日本書紀 巻第二十九
天命開別天皇 八十七
・天皇の病のために出家させる
・天神地祇に祈る
八月一日、
天皇のために、
八十僧を度させました。
二日、
僧尼あわせて百を度させました。
よってもって、
百の菩薩を宮中に坐して、
觀世音經二百巻を読みました。
九日、
天皇の體(からだ)の
不豫(ふよ)のために、
神祇(あまつかみくいつかみ)に
祈りました。
十三日、
秦忌寸石勝(はだのいみきいわかつ)を
遣わして、
幣を土左大神に奉りました。
この日、
皇太子、大津皇子、高市皇子に、
各々に封を四百戸を加えました。
川嶋皇子、忍壁皇子に、
各々百戸を加えました。
十五日、
芝基皇子(しきのみこ)、
磯城皇子(しきのみこ)に、
各々二百戸を加えました。
二十一日、
檜隈寺(ひのくまでら)、
軽寺(かるでら)、
大窪寺(おおくぼでら)に、
各々に百戸を封しました。
三十年に限りました。
二十三日、
巨勢寺(こせでら)に二百戸を封しました。
・不豫(ふよ)
天皇の病気。不例
(感想)
(朱鳥元年)
8月1日、
天皇のために、
80人の僧を得度させました。
※得度
日本の古代、律令制度下において、剃髪して僧籍に入ること。
2日、
僧尼あわせて100人を得度させました。
よって、
100の菩薩を宮中に置いて、
観世音経200巻を読みました。
9日、
天皇の身体の病気のために、
天神地祇に祈りました。
13日、
秦忌寸石勝を派遣して、
土左大神に御幣を奉りました。
この日、
皇太子、大津皇子、高市皇子に、
各々に食封を400戸を加えました。
川嶋皇子、忍壁皇子に、
各々100戸を加えました。
15日、
芝基皇子、磯城皇子に、
各々200戸を加えました。
21日、
檜隈寺、軽寺、大窪寺に、
各々に100戸を封しました。
30年に限りました。
23日、
巨勢寺に200戸を封じました。
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。