日本書紀 巻第六
活目入彦五十狭茅天皇
(いくめいりひこいさちのすめらみこと)
垂仁天皇
(すいにんてんのう)
活目入彦五十狭茅天皇は、
御間城入彦五十瓊殖天皇
(みまきいりひこいにえ・崇神天皇(すじん)
の第三子です。
母の皇后は御間城姫(みまきひめ)といい、
大彦命(おおひこのみこと)の娘です。
天皇は、御間城天皇の二十九年春正月一日に、瑞籬宮(みつかきのみや)で生まれました。
生まれたときから容姿が抜きんでて
秀でており、
壮年になると優れた才気があり、
大いなる心を持ち、
人情は真理に任せ、
偽ったり飾ったりするところが
有りませんでした。
(父・崇神)天皇は愛しみ、
側に置いていました。
二十四歳にして、
夢の吉祥により皇太子となりました。
六十八年、冬十二月、
御間城天皇が崩じました。
元年、春正月二日、
皇太子が天皇に即位しました。
冬十月十一日、
御間城天皇を
山邊道上陵(やまのへのみちのへのみささぎ)に
葬りました。
十一月二日、
皇后を尊んで皇太后と呼びました。
この年、太歳は壬辰(みずのえたつ)。
二年、春二月九日、
狭穂姫(さほひめ)を皇后に立てました。
后は、誉津別命(ほむつわけのみこと)を
生みました。
天皇は(皇子)を愛しみ、
常に側に置きました。
(誉津別命は)壮年になっても、
言葉を話しませんでした。
冬十月、
更に纒向(まきむく)に都を造りました。
これを珠城宮(たまきのみや)といいます。
・纒向(まきむく)
桜井市穴師の西
はじめに
本日より、
日本書紀巻第六を読んでいきたいと思います。
今年の始めより読み始めた日本書紀。
一年すぎて見ますと…
おいおい、まだ巻第六かよ。
三十巻あるのにどーするんだよ。
と、自分にツッコミ。
歴史と並行して進めていたらこの調子で😅
このペースで読んでいったら
読み終えるのいつになるのか…
読みたい本はまだまだあるのに…
ここで一度、気を引き締めなおし、
ガンガン読み進めていきたいと思います。
お付き合いいただけたら幸いです。
感想
第六巻は、
垂仁天皇のお話です。
今回の条は、
その垂仁天皇の、
人となりの説明ですね。
生まれた時から、
容姿端麗で。
壮年になると、
才能に溢れ、広い心を持ち、
感情は正しい道理に身を任せ、
偽ったり飾ったりしない方になったと。
先の天皇はそんな垂仁天皇を愛し
側に置いていたとな。
24歳の時に夢占いにより
皇太子に選ばれ。
先帝が崩御されると、
天皇の位に即位された。
んで、狭穂姫を皇后に立てて、
狭穂姫は、誉津別命を生みました。
その誉津別命、
壮年になっても
全く言葉を話さない子でした。
(何故でしょう。心配ですね)
でも、自分の子ですから
可愛かったのでしょう。
垂仁天皇は常にお側に置きました。
そして、
纏向に都を作りました。
以上、本日のお話でした。
さて、言葉を話さない誉津別命。
今後どうなるのでしょうか?
次回に続きます。
最後まで読んで頂き
ありがとうございました。