平成最後の日に

一昨昨日、二年ぶりに叔父に会った。齢は94を数え、寄る年波への備えを細々と行う日々だそうだ。父が、その様子を心配し、『兄に会いに行って欲しい』と言葉をかけられてから、随分と時間がかかってしまったが、ようやくその思いに応えることができた。体が思うように動かず、意志の何分の一も進まない作業にもどかしさを感じるという。それはそうだろう。父の兄弟の中では唯一、戦争を実際に体験している、屈強の軍人だったのだから。その叔父の体験談がとても強く心に残ったのでここに記しておきたい。





どうしても昨日のことのように、目の当たりにはっきりとよみがえる記憶。1945年7月28日、重巡洋艦『青葉』の乗組員だった叔父は、天一号作戦(片道燃料の特攻)にむかう戦艦『大和』以下の艦船に燃料を全て移し、動くことのできないまま、浮き砲台として呉軍港に留まった艦とともに呉にいた。艦にいても何も出来ないため、命令により陸に降りたそうだ。降り立ったところは、何も遮るもののないただの平地。その時に、大量の大型爆撃機が押し寄せてくるのに気がついた。軍艦の中にいればにいればまだしも、平地で何も守ってくれない場所で爆弾を落とされたらひとたまりもない。『ああ、自分はここで死ぬんだ』と観念・絶望したそうだ。





ところが、その時、沖に係留されていた軍艦から一斉の機銃掃射があった。『青葉』の向こう側で、みるみる集中攻撃を受けて炎に包まれる航空戦艦『伊勢』の姿は忘れられないという。爆撃機は、機銃掃射に誘われるように沖に全ての爆弾を投下したため、叔父は九死に一生を得た。しかし、その一連の戦闘で700を超える命が失われ、その時の記憶は長い年月にわたり叔父を苦しめ続け、ようやく戦後40年を経て夢に見ることは無くなったという。









決して戦争を美化してはならない

戦争は負の遺産しか残さない

戦争は人間の最も愚かな行いであると思う



しかし、このような時代があって、

また、今の時代があるということは

しっかりと心に刻んでおかなければならないと思う





先の平成天皇のお言葉、『平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています。』というお言葉の重みを感じて、また『令和』も、戦争のない時代であることを心から願ってやまない。





Editor CABEZÓN

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