リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 一 ・出自 ・称制する ・長津宮に遷居



日本書紀 巻第二十七 

天命開別天皇
(あめみことひらかすわけのすめらみこと)

天智天皇
(てんじてんのう)

・出自
・称制する
・長津宮に遷居



天命開別天皇は、

息長足日広額天皇
(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)
の太子です。

母は、
天豊財重日足姫天皇
(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)
といいます。

天豊財重日足姫天皇四年に、

位を天万豊日天皇
(あめよろずとよひのすめらみこと)
に譲りました。

天皇を立てて、
皇太子としました。

天萬豊日天皇は、
後に五年十月に崩じました。

明年、
皇祖母尊(すめみおやのみこと)が
天皇に位に即(つ)きました。

七年七月二十四日、
崩じました。

皇太子は、
素服(あさものみそ)で
称制(まつりごときこしめす)しました。

この月、
蘇将軍と
突厥(とつけつ)の王子の
契苾加力(けいひつかりき)等が、

水陸の二路から
高麗の城下(さしもと)に至りました。

皇太子は、
長津宮(ながつのみや)の遷居し、

ようやく、
水表の軍政を聴きました。



・素服(あさものみそ)
=素服(そふく)・凶時に際して着用する喪服の一種。 本来は飾り気のない凶服の総称であり、染めない素地のままの麻の布などが用いられた
・称制(まつりごときこしめす)
=しょうせい・君主が死亡した後、次代の君主となる者(皇太子等)や先の君主の后が、即位せずに政務を執ること
突厥(とつけつ)
6世紀に中央ユーラシアに存在したテュルク系遊牧国家



(感想)

天智天皇は、
舒明天皇の太子です。

母は、
斉明・皇極天皇といいます。

皇極天皇四年に、
位を孝徳天皇に譲りました。

中大兄皇子を立てて、
皇太子としました。

孝徳天皇は、
後に白雉五年十月に崩じました。

翌年、
皇極・斉明天皇が天皇に位につきました。

斉明天皇7年7月24日、
斉明天皇が崩じました。

皇太子は
素服で即位せずに
政務を執りました。

この月、
唐の蘇定方将軍と
突厥の王子の契苾加力らが、

水陸の二路から
高麗の城下に到着しました。

皇太子は、
長津宮に遷居し、

ようやく、
海外の軍政を聴きました。

今日から天智天皇の条を
読んでいきたいと思います。

お付き合いいただけたら幸いです。

さて、
天智天皇の御代は
どのような時代だったのでしょうか?

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


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