かで、勉強好きで、こころ優しい少女である。

 

この絵の何が、彼女をそこまで感動させたのだろうか。

 

蕪村の句の意味そのものは単純明快である。

 

「白梅によって明ける夜だけが残された」。白梅が朝を告げているが、自分の命はこの夜限りであろう。

  

呉春は師が瞼の裏に最後に見たのであろう白梅を、見事に描き出している。

 

朔太郎はこの句に、イェイツの「象徴」の詩境、また「芭蕉風の静寂な主観」を見出した。これが最後の絶筆でなかったならば、甦生した蕪村は別趣の風貌を帯びたか知れない、ともいう(『郷愁の詩人 与謝蕪村』)。

 

蕪村の最後の句は、また新しい世界の始まりであった。れんちゃんの言葉を借りるなら、「最初で最後の1ページ」である。 

 

しかし私は朔太郎とは少し違った受け取り方をしている。「私」というより、「私たち」というべきだろうか。

 

私たちは、この「白梅」に、柏木隆雄先生が子規論で取り上げていた藤の歌を思い起こした。

 

もう立ち上がることもできない子規が歌い上げた藤の花は、病床に飾られた瓶の藤の花の写生であると同時に、源氏物語の花として、テクストの「不盡」「不死」の力の象徴であり、生へのあくなき渇望、切ないあこがれであった。

 

梅も菅原道真の「東風吹かば」の和歌、住吉大社や四天王寺が伝える謡曲「梅枝」など、多くの文学作品・芸能作品で取り上げられてきた。後述するように源氏物語にも梅の木のエピソードがある。私たちは、消えゆく蕪村の意識にあったのは、菅公の飛梅伝説であり、紫の上を失った光源氏の和歌だっただろうと思う。 

しかしこれら「象徴」としての梅を知らないからといって、この句の鑑賞にはなんの支障もない。

 

蕪村は、子規の藤の花のように、家の庭に咲いている現実の梅を、ありのまま感じたままに歌っているだけだからだ。それはいつの時代にもあり、どこにでもあり、だれもが知っている梅の木に過ぎない。

 

だからこそ、この句は人びとのイメージの中にある古典作品の伝統とつながることができた。そして、呉春、子規、朔太郎、逸翁という先哲たちのバトンを通じて、200年以上の生命力を持つことができたのである。

 

死の床の蕪村には、もう起き上がる気力も体力もなかっただろう。眼も見えていなかったかもしれない。

 

しかし詩人の鼻は梅の香りを嗅ぎつける。

 

梅は、鳥媒花である。

 

椿や山茶花や桃、私の郷里の枇杷、ミツバチが活動を停止する冬季に開花する花たちは、みんなそうだ。

 

梅の花は鳥たちが活動を始める日の出前に香り出す。

 

梅の香りに蕪村は夜明けを知る。

 

 

れんちゃんは、若いころに自然図鑑を作っていた父親の話から、想像の翼を広げていったようだ。

 

蕪村の故郷にある城北公園で見た白梅を思い出したのではないかという母親の直観も、当たらずとも遠からずだった。

 

もちろん、彼女はあの梅林を覚えていた。

 

そして不勉強な父親とは異なり、前期展を見た後に、蕪村に次の句があることもちゃんと調べていた。

 

「源八を わたりて梅の あるじかな」

 

源八渡しの東岸には梅見の名所の「中野の梅林」があった。

 

しかし十七歳で故郷を離れた蕪村は、源八渡しを二度と再び渡ることはなかった。

 

蕪村はたびたび大坂に出たという。しかし毛馬村には帰らなかった。京と大坂を結ぶ三十石船の船着き場の八軒家浜から、毛馬村までは半里あまり、歩いて30分程度にもかかわらず、である。

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの。そしてかなしくうたふもの。

 

朔太郎の『郷愁の詩人 与謝蕪村』は、親友の室生犀星論でもあったのかもしれない。朔太郎が、あれだけ深く蕪村の魂に迫れたのも、犀星というサンプルが身近にいたからではなかったか。

 

蕪村にとっても母なる故郷は、あの伝説の帚木(ははきき)のように、近づけば消えてしまうもので、もう二度と自分を受け入れてくれる場所ではなかった。

 

しかし孤独な蕪村にも、ようやくふるさとに帰れるときが来たのだ。

  

「白梅が夜明けを知らせているよ。さあ、日が昇る前に家に帰ろう」

 

れんちゃんは、蕪村に語りかける。ひとり娘のくのになりきって。

 

「ぉ父ちゃん。ずっとずひとりぼっちで、ぃままで、よぅがんばったなぁ。.

でも、もぅ、ぉうちに帰る時間や。ぉばあちゃんも、待ってはる。

毛馬は遠い? 夜明けまでには間に合わん? 

心配せんかてぇえんやで。飛梅伝説、知ってるやろ。梅には、時空を超えるワープ能力があるんやで。一瞬でピューッや。知らんけど。

でも京都の梅もぇえけど、やっぱり梅は中野の梅林やんなあ。

ほな、源八さん渡ってぉばぁちゃんのところ帰ろな?」

 

くのになりきっている彼女の関西弁が、ぎこちないものであることは、許してほしい。彼女は関東人の両親に育てられ、話し下手でいじめの対象となり、同級生とのコミュニケーションが皆無に等しかったのだから。

 

くのになりきった彼女は、蕪村の魂が、『春風堤馬曲』の薮入の少女のように、「白梅」の咲く都会の家から、老母の待つ田舎の家に帰ることができたことを確信する。孤独な蕪村の魂も、最後にはふるさとの母の懐へ帰れたのだ。

 

 

蕪村は、こどもに帰って、無邪気で天真爛漫な笑顔を浮かべていたにちがいない。「桃林騎馬図」の土手を行く従者のように、喜んで踊る又平のように。

 

 

朝日が昇れば、ウグイスやメジロが梅の花に集まってくる。けさも、あしたも、来年もまた。

 

季節はめぐり、いのちもめぐる。

 

めぐる時のなかで、人もことばをつなぎ、いのちをつないできた。だから世界はこんなにも美しい。

 

彼女は、蕪村のあの句と、呉春のあの絵に、そんな物語を読み込んだ。どんなに傷ついても、彼女は希望を信じ続けるだろう。

 

もちろん、これは、「こうあってほしい」と願う、彼女の創作にすぎない。

 

この句そのものは、「白梅の香りが朝を告げている。しかし自分の命はこの夜限りであろう」ということ以上のことはいっていない。

 

この展覧会で知ったが、蕪村には「春の夜や宵暁の其中に」(春の夜や宵暁のその中に)と詠んだ句もあるそうだ。「春はあけぼの」でも、「春宵(しゅんしょう)一刻値千金」でもない。いままさに「宵暁の其中」で、蕪村の命は燃え尽きようとしている。はっきりしているのは、それだけである。

 

 

死を前にした蕪村には、絶望と不安しかない。目の前にあるのは、前途暗澹たる夜ばかりである。父は永遠に悲壮なのだ。

 

死の床にあって、最後まで気がかりで心配だったのは、離縁されて実家に戻って帰ってきた、ひとり娘のくののことだったろう。

 

庭の梅を見て、紫の上を失った光源氏の歌を思い出すこともあったにちがいない。

 

「植えて見し 花のあるじも なき宿に 知らず顔にて 来居るうぐいす」

 

梅の花のあるじが亡くなったことも知らず、愛らしいうぐいすは今日も訪ねてくる。

 

自分が死んだ後、あのうぐいすはどうなってしまうのか。もちろん、このうぐいすとは、最愛の娘・くののことである。

 

想像だけで書いてしまうが、晩年の蕪村が門人たちに語ることといえば、「くののことをよろしく頼む」の繰り返しだったのではないか。

 

私の想像どおりなら、蕪村亡き後、門人たちはこの師の悲願に誠実に応えたというべきだろう。

 

門人たちはくのの再婚資金をつくるために、蕪村の自筆句稿の断簡に挿絵などをつけて売りに出している。これらの作品は「「嫁入り手」と呼ばれるのだそうだ。

 

後期展では弟子の呉春の画賛による「桐火桶「桐火桶無弦の琴の撫こゝろ」」の句が出展されていた。この画賛はポストカードになっていた。右側に貼られているのが蕪村の自筆の句で、左側が呉春の画賛。描かれているのは蕪村の雅号の由来になった『帰去来』の陶淵明だが、師の面影も投影されているようにもみえる。

 

 

 

 

再婚後のくのは、どんな人生を歩んだのだろう? 私の気がかりもその点だけである。

 

しかしネットでは、記録が見つからない。便りがないのはいい知らせという。記録がないのも、いい知らせと思いたい。市井の人として幸福な人生を送ったのだと信じよう。

 

「時」をテーマにしたこの蕪村展で、この『白梅図』を展示のラストに持ってきたのは、見事というほかにない。まさに有終の美だった。

 

ほかにも素晴らしい蕪村の書画に出会うことができた。

 

『晩秋遊鹿図』と『白梅図』の二作は全期を通じて展示されているから、ぜひみなさんにも見ていただきたい。

 

逸翁美術館『蕪村 時を旅する』

 

会期は6月26日(日)まで。

 

 http://www.hankyu-bunka.or.jp/itsuo-museum/

 

 

 

 

逸翁美術館のおみやげ。

れんちゃんお気に入りの国芳の「金魚づくし」メモ帳。

表紙は厚紙にトムソン加工で金魚の形に切り抜き、マグネットで閉じるようになっています。

かわいいと同時に、メモ本体の紙が傷みにくいすぐれもの。

 

 

 



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2 コメント

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Unknown (a6dorno8)
2022-06-18 18:04:12
>無邪気で天真爛漫

こういう大人って最近ちっとも見なくなりました。絶滅したのか?

かと思ってほとんど諦めムードでいたところ、ひょんなところが目に入ってきました。よっこらっあ、と探してみたわけです。すると、いることはいる、とやや力が戻ってきました。

綾辻行人「黒猫館の殺人」(講談社文庫)の「あとがき」で法月綸太郎が綾辻行人を評して「無邪気」と形容しているのですね。そういえばそうかも、と。なるほど、と。思ったわけです。

綾辻氏が尊敬している作家の一人に「函」で有名な竹本健治氏がいますよね。「函」といえばただ単なる物だけではなくて読む「函」があったなと。刺激的でなおかつ充実していてたいへん印象深いので思い出します。というのも「函」のような作品を世界の読者に向けて公開するにはただ本格ミステリの骨格さえ身につけていれば書けるというわけではまるでなく、そもそも「無邪気」でなくてはできないことだろうと思ってましたから。

そんなわけで、くろまっくさん。三題噺、頑張って見せてください。

ではでは。
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Unknown (kuro_mac)
2022-06-18 22:19:53
こんばんは。

綾辻行人は京女に通っていた従姉のバンド仲間だったそうです。

大原の人形館に行ったツイートを見かけました。ときどき出没するようですね。地元の人いわく「ヒラヒラした人」(ゴスロリ?)の仲間ということになるのかな? 

漫画原作の『月館の殺人』しか知らないんですが、漫画表現による叙述トリックで、あれは傑作でした。鉄道に乗ったことのない少女が主人公の鉄道ミステリというのも秀逸でした。鉄道オタクたちが、また面白くて。

佐々木倫子のあとがきマンガによると、舞妓さん呼んでくれたそうで、驚きの連続だったようです。

三題噺にも大原出てくる話が出てきます。あれは困ってしまって、アクロバットだったなあ。お楽しみに!
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