日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 六十三
・高麗を征伐する
八月、
天皇は、
大将軍(おおきいくさのきみ)・
大伴連狹手彦
(おおとものむらじさでひこ)を遣わし、
兵、数万をひきいて、
高麗を伐(う)ちました。
狭手彦は、
すなわち百済の計を用いて、
高麗を打ち破りました。
その王は、
塀をこえて逃げました。
狭手彦は、
ついに勝に乗じて宮に入り、
尽きるまで珍寶貨賂(たからもの)、
七織帳(ななえのおりもののとばり)、
鐵屋(くろがねのいえ)を得て、
還って来ました。
(旧本は云う、鐵屋は高麗の西の高楼の上に在りました。織帳は高麗王の内寝(おおとの)に張られていたと)
七織帳をもって、
天皇に献じ奉りました。
甲(よろい)を二領(りょう)、
金飾刀(こがねづくりのたち)を
二口(ふたくち)、
銅鏤鍾(あかがねのえりたるかね)を
三口(みくち)、
五色の幡(はた)を二竿(ふたざお)、
美女の媛(媛は名です)と
併せてその従女(まかたち)・
吾田子(あたこ)を、
蘇我稲目宿禰大臣
(そがのいなめすくねのおおおみ)
に送りました。
ここにおいて、
大臣は遂に二女を納(い)れて、
妻とし、
軽の曲殿に居させました。
(鐵屋は長安寺(ちょうあんじ)に在ります。この寺が、どの国に在るのか、わかりません。一本は云う、十一年大伴狭手彦連は、百済国と共に、高麗の王・陽香(ようこう)を比津留都(ひしるつ)に駆却(おいしりそく)と)
冬十一月、
新羅は使いを遣わして、
ものをたてまつり、
併せて調賦(みつぎもの)を貢ぎました。
使人は、
新羅が任那を滅ぼしたことを、
国家が悉く憤っているのを知り、
敢えて帰国を請いませんでした。
刑に至ることを恐れて、
本土に帰らず、
百姓のたぐいと同じでした。
今、摂津の国の
三嶋の埴廬(はにいお)の新羅の先祖です。
・珍寶貨賂(たからもの)
=珍寶(うづたから・宝物)貨賂(かろ・金銭・宝石などの贈物。特に利益を得る目的で人に金銭などを贈ること。賄賂
・銅鏤鍾(あかがねのえりたるかね)
=どうろうしょう・彫刻をした青銅の鐘
・従女(まかたち)
貴人につき従う女
(感想)
(欽明天皇23年)
8月、
天皇は、
大将軍・大伴連狭手彦を派遣して、
兵、数万を率いて、
高麗を征伐しました。
狭手彦は、
そのとき、
百済の計画を用いて、
高麗を打ち破りました。
その王は、
塀を越えて逃げました。
狭手彦は、
ついに勝に乗じて宮に入り、
尽きるまで
金銭・宝石などの贈物、
七織帳、
鐵屋を得て、
帰国しました。
(旧本は云う、鐵屋は高麗の西の高楼の上に在りました。織帳は高麗王の内寝に張られていたと)
七織帳を天皇に献上しました。
鎧を二領、
金飾刀を二口、
銅鏤鍾を三口、
五色の幡を二竿、
美女の媛と併せて、
その従女・吾田子を、
蘇我稲目宿禰大臣に送りました。
なんでしょう?
天皇に七織帳だけ、
対して、
蘇我稲目宿禰大臣には、
沢山の贈り物。
おかしくありません?
天皇の力より、
蘇我稲目宿禰大臣が
勢力を伸ばしていたのでしょうか?
ここにおいて、
大臣は遂に二女をいれて、
妻とし、軽の曲殿に居させました。
(鐵屋は長安寺に在ります。この寺が、どの国に在るのかわかりません。一本は云う、十一年大伴狭手彦連は、百済国と共に、高麗の王・陽香(ようこう)を比津留都(ひしるつ)に追い退けたとあります)
冬11月、
新羅は使者を派遣して、
物を奉り、
併せて貢物のを献上しました。
使者は、
新羅が任那を滅ぼしたことを、
帝が悉く憤っているのを知り、
敢えて帰国を請いませんでした。
刑に至ることを恐れて、
本土に帰らず、
百姓のたぐいと同じでした。
今、
摂津の国の三嶋の埴廬の新羅の先祖です。
明日に続きます。
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