リートリンの覚書

日本書紀 巻第四 稚日本根子彦大日日天皇


日本書紀 巻第四

稚日本根子彦大日日天皇
(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと)
開化天皇
(かいかてんのう)

稚日本根子彦大日日天皇は、
大日本根子彦国牽天皇
(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと・孝元)
の第二子です。

母は、欝色謎命(うつしこめ)といいます。
穂積(ほずみ)臣の遠祖、
欝色雄命(うつしこおのみこと)の妹です。

天皇は、
大日本根子彦国牽尊天皇の
二十二年の春・正月に、
皇太子となりました。
年は十六歳。

五十七年の秋・九月に、
大日本根子彦国牽天皇が崩御されました。

冬・十一月十二日に、
皇太子が天皇に即位しました。

元年、春・正月四日、
(孝元)皇后を尊び皇太后としました。

冬・十月十三日、
都を春日の地に遷しました。
これを率川(いざかわ)の宮といいます。

この年、太年は甲申(かのえさる)

五年、春・二月六日、
大日本根子彦国牽天皇を、
剣池(つるぎ)の島の上の陵に葬りました。

六年、春・正月十四日、
伊香色謎命(いかがしこめ)を皇后としました。
これは継母です。

后は、
御間城入彦五十瓊殖天皇
(みまきいりひこいにえのすめらみこと)
生みました。

これ以前に天皇は、
丹波(たにわ)の竹野媛(たかの)を妃とし、

妃は彦湯産隅命
(ひこゆむすみのみこと・
またの名を彦蔣簀命(ひこもす)を生みました。

つぎの妃である、
和珥臣(わに)の遠祖、
姥津命(ははつのみこと)
妹・姥津媛(ははつひめ)は、
彦坐王(ひこいます)を生みました。

二十八年、春・正月五日、
御間城入彦五十瓊殖を皇太子にとしました。
年は十九歳。

六十年、夏・四月九日、
天皇が崩御されました。

冬・十月三日、
春日の率川の坂本の陵に葬りました。

一書では、坂の上の陵。
ときに年は百十五歳。


・春日
奈良県奈良市辺

・率川坂本陵
(かすがのいざかわのさかもとのみささぎ)
奈良市油阪町か?



ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 神話・伝説へ  


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「日本書紀・現代語訳」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事