日本書紀 巻第二十六
天豊財重日足姫天皇 七
・蘇我赤兄が有間皇子謀反を通報
(斉明天皇4年)
十一月三日、
留守官(とどまりまもるつかさ)の
蘇我赤兄臣(そがのあかえのおみ)が
有間皇子(ありまのみこ)に語って、
「天皇が治める政事には、
三つの失があるでしょう。
大いに倉庫を起こし、
民財(おおみたからのたから)を
集積したのが、
一つ。
長く渠水(みぞ)を穿ち、
公の粮を損ね費やしたのが、
二つ。
舟に石を載せて運び、
積み上げて丘としたのが、
三つ」
といいました。
有間皇子は、
乃ち、
赤兄が己に善であることを知って、
よろこび答えて、
「吾の年になり、
始めて兵を用いるべき時がきたのか」
といいました。
五日、
有間皇子は、
赤兄の家に向かい、
樓に登り謀りごとをしました。
夾膝(おしまづき)が
自ずとおれてしまいました。
ここにおいて、
たがいに不祥(ふしょう)であると知り、
倶に、
盟(ちか)いを止めました。
皇子は帰りとまりました。
この夜半、
赤兄は、
物部朴井連鮪
(もののべのえのいのむらじしび)を
遣わして、
宮を造る丁(よろほ)を率いて、
有間皇子の市経(いちふ)の家を
囲みました。
すなわち駅使(はいま)を遣わして、
天皇に奏しました。
九日、
有間皇子と
守君大石(もりのきみおおいわ)、
坂合部連薬(さかいべのむらじくすり)、
塩屋連鯯魚(しおやのむらじこのしろ)を
捉えて、
紀温湯(きのゆ)に送りました。
舍人の
新田部米麻呂(にいたべのこめまろ)が
従いました。
ここにおいて、
皇太子は自ら有間皇子に問いかけて、
「何故に、
謀反しようとしたのか」
といいました。
答えて、
「天と赤兄が知っている、
吾は全く解せない」
といいました。
・留守官(とどまりまもるつかさ)
=りゅうしゅかん / るすかん・令制で、天皇の行幸の時、宮城にとどまり、天皇の代理を務める官。通常は皇太子が代理となるが(皇太子監国)、臣下を任命する時に留守官と称する。留守のつかさ
・渠水(みぞ)
水路
・夾膝(おしまづき)
=脇息(きょうそく)とは、脇に置いてもたれかかるための安楽用具
・不祥(ふしょう)
めでたくないこと。不吉
・市経(いちふ)
奈良県生駒郡生駒町一分
・駅使(はいま)
早馬
(感想)
(斉明天皇4年)
11月3日、
留守官の蘇我赤兄臣が
有間皇子に語って、
「天皇が治める政事には、
三つの失政があるでしょう。
大いに倉庫を建て、
民の財を集積したのが、一つ。
長く水路を掘り、
公の粮食を損ね費やしたのが、二つ。
舟に石を載せて運び、
積み上げて丘としたのが、三つ」
といいました。
有間皇子は、
この時、
赤兄が己に善意的であることを知って、
よろこび答えて、
「この年になり、
始めて兵を用いるべき時がきたのか」
といいました。
5日、
有間皇子は、
赤兄の家に向かい、
楼に登り謀りごとをしました。
しかし、
安楽用具が自ずとおれてしまいました。
そこで、
たがいに、
不吉であると知り、
共に、盟いを止めました。
皇子は帰宅しました。
この夜半、
赤兄は、
物部朴井連鮪を派遣して、
宮を造る丁を率いて、
有間皇子の市経の家を囲みました。
すぐに早馬を派遣して、
天皇に奏上しました。
9日、
有間皇子と
守君大石、坂合部連薬、塩屋連鯯魚を
捕えて、
紀温湯に送りました。
舍人の新田部米麻呂が従いました。
ここで、
皇太子は自ら有間皇子に問いかけて、
「何故に、謀反しようとしたのか」
といいました。
答えて、
「天と赤兄が知っている、
吾は全く解せない」
といいました。
有間皇子は、
孝徳天皇の皇子です。
その有間皇子は、
蘇我赤兄臣に、
はめられっぽいですね。
さて、
蘇我赤兄臣の単独では無さそう。
背後には誰かいそうですね。
やはり…
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。