日本書紀 巻第三十
高天原廣野姫天皇 十
・殯宮で誄
・刑を軽減
・雨乞い
・耽羅の使者
三月二十一日、
花縵(はなかつら)を殯宮に進めました。
藤原朝臣大嶋
(ふじわらのあそみおおしま)が
誄(しのびごと)をしました。
五月八日、
百濟の敬須德那利(きょうすとくなり)を、
甲斐国に移しました。
六月十一日、
詔して、
「天下に令(のりごと)する。
繋囚(けいしゅう)の極刑を、
本の罪より一等、減らす。
輕繋は、皆、赦し、除く。
それ、天下の令は、
皆、今年の調賦(みつき)を半する」
といいました。
秋七月十一日、
大いに雩(あまひき)をしました。
旱(ひでり)でした。
二十日、
百濟の沙門の道藏(どうぞう)に
請雨(しょうう)するよう命じました。
崇朝(すうちょう)せず、
あまねく雨が天から下りました。
八月十日、
殯宮で嘗(なおらい)して、
慟哭をしました。
ここにおいて、
大伴宿禰安麻呂
(おおとものすくねやすまろ)が
誄をしました。
十一日、
淨大肆の
伊勢王(いせのおおきみ)に命じて、
葬儀を宣べ奉らせました。
二十五日、
耽羅(たむら)の王が、
佐平加羅(さへいから)を遣わして、
来て、
方物(ほうぶつ)を
献(たてまつ)りました。
九月二十三日、
耽羅の佐平加羅等を
筑紫の館で饗(もてな)しました。
物を賜りましたが、
各々差がありました。
・花縵(はなかつら)
仏前に飾る仏具
・繋囚(けいしゅう)
捕らえて、牢獄につなぐこと。 また、牢獄につながれた人
・雩(あまひき)
雨乞い
・請雨(しょうう)
雨が降るように神仏に祈ること。 雨乞い
・崇朝(すうちょう)
朝のはじめから朝のおわりまで。夜明けから朝食までの間を通して
・耽羅(たむら)
済州島
・方物(ほうぶつ)
その地方の産物。土産
(感想)
(持統天皇2年)
3月21日、
花縵を殯宮に奉りました。
藤原朝臣大嶋が誄をしました。
5月8日、
百済の敬須徳那利を、
甲斐国に移しました。
6月11日、
詔して、
「天下に命令する。
牢獄につながれた人の極刑を、
本の罪より一等、減らす。
罪の軽い囚人は、皆、赦し、免除する。
また、天下の命令は、
皆、今年の調賦(みつき)を
半分にする」
といいました。
秋7月11日、
大いに雨乞いをしました。
日照りだからです。
20日、
百済の僧の道蔵に、
神仏に雨が降るように祈るよう命じました。
午前中が終わらないうちに、
あまねく天から雨が降りました。
8月10日、
殯宮で嘗(なおらい)して、
慟哭をしました。
ここにおいて、
大伴宿禰安麻呂が誄をしました。
11日、
淨大肆の伊勢王に命じて、
葬儀を宣べ奉らせました。
25日、
耽羅の王が、
佐平加羅を派遣して、来日して、
国産物を献上しました。
9月23日、
耽羅の佐平加羅らを
筑紫の館で饗応しました。
物を与えましたが、
各々差がありました。
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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