※ご注意
・主観的内容です。
おkならどうぞ↓
喉は確かに強そう…ていうかある程度歌いこんでからのが調子よさそう、
ていうのはライヴ見てるとみんな思ってるやろうね。
これだけ長年歌い続けて来てると、ずっと声が歴史として残ってて。
その変化を結構楽しめるヴォーカリストの一人やと思う。
長年歌っててもあんまし変わらへん人もおれば、
変わることが分かる前にこの世界からいなくなる人もおるから。
歴史を経た変化に留まらず、
HYDEさんは、「どんな曲でも歌える」ヴォーカリストやと思ってて。
なんせL'Arc~en~Cielがどんな曲も作るから。
それを表現できる必要があるもんね。
特徴的な声ではあるし、歌い回しとか、誰が聴いても
「あ、ハイドや」って思う歌やし、好みもあるやろけど。
「歌える」っていうのは技術的な意味よりもやっぱり表現として。
バラードをバラードとして、ロックをロックとして、
それらを「誰が聴いてもハイド」で歌えるっていう。
ライヴでお客さんを盛り上げるのはほんまに上手やなと思う。
煽るよねー(笑)山と谷って言うてはったけど、確かに上手いと思う。
音源の完成度が高くて、なおかつ『ライヴバンド』やっていうのは、
数少ないと思ってて。
L'Arc~en~Cielは、まさにそう。
音源は年々クオリティが上がって行ってる。
それに対するライヴのパフォーマンスがつりあってるって、
ほんますごいことやと思う。かかってる時間とか労力とかが。
個人的には、VAMPSは、ライヴの比重が高いと思ってて。
ライヴで更にパフォーマンスが上がる感じ。
音源は荒削りロックな部分もあるし。
ていうかそこを狙ってるのかなと。
荒削りロックに聴こえるけど聴き込んでいくとすごく計算されてる部分もあって、
したたかやなーと思う曲もあるよね。
自分たちが盛り上がってナンボっていうライヴなら、
アマチュアや趣味のバンドでいい、
っていうことなんやろうね。
自分らのパフォーマンスに酔ってるうちはプロとは言えへん。
プロである以上、お金をもらってライヴをやる以上、
観客をどれだけ満足させられるか、そこが一番重要やと思う。
ミュージック・クリップの話は、なんか読めて貴重やったっていうか。
20th L'ANNIVERSARY LIVE京セラで、『CHASE』のクリップについて、
hydeさんがチラっと言うとったんは、こういう意味やったんやなーって。
そう思いながら音源だけを聴いたり、
ミュージック・クリップを見たりすると、それはそれで、楽しめるよね(笑)
ジャケットやグッズのデザインについては、
以前からこういう風に言うてはったから、
実際に飾ってるのを想像してみたりした。
そう考えたら、やっぱりジャケットって、ひとつの絵画っていうか、
芸術作品なんやなあって。
長年、壁に飾ってあったって、見飽きない、
逆に繰り返し見ることで違って見えてくるぐらいの、
そういうものの方がいいな。
あまり流行に左右されないものの方が。
L'Arc~en~Cielや、HYDEの曲そのものが、
時間が経ってから聴いてもかっこいいんやから、
常に見えるところにジャケットがあったって、
流行遅れに見えへんのがいいよね。
セールスに関する彼のこだわりは、
プロがプロである以上、持ち続けていくべきものやんね。
でもほんま、言うてはる通りやと思う。
自分たちがいいと思ったものを、
一人でも多くの人に、いいと評価してもらうっていうことは、
世の中の感覚とかけ離れていなくて、
なおかつ、その感覚を牽引する感性が必要やんね。
世の中に追随しててはダメなんや。
それは、「自分たちがいいと思ったもの」じゃない。
だからといって、
そこを追求しすぎたら、評価してくれるのがコアな人たちになっていく。
多くの人がいいと思うものを、
生み出し「続けて」いくためには、
世の中より「常に少し前に居続ける」ことが必要なんかなって思う。
どれだけのミュージシャンが一発屋で消えていくやろう。
どれだけの音楽が消費されては消えていくやろう。
一発屋で消えた人も、消費された音楽も、
それは決してつまらないものじゃなかったはずやねん。
誰かが、これは世の中に出してイケるって思ってるんやから。
半端じゃないお金かって、人かって動いてるんやから。
それでも、どんな業界より厳しいこの音楽ビジネスの世界で、
感性とセールスを両立し続けてることは、
ほんまに神業…を、人の手で成し遂げていってるってことやもんね。
その重みが、この20年ていう歴史にはあるよね。
・主観的内容です。
おkならどうぞ↓
喉は確かに強そう…ていうかある程度歌いこんでからのが調子よさそう、
ていうのはライヴ見てるとみんな思ってるやろうね。
これだけ長年歌い続けて来てると、ずっと声が歴史として残ってて。
その変化を結構楽しめるヴォーカリストの一人やと思う。
長年歌っててもあんまし変わらへん人もおれば、
変わることが分かる前にこの世界からいなくなる人もおるから。
歴史を経た変化に留まらず、
HYDEさんは、「どんな曲でも歌える」ヴォーカリストやと思ってて。
なんせL'Arc~en~Cielがどんな曲も作るから。
それを表現できる必要があるもんね。
特徴的な声ではあるし、歌い回しとか、誰が聴いても
「あ、ハイドや」って思う歌やし、好みもあるやろけど。
「歌える」っていうのは技術的な意味よりもやっぱり表現として。
バラードをバラードとして、ロックをロックとして、
それらを「誰が聴いてもハイド」で歌えるっていう。
ライヴでお客さんを盛り上げるのはほんまに上手やなと思う。
煽るよねー(笑)山と谷って言うてはったけど、確かに上手いと思う。
音源の完成度が高くて、なおかつ『ライヴバンド』やっていうのは、
数少ないと思ってて。
L'Arc~en~Cielは、まさにそう。
音源は年々クオリティが上がって行ってる。
それに対するライヴのパフォーマンスがつりあってるって、
ほんますごいことやと思う。かかってる時間とか労力とかが。
個人的には、VAMPSは、ライヴの比重が高いと思ってて。
ライヴで更にパフォーマンスが上がる感じ。
音源は荒削りロックな部分もあるし。
ていうかそこを狙ってるのかなと。
荒削りロックに聴こえるけど聴き込んでいくとすごく計算されてる部分もあって、
したたかやなーと思う曲もあるよね。
自分たちが盛り上がってナンボっていうライヴなら、
アマチュアや趣味のバンドでいい、
っていうことなんやろうね。
自分らのパフォーマンスに酔ってるうちはプロとは言えへん。
プロである以上、お金をもらってライヴをやる以上、
観客をどれだけ満足させられるか、そこが一番重要やと思う。
ミュージック・クリップの話は、なんか読めて貴重やったっていうか。
20th L'ANNIVERSARY LIVE京セラで、『CHASE』のクリップについて、
hydeさんがチラっと言うとったんは、こういう意味やったんやなーって。
そう思いながら音源だけを聴いたり、
ミュージック・クリップを見たりすると、それはそれで、楽しめるよね(笑)
ジャケットやグッズのデザインについては、
以前からこういう風に言うてはったから、
実際に飾ってるのを想像してみたりした。
そう考えたら、やっぱりジャケットって、ひとつの絵画っていうか、
芸術作品なんやなあって。
長年、壁に飾ってあったって、見飽きない、
逆に繰り返し見ることで違って見えてくるぐらいの、
そういうものの方がいいな。
あまり流行に左右されないものの方が。
L'Arc~en~Cielや、HYDEの曲そのものが、
時間が経ってから聴いてもかっこいいんやから、
常に見えるところにジャケットがあったって、
流行遅れに見えへんのがいいよね。
セールスに関する彼のこだわりは、
プロがプロである以上、持ち続けていくべきものやんね。
でもほんま、言うてはる通りやと思う。
自分たちがいいと思ったものを、
一人でも多くの人に、いいと評価してもらうっていうことは、
世の中の感覚とかけ離れていなくて、
なおかつ、その感覚を牽引する感性が必要やんね。
世の中に追随しててはダメなんや。
それは、「自分たちがいいと思ったもの」じゃない。
だからといって、
そこを追求しすぎたら、評価してくれるのがコアな人たちになっていく。
多くの人がいいと思うものを、
生み出し「続けて」いくためには、
世の中より「常に少し前に居続ける」ことが必要なんかなって思う。
どれだけのミュージシャンが一発屋で消えていくやろう。
どれだけの音楽が消費されては消えていくやろう。
一発屋で消えた人も、消費された音楽も、
それは決してつまらないものじゃなかったはずやねん。
誰かが、これは世の中に出してイケるって思ってるんやから。
半端じゃないお金かって、人かって動いてるんやから。
それでも、どんな業界より厳しいこの音楽ビジネスの世界で、
感性とセールスを両立し続けてることは、
ほんまに神業…を、人の手で成し遂げていってるってことやもんね。
その重みが、この20年ていう歴史にはあるよね。