日本書紀 巻第二十九
天命開別天皇 二十六
・拝礼についての詔
・武器・馬の検校
八年春正月五日、
新羅の送使の
加良井山(かりょうじょうせん)と
金紅世(きんぐせ)等が、
京に向かいました。
七日、
詔して、
「凡そ、正月の節に当たり、
諸王、諸臣及び百寮の者は、
兄姉以上、親及び
己の氏長(うじのこのかみ)を除き、
それ以外を拝することなかれ。
その諸王の者は、
母といえども、
王の姓の者でないなら、
拝することなかれ。
凡そ、
諸臣また、
卑母(ひききいろは)といえども、
拝することなかれ。
正月の節ではないにしても、
またこれに准(なぞら)えるように。
もし犯す者があれば、
事に隨い罪する」
といいました。
十八日、
西門で射りました。
二月一日、
高麗が、
上部(しょうほう)の
大相(だいそう)の桓父(かんぶ)、
下部(かほう)の
大相の師需婁(しずる)等を遣わして、
朝貢しました。
よってもって、
新羅は、
奈末(まな)の
甘勿那(かんもつな)を遣わして、
桓父等を筑紫に送りました。
三日、
紀臣堅摩呂(きのおみかたまろ)が、
卒(お)えました。
壬申の年の功をもって、
大錦上位(だいきんじょうのくらい)を
贈りました。
四日、
詔して、
「辛巳年に及び、親王、諸臣及び
百寮人の兵及び馬を
検 (あらた) め校 (かんがえ) る。
故に、
あらかじめ貯(たくわ)えておくように」
といいました。
この月、
大恩(みめぐみ)を降ろして、
貧乏の者にめぐみました。
その飢寒(きかん)の者に給わりました。
・氏長(うじのこのかみ)
氏族の長
・卑母(ひききいろは)
出自の低い母
・上部(しょうほう)
高麗の地域
・大相(だいそう)
高麗の官位のひとつ
・下部(かほう)
高麗の地域
・奈末(まな)
新羅の官位のひとつ
・検校(かむがえ)
検 (あらた) め校 (かんがえ) る意。検査
・飢寒(きかん)
飢(う)えと寒さ。食べ物がなく空腹で、こごえること
(感想)
天武天皇8年春1月5日、
新羅の送使の加良井山と金紅世らが、
京に向かいました。
7日、
詔して、
「およそ、
正月の節に当たり、
諸王、諸臣および百寮の者は、
兄姉以上の親族
および己の氏長を除き、
それ以外を拝礼してはならない。
その諸王の者は、
母といえども、
王の姓の者でないなら、
拝礼してはならない。
およそ、
諸臣また、
卑母といっても、
拝礼してはならない。
正月の節ではないにしても、
またこれに准(なぞら)えるように。
もし犯す者があれば、
事に隨い罪する」
といいました。
18日、
西門で大射しました。
2月1日、
高麗が、
上部の大相の桓父、
下部の大相の師需婁らを派遣して、
朝貢しました。
よってもって、
新羅は奈末の甘勿那を派遣して、
桓父らを筑紫に送りました。
3日、
紀臣堅摩呂が、
亡くなりました。
壬申の年の功績をもって、
大錦上位を贈りました。
4日、
詔して、
「辛巳年になったら、
親王、諸臣および百寮人の兵器、
および馬とを検査する。
よって、
あらかじめ貯えておくように」
といいました。
この月、
大恩を降ろして、
貧乏の者にめぐみました。
食べ物がなく空腹で、
こごえる者に与えました。
明日に続きます。
読んでいただき、
ありがとうございました。
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