日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 五十四
・威徳王
・新羅の使者
十八年春三月一日、
百済の王子・余昌が、
嗣いで立ちました。
これが威德王(いとくおう)です。
二十一年秋九月、
新羅は
彌至己知奈未(みちこちなま)を遣わして、
調賦(みつきもの)を献じました。
饗(あえ)や賜るのが
常よりすぐれていました。
奈未は歓喜して、
帰国して、
「調賦の使者は、
国家をとうとび、
重んじるところにして、
私議(しぎ)を軽んじ
賤しむところです。
行李(つかい)は、
百姓の命を懸(か)けるところであって、
選び用いられると
卑下するところです。
王政の弊は、
必ずこれによります。
請います。
良家の子を使者として差し、
卑賤をもって使いとしてはなりません」
といいました。
・調賦(みつきもの)
=ちょうふ。みつぎもの。年貢
・饗(あえ)
ごちそう。饗応(きょうおう)。もてなし
・私議(しぎ)
1・自分一人の意見。私見2・陰で批判すること。ひそかにののしること
・行李(つかい)
=こうり1・竹または柳などで編み、衣類や旅行用の荷物などを入れるのに用いる蓋つきのいれもの。こり2・軍隊で、弾薬・食糧・器具などを運ぶ部隊
(感想)
欽明天皇18年春3月1日、
百済の王子・余昌が、
王位を嗣いで立ちました。
これが威徳王です。
欽明天皇21年秋9月、
新羅は弥至己知奈未を派遣して、
調賦を献上しました。
饗応や賜った物が
常よりすぐれていました。
奈未は歓喜して、
帰国して、
「調賦の使者は、
国家を尊び、
重んじるところにして、
私議を軽んじ
賤しむところです。
行李(つかい)は、
百姓の命を懸(か)けるところであって、
選び用いられると卑下するところです。
王政の弊は、
必ずこれによります。
請います。
良家の子を使者とし、
卑賤をもって使者としてはなりません」
といいました。
弥至己知奈未は、
十七位階の第十一です。
十七位階の第十一となると、
位は下の役人さんですね。
新羅は、
日本に下級役人を派遣したということです。
どんだけ舐めてんだよ。
しかし、
日本の待遇は、
宴会や褒美の品々が
いつもより優れていた。
それは何故でしょうか?
ちょっと勉強不足でその辺のことは、
私には、ちょっと分からないのですが。
続きなら
書いてあるのかな。
明日も日本書紀、
続きます。
読んで頂きありがとうございました。
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