日本書紀 巻第三十
高天原廣野姫天皇 九
・皇太子らの葬礼
・薬師寺で無遮大會を行う
・新羅の献上品
・国忌の日
二年春正月一日、
皇太子は、
公卿、百寮人等を率いて、
殯宮におもむいて慟哭をしました。
二日、
梵衆(ぼんしゅう)が、
殯宮で發哀(はつあい)しました。
八日、
無遮大會(むしゃだいえ)を、
藥師寺で設けました。
二十三日、
天皇の崩じたことを、
新羅の金霜林(きんそうりん)等に
奉宣しました。
金霜林等は、乃ち、
三つ發哭しました。
二月二日、
大宰が、
新羅の調賦(みつき)、
金、銀、絹、布、皮、銅、鐵の類、
十余り物を献(たてまつ)りました。
あわせて、
別に献られた佛像、種々彩絹、鳥馬の類、
十余種と、
及び霜林が献(たてまつ)った、
金、銀、彩色、種々の珍異の物、
あわせて八十余物を
献(たてまつ)りました。
十日、
霜林等を筑紫の館で饗(もてな)しました。
物を賜りましたが、各々差がありました。
十六日、
詔して、
「今から以後、
国忌の日にあたるごとに、
要須(ようしゅ)とし、
齋をするように」
といいました。
二十九日、
霜林等が帰りました。
・梵衆(ぼんしゅう)
僧衆
・發哀(はつあい)
死者を弔うために泣き声をあげる礼の一つ
・無遮大會(むしゃだいえ)
貴賤の別なく、一切平等に財施と法施とを行ずる法会
・發哭(みねたてまつり)
=挙哀(こあい)とは、死者を弔うために泣き声をあげる礼の一つ。発哀・発哭・奉哀・慟哭などとも記される)
・要須(ようしゅ)
ある物事にとってなくてはならないこと。 また、そのようなもの。 必須
(感想)
持統天皇二年春1月1日、
皇太子は、
公卿、百寮人等を率いて、
殯宮におもむいて慟哭をしました。
2日、
僧衆が、殯宮で発哀しました。
8日、
無遮大会を薬師寺で設けました。
23日、
天皇の崩御したことを、
新羅の金霜林らに奉宣しました。
金霜林らは、
そこで、三度、発哭しました。
2月2日、
筑紫大宰が、
新羅の調賦(みつき)、
金、銀、絹、布、皮、銅、鐵の類、
10余り物を献上しました。
あわせて、
別に献上された仏像、種々彩絹、
鳥、馬の類、10余種と、
および霜林が献上した、
金、銀、彩色、種々の珍しい物、
あわせて80余の物を献上しました。
10日、
霜林らを筑紫の館で饗応しました。
物を与えましたが、各々差がありました。
16日、
詔して、
「今から以後、
国忌の日となるごとに、
必ず、斎をするように」
といいました。
29日、
霜林らが帰国しました。
明日に続きます。
読んでいただき
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