日本書紀 巻第二十九
天命開別天皇 三十二
・忌部首首に姓を賜る
・葛城山の鹿の角
九年春正月八日、
天皇は、
向小殿に御して、
王卿と大殿の庭で宴(うたげ)をしました。
この日、
忌部首首(いみべのおびとこびと)に
姓を賜って、
連(むらじ)といいます。
則ち、
弟の色弗(しこぶち)と共に悦び
拝しました。
十七日、
親王以下、小建(しょうこん)に至るまで、
南門で射りました。
二十日、
攝津国が、
「活田村(いくたのむら)で
桃李(とうり)の実がなりました」
といいました。
二月十八日、
鼓(つづみ)の如し音が、
東方から聞こえました。
二十六日、
ある人が、
「鹿の角を葛城山で得ました。
その角は、
本が二枝で末が合わさり、
宍(しし)がありました。
宍の上に毛があり、
毛の長さは、一寸。
則ち、異(あや)しいので、
献(たてま)つりました」
といいました。
おそらく、
驎角(りんかく)ではないか。
二十七日、
新羅の仕丁(つかえのよほろ)の八人が
本土に返りました。
よって、恩を垂れて、
祿を賜りましたが、
差がありました。
・活田村(いくたのむら)
現在の兵庫県神戸市生田区
・桃李(とうり)
桃とすもも
・宍(しし)
肉
・驎角(りんかく)
想像上の動物である麒麟(きりん)のつの。転じて、極めて稀なものを例えていう
・仕丁(つかえのよほろ)
従者
(感想)
天武天皇9年春1月8日、
天皇は、
向小殿に出御して、
王卿と大殿の庭で宴会をしました。
この日、
忌部首首に姓を与え、
連というようになりました。
そういうわけで、
弟の色弗と共に悦び、
拝礼しました。
17日、
親王以下、小建にいたるまで、
南門で射礼をしました。
20日、
摂津国が、
「活田村で桃李の実がなりました」
といいました。
2月18日、
鼓のような音が、
東方から聞こえました。
26日、
ある人が、
「鹿の角を葛城山で得ました。
その角は、
根本が二つに枝分かれして、
末で合わさり、
肉がありました。
肉の上には、
毛があり、
毛の長さは、一寸。
こういうわけで、
不思議に思い、
献上しました」
といいました。
おそらく、
驎角ではないでしょうか。
27日、
新羅の従者の八人が本土に帰りました。
よって、
恩を垂れて、
禄を与えましたが、
差がありました。
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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