学長のひやかし

本(もと)はみな たれもの晒しの白木綿 
染めつよこれつ 末はいろいろ

自己肯定力欠乏症(※)

2006年01月12日 | news
 いささか心に響く記事を見つけた。

○「縦並び社会・格差の現場から:やり直すために」(毎日新聞連載1月11日)にによれば、フリーター・ニートに甘んじてしまう人々には不器用な人が多いという。

 不器用な人・・・ギクリとする言葉です。もしかしたら私も軽くそうかもしれない。不器用とはかなりの抽象語で、明快な感覚がつかめない言葉かもしれない。簡単に言えば、決して不真面目であるわけではなくむしろ逆にまじめすぎて、慎重になりすぎたり、臨機応変な行動ができない人といったところだろうか。

 こうした不器用な人に共通するのは、自分でちゃんとした力をもっているのにもかかわらず、それに対して自信がもてない「自己肯定力」が極度に欠乏している。要するに気が小さい、小心者なのだ。それゆえ就職や恋愛において好機を逃すなど人生においてかなり損をしまっている。生まれながらにという人もいるし、リストラや失恋といった負の事件でトラウマになり、そういった性格になってしまう人もいるだろう。

 このような性格から立ち直るのはきわめて難しい。一番の治療法は周りの家族、友人が些細なことに気づき、ほめて少しずつ自信を持たせる(回復させる)ことだろう。しかし一口に褒めると言っても加減が難しい。あまり度が過ぎてしまうと、よいしょになり逆に本人のプライドを傷つけてしまうかもしれない。あくまでも具体的に、長期戦の構えが必要だ。

 考えてみれば現代は、自己肯定力欠乏症になりやすい世の中ではないかと思う。
 社会においては、不景気や人員削減でリストラや就職不採用が続き、社会から必要とされていないのではないかと錯覚しやすくなっている。
 人間関係においては、自己中心的な人間や相手を傷つけるような言葉を平気で使うような人間が増え、人間関係恐怖症に陥る人間も少なくない。
 もちろんそうした逆風に対して、ポジティブに考えるプラス思考、まいっかと割り切る解結力(※)、なによりそれに耐える強固な精神力を自分が持つにこしたことはないが、内面的な改革は前述の通りなかなか難しい。他力本願ではあるが、もう少し世の中が周りの人に対して思いやるといった人間らしい生き方を大事にするような風潮になってくれれば、少しはそういった方も住みやすい世の中になるのではないかと思う。

 本日取り上げた毎日新聞の連載記事「縦並び社会」については、いずれまたじっくり考えてみたいと思う。

(※)・・・筆者の造語