リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十六  天豊財重日足姫天皇 二十二 ・殯



日本書紀 巻第二十六 
天豊財重日足姫天皇 二十三

・殯



十一月七日、

天皇の喪を飛鳥の川原で殯(もがり)しました。


これより先、

発哀(はつあい)すること、

九日に至りました。


(日本世記は云う「十一月、福信(ふくしん)が獲た唐人の続守言(ぞくしゅげん)等が、筑紫に至りました」


或る本は云う、「辛酉年、百濟の佐平(さへい)の福信が献(たてまつ)った唐の俘(とりこ)百六口を、近江国の墾田(はりた)にいらせました」


庚申の年、既に、福信は、唐の俘を献(たてまつ)ったと云う。故に今、注を存(たも)つ、それをここに決めろ)




・殯(もがり)

日本の古代に行われていた葬送儀礼

・発哀(はつあい)

弔う

・福信(ふくしん)

鬼室福信

・俘(とりこ)

捕らえた敵

・佐平(さへい)

佐平は、百済の最高位の官職




(感想)


(斉明天皇7年)


11月7日、

天皇の棺飛鳥の川原に安置し、

まつりました。


これより先、

九日まで弔いました


日本世記は云う

「11月、福信が獲得した唐人の続守言らが、

筑紫に到着しました」と。


或る本は云う、

「辛酉年、百済の佐平福信が献上した

唐の捕虜106人を、

近江国の墾田に居住させました」と。


庚申年、

既に、福信は、

唐の捕虜を献上したといいます。


故に今、注釈を書いておきました。

後の人は、それを決定しなさい。


本日で斉明天皇の条、終了です。


斉明天皇。

皇極天皇の時代には、

影が薄かったのですが、


斉明天皇となかってからは、

民に批判される

工事などを行いました。


彼女は、

いったい

何がしたかったのでしょうか?


さて明日からは、

天智天皇の条を読んでいきたいと思います。


引き続きお付き合いいただけたら幸いです。


読んでいただき

ありがとうございました。



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