お目にかかったことも、言葉も交わしたことさえないのに、こころの底から信頼している方々がいます。。
この週末は、そのうちの二人の訃報を相次いで知らされることになりました。
一人は高見のっぽさん。のっぽさんとゴン太くんに捧ぐ習作。
『できるかな』は、ほぼリアルタイム世代です。
ダンボールやガムテープを見ると、ゴン太くんのために素敵なおもちゃを作り出す、のっぽさんの魔法の手を思い出します。でも、のっぽさん自身は不器用で、材料にはスタッフがわかりやすく目印を入れるなどのサポートがあったそうです。だから、おもちゃが完成したときののっぽさんの笑顔は、「自分にもできた!」という心からの笑顔だったということです。
いま、ものづくりの現場に近い場所にいるのも、この番組の影響かな?
ことばを一言も発しないのっぽさんと、「ウゴウゴ」としか話せないゴン太くんと(クイーカというブラジルの民族楽器の音だそうです)のパントマイム劇は、「コミュニケーション」なるものを考えるときの原点になっているような気がします。たとえお互い思いが伝わらなくてもわかり合うことはできるし、わかり合えなくても思いを伝えることはできるという、希望であり、諦念です。
時代は下り……
1990年3月、それまで無言だったのっぽさんが「あー、しゃべっちゃった」というセリフを発した、伝説の『できるかな』最終回を、私はリアルタイムで視聴しました。あのときの衝撃。
私は当時発行していたミニコミに、そのショックと、のっぽさんとゴン太くんにお別れを告げるエッセイを発表しました。
私がミニコミを創刊したのも、C派が組織破防法の適用を受けたときに備えて、宣伝煽動のための印刷・出版ルートを確保してほしいと、ある人に依頼されたことがきっかけでした。私はセクトやノンセクト、ノンポリも含めた一種の人民戦線としてそのミニコミを位置づけました。しかし、何が理由だったかはわかりませんが、その人の戦線離脱に伴い、セクトの諸君は私のミニコミから去っていきました。私の「できるかな」論も、ブルジョア主義、市民主義とセクトの諸君には不評でした。
しかしのっぽさんは3・11以降、反原発、反戦平和、護憲の立場を鮮明に表明していました。どうしてこの方をオルグしようとしないのか。しかしまあ、党派テロリズム、また爆弾闘争で、無辜の民に犠牲者を出した過去を総括しきれていないC派を、のっぽさんが支持するわけがないことも明らかでした。
私は大切な人を二人亡くしたと書きましたが、いま一人はハードボイルド作家の原 尞さんです。
チャンドラーに影響を受けた文学者として村上春樹がいるけれど、春樹の比喩は特にゼロ年代以降は滑りがちです。この点、原尞さんにはそんな嫌味や臭みがない。日本の風土・社会(!)にチャンドラー的文体がマッチしている。日本におけるハードボイルドの可能性を指し示した偉大な作家だったと思います。
私に原尞氏を勧めてくれたのは、私のミニコミに、セクトメンバーとして唯一の執筆者として残ったE氏でした。
ここで昔語りになりますが……。
1980年代後半、C派は新左翼最大の過激派といわれていました。
しかし実態はどうだったでしょう。元ブントのある人いわく「最小犠牲、最大効果」ならぬ「最大犠牲、最大効果」が持説のS議長の方針により、10・20三里塚十字路戦闘、11・29浅草橋戦闘で、全学連の主たる幹部は逮捕・投獄され、学生戦線は完全に瓦解してしまいました。
80年代後半のいわゆる全学連執行部にも、10・20闘争参加者はほとんどいなかったように思います。主要なメンバーはすでに逮捕・投獄されていたか、地下に潜行するか、すでに離脱していたからです。
私はセクトとは距離をとりながらも、あの頃はE氏ら気のおけない友人たちもいて、まだ完全には関係を断っていませんでした。10・20ほかの「生きるレジェンド」だったようです。
ある日、E氏が「おまえにはこの本を読んでほしい」と持ってきた本があります。それが、原 尞 氏のデビュー作『そして夜は甦る』でした。『できるかな』最終回の翌日でした。当時はまだワープロ時代で、編集部で手書きの原稿をワープロ入力するのですが、E氏はフロッピー入稿してくれる最先端(?)の過激派でした。パソコン通信を使った宣伝・煽動活動を提起したけれど、セクトは全く無反応でした。あの感度の悪さ、右翼にだいぶ遅れをとってしまいました。
脱線するようですが……。
若いころの私はスモーカーで、禁煙する前は両切りのショートピースを愛飲していました。
ショートピースを愛飲したのも、E氏の勧めによるものでした。
沢崎シリーズの沢崎が愛飲するのが、ショートピースだったからです。
E氏も元はスモーカーでしたが、デモで息切れしてしまい、女性同志にもついていけなかったのがショックで、禁煙したのです。
「それなのにおまえは体に悪いタバコを吸い続けようとしている。それなら、沢崎を見習っていちばんニコチンのきついショートピースにしろ」
と、言い渡されたわけですね。
20年くらい、この約束を守ったのかな。
しかし私も結局、病気になり、10年前に禁煙してしまいました。
禁煙したとはいえ、いまでもタバコ吸いたいなあ、と思うことがあります。
いまタバコを吸ったら一発で解決なのに、と思う瞬間があります。
だから、ニコチン依存症を完全に抜けきったとはいえないようです。
2018年の沢崎シリーズ最終作『それまでの明日』では、沢崎もすでに60代。
あの男もすでに老々介護で。時代を感じさせる作品でした。禁煙を強いられながら、いまも生涯現役でがんばる70代、80代の沢崎の話も読んでみたかったなあ。
れんちゃんのお友達のくろちゃんです。
この不敵な面構えがかわいいでしょ?
れんちゃんが「こども」を「小さな人」と呼ぶのは、のっぽさんの影響だそうです。
「赤旗」掲載ののっぽさんのインタビューです…はぃ。
のっぽさん、原尞さん、ほんとうにすてきな人たちと出会えて、楽しい人生でした。人生の折り返し地点はとっくに過ぎてしまいましたが、残る日々も慈しんで楽しんでいきたいと思います。