リートリンの覚書

日本書紀 巻第十二 去来穂別天皇 五



日本書紀 巻第十二 去来穂別天皇 五

・瑞歯別皇子の策略



瑞歯別皇子は嘆いて、
「今、太子と仲皇子は、並びに兄である。
誰に従い、誰に乖(そむ)くのか。

然るに、無道を亡ぼして、
道ある者に就くのなら、
誰が我を疑うだろうか」
といいました。

則、難波に詣りて、
仲皇子の消息を伺いました。

仲皇子は太子が既に逃亡したと思って、
備えもしていませんでした。

時に、近習する隼人がいました。
刺領巾(さしひれ)といいます。

瑞歯別皇子は密かに刺領巾を喚(めして)、
彼に誂(あつら)えて、
「我の為に皇子を殺せ。
吾は必ず敦く汝に報いよう」
といいました。

乃ち、錦の衣褌を脱いでこれを与えました。

刺領巾は、
その誂え言ったことを恃(たの)んで、
独り矛を執り、
仲皇子が厠に入ったところを伺い
刺し殺しました。

即、
瑞歯別皇子に隷(したが)ったのです。

ここにおいて、
木菟宿禰(つくのすくね)は、
瑞歯別皇子に申しあげて、
「刺領巾は人の為に己の君を殺しました。

それは、
我が為には大いなる功ではありましたが、
己の君に慈(いつく)しみが、
はなはだ無いことになります。

どうして、
生を得ることができましょうか」
といいました。

乃ち刺領巾を殺し、
即日、倭に向かいました。

夜半には石上に至り、
復命しました。

ここにおいて、
弟王を喚(めしだして)、
敦く寵(いつく)しみました。
村合(むらわせ)の屯倉を賜わりました。

この日に、
阿曇連濱子(あずみのむらじのはまこ)を
捕らえました。



・誂(あつら)
言葉でしかけるなどの意味をもつ漢字
・恃(たの)
たのむ。たよる。たよりにする。



(感想)

瑞歯別皇子は嘆いて、
「今、太子と仲皇子は、二人とも兄である。

誰に従い、誰に背くのか…

しかるに、
無道を亡ぼし、
道ある者に就くのなら、
誰が我を疑うだろうか」
といいました。

そこで、
難波に行き、
仲皇子の消息を伺いました。

仲皇子は太子が既に逃亡したと思い、
なんの備えもしていませんでした。

この時、
仲皇子の側(そば)近く仕える隼人がいました。
刺領巾(さしひれ)といいます。

瑞歯別皇子は密かに刺領巾を呼び出して、
彼に言葉で仕掛けました。
「私の為に皇子を殺せ。
私は必ずあつくお前に報いよう」
といいました。

そこで、
錦の衣と褌を脱いでこれを与えました。

なぬ?褒美に脱いだ衣服とは。 

ソリャ、皇子の服ですから
上等な品だと思いますが。

何か特別な意味あるのかな?

…しかし、
脱いだ後の瑞歯別皇子は、
その後どうしたのでしょうか?

ポン。

刺領巾は、
その誂え言ったことをたよりに、

ひとり矛を取り、
仲皇子が厠に入ったところを伺い
刺し殺しました。

すなわち、
瑞歯別皇子に従ったのです。

ここにおいて、
木菟宿禰江は瑞歯別皇子に申しあげて、
「刺領巾は、人の為に己の君を殺しました。

それは、
我々にとっては
大いなる功ではありましたが…

己の君に慈(いつく)しみが
はなはだ無いことになります。

どうして、
生かしておけましょうか」
といいました。

そこで刺領巾を殺し、
翌日、倭に向かいました。

刺領巾。
ちょっと可哀想な気もしますが…
簡単に主君を裏切るようでは。

側に置いていたら
何されるかわからない。

自業自得でしょう。

夜半には石上に到着し、
復命しました。

ここにおいて、
弟王を召し出して、篤く寵愛しました。
村合(むらわせ)の屯倉を与えました。

この日に、阿曇連濱子を捕らえました。

兄弟の争いが終わったようですね。
今後はどうなるのでしょうか。

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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