リートリンの覚書

日本書紀 巻第六 活目入彦五十狭茅天皇 六 稲城


日本書紀 巻第六 
活目入彦五十狭茅天皇 六 

稲城


すぐに近い県(あがた)の兵卒を派遣し、
上毛野君の遠祖八綱田(やつなだ)
狭穂彦を撃つよう命じました。

その時、
狭穂彦も軍を興し迎え撃ちました。

にわかに稲を積み上げ城を作りました。
その壁は堅く破ることが出来ません。
これを稲城(いなき)といいます。

月が替わっても降(くだ)すことができません。

皇后は悲しんで、
「吾は皇后ではあるが、
兄王が亡くなってしまったら、
何を面目もって、天下に臨めましよか」
といい、

王子(あこ)誉津別(ほむつわけ)命を抱いて、
兄王の稲城に入ってしまいました。

天皇は更に軍衆をふやし、
その城を包囲しました。

城の中に勅して、
「すみやかに皇后と皇子を出しなさい」
といいました。

しかし、出しませんでした。

将軍八綱田が火を放ち
その城を焚(や)きました。

ここに皇后は、
皇子を抱いて、
城の上をこえて、出てきました。

そして奏上して、
「妾が始め兄の城に逃げて入った訳は、
もしかすると、
妾と子により兄の罪が
許されるかもしれないと。

しかし今、
許されないことを知りました。

すなわち、妾にも罪があると。

面縛(めんばく)されることはできません。

自ら首をくくって死ぬだけです。

ただ妾は死んだとしても、
天皇の恩は忘れません。

願わくば、
妾が司ってきた后宮(きさきのみや)の事は
良い女たちに授けてください。

丹波(たには)の国に五人の婦人がいます。
みな心が貞潔です。

これは丹波道主王(たにはのみちぬし)の娘です。

道主王は、
日本根子太日日天皇(開化)の子孫、
彦坐王(ひこいます)の子です。

・一伝では、
彦湯産隅王(ひこゆむすみ)の子
であると伝えています。

まさに掖宮(えきてい)に召し入れて、
后宮の数を満たしてください」
と請願しました。

天皇は聞きとどけました。

時に、
火が燃え興り、
城が崩れて、
軍衆はみな逃げ出しました。

狭穂彦と妹はともに城の中で死にました。

天皇はここに、
将軍八綱田の功績を誉めて、
その名を
倭日向武日向彦八綱田
(やまとひむかたけひむかひこやつだ)
と名づけました。
 


面縛(めんばく)
両手を後ろ手に縛り、顔を前につきだしてさらすこと

丹波(たには)
京都府北部辺

掖宮(えきてい) 
宮殿のわきにある建物。後宮


感想

さて、昨日までのお話は、

狭穂姫が、
兄・狭穂彦から
天皇を暗殺するように頼まれていましたが、

暗殺することが出来ず、
兄の企てを天皇に報告しました。

今日は、そのお話の続きです。

天皇は、
近い県(あがた)の兵士を派遣し、

上毛野君の遠祖・八綱田に
狭穂彦を撃つよう命じた。

その時、
狭穂彦も軍をおこし皇軍を迎え撃った。

狭穂彦は何の前振りもなく、
稲を積み上げ城を作り上げた。

その壁は堅く破ることが出来ない。
この城を稲城とよんだ。

皇軍は、
月が替わっても
降伏させることが出来なかった。

皇后・狭穂姫は悲しみ、
「私は皇后ですが、
兄王を失ってしまったら、

何を面目としましょうか、
世間の人に合わせる顔がない
といい、

王子誉津別(ほむつわけ)命を抱き、
兄王の稲城に
入っていってしまった。

天皇は更に兵士を増やし、
その城を包囲した。

城の中に勅して、
「すみやかに皇后と皇子を出せ!」
といったが、

とうとう、
出て来なかった…

そこで、
将軍八綱田が火を放つと、

稲城に当たり、
その周辺に燃え移っていった。

この時皇后は、
皇子を抱いて、
城の上を越えて出てきた。

そして奏上して、
「私が…

兄の城に逃げて入った訳は、

もしかすると、
わたしと子により兄の罪が
許されるかもしれないと、
思ったからです。

しかし今、
火が放たれ、
許されないことを知りました。

そして、私にも罪があると…

しかし、
両手を後ろ手に縛られ、
顔を前に突き出され
さらけ出されるなど…耐えられません。

自ら首をくくって死ぬだけです。

ただ、
私が死んだとしても、
天皇の恩は決して忘れません。

願わくば、
私が司ってきた后宮(きさきのみや)の事は
良い女たちに授けてください。

丹波国に五人の婦人がいます。
みな心が貞潔です。

この者たちは
丹波道主王の娘です。

道主王は、
日本根子太日日天皇(開化)の子孫、
彦坐王(ひこいます)の子

まさに掖宮(えきてい)に召し入れて、
后宮の数を満たしてください」
と請願しました。

天皇は狭穂姫の願いを聞きとどけた。

炎が燃え上がり、
城は崩れていった。

敵兵は、
恐れをなし、
みな逃げ出していった。

狭穂彦と妹は
ともに城の中で死んだ。

天皇はここに、
将軍八綱田の功績を誉め、

その名を
倭日向武日向彦八綱田
(やまとひむかたけひむかひこやつだ)
と名づけた。

以上、狭穂姫のお話でした。

兄が謀叛を起こさなければ、
こんな悲しい結末はなかったでしょう。

全く、
間に立たされた狭穂姫が不憫です。

さて、本日はこの辺で。

明日も日本書紀巻第六、
続きます。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。


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