リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 三十五 ・弘聡僧と三宅連石床と舎人王が亡くなる



日本書紀 巻第二十九 
天命開別天皇 三十五

・弘聡僧と三宅連石床と舎人王が亡くなる



秋七月一日、
飛鳥寺の西の槻(つき)の枝が、
自ずと折れて落ちました。

五日、
天皇は、
犬養連大伴(いぬかいのむらじおおとも)の
家に幸して、
病を臨みました。

卽ち、大恩を降ろして、云々。

この日、
雩(あまひき)をしました。

八日、
廣瀬、龍田の神を祭りました。

十日、
朱雀が、南門にありました。

十七日、
朴井連子麻呂(えのいのむらじこまろ)に、
小錦下位を授けました。

二十日、
飛鳥寺の弘聡僧(ぐそうほうし)が
終わりました。

大津皇子(おおつのみこ)、
高市皇子(たけちのみこ)を遣わして、
弔いさせました。

二十三日、
小錦下の
三宅連石床(みやけのむらじいわとこ)が
卒(お)わりました。

壬申の年の功によって、
大錦下位を贈りました。

二十五日、
納言(ものもうすつかさ)兼、
宮内卿(みやのうちのつかさのかみ)の
五位の舍人王(とねりのおおきみ)が

病により臨死(りんし)となりました。

則ち、
高市皇子を遣わして、
このことを訊(たず)ねました。

明日に卒(お)わりました。

天皇は大いに驚いて、
乃ち、高市皇子、川嶋皇子を遣わして、

よってもって殯(もがり)に臨んで、
哭(な)きました。

百寮の者が従って
發哀(はつあい)しました。



・雩(あまひき)
日でりのとき、降雨を神仏に祈願すること
・臨死(りんし)
人が亡くなる直前
・發哀(はつあい)
死者を弔うために泣き声をあげる礼の一つ



(感想)

(天武天皇9年)

秋7月1日、
飛鳥寺の西の槻の枝が、
自ずと折れて落ちました。

5日、
天皇は、犬養連大伴の家に行幸して、
病を見舞いました。

そこで、大恩を降ろして、云々。

この日、雨乞いをしました。

8日、
廣瀬、龍田の神を祭りました。

10日、
朱雀が、南門に現れました。

17日、
朴井連子麻呂に、
小錦下位を授けました。

20日、
飛鳥寺の弘聡僧が亡くなりました。

大津皇子、高市皇子を派遣して、
弔いさせました。

23日、
小錦下の三宅連石床が亡くなりました。

壬申の年の功績によって、
大錦下位を与えました。

25日、
納言兼、宮内卿の五位の舍人王が
病により危篤となりました。

そこで、
高市皇子を派遣して、
見舞いました。

翌日、
亡くなりました。

天皇は大いに驚いて、
そこで、高市皇子、川嶋皇子を派遣して、

よってもって殯(もがり)に臨んで、
声をあげて泣きました。

百寮の者が従って發哀の礼をしました。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。






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