日本書紀 巻第三十
高天原廣野姫天皇 四十六
・内裏で無遮大會を設ける
・福嘉を還俗させる
五月一日、
吉野宮に、幸しました。
七日、
天皇が、吉野宮からかえりました。
十五日、
無遮大會(かぎりなきおがみ)を
內裏で設けました。
六月一日、
高麗の沙門の福嘉(ふくか)に詔して、
還俗(げんぞく)させました。
四日、
直廣肆を
引田朝臣広目
(ひけたのあそみひろめ)、
守君苅田
(もりのきみかりた)、
巨勢朝臣麻呂
(こせのあそみまろ)、
葛原朝臣臣麻呂
(ふじわらのあそみおみまろ)、
巨勢朝臣多益須
(こせのあそみたやす)、
丹比真人池守
(たじひのまひといけもり)、
紀朝臣麻呂
(きのあそみまろ)、
七人に授けました。
秋七月七日、
吉野宮に、幸しました。
十二日、
使者を遣わして、
廣瀬の大忌神と龍田の風神を祀りました。
十四日、
大夫、謁者を遣わして、
諸社を詣でて、祈雨しました。
十六日、
大夫、謁者を遣わして、
諸社を詣でて、請雨させました。
この日、
天皇が、吉野から帰りました。
・無遮大会(かぎりなきおがみ)
=むしゃだいえ・貴賎の別なく、一切平等に財施と法施とを行ずる法会
・還俗(げんぞく)
僧が僧籍を離れて、俗人にかえること
(感想)
(持統天皇7年)
5月1日、
吉野宮に行幸しました。
7日、
天皇が、吉野宮からかえりました。
15日、
無遮大会を内裏で設けました。
6月1日、
高麗の僧の福嘉に詔して、
還俗させました。
4日、
直広肆を
引田朝臣広目、
守君苅田、
巨勢朝臣麻呂、
葛原朝臣臣麻呂、
巨勢朝臣多益須、
丹比真人池守、
紀朝臣麻呂、
七人に授けました。
秋7月7日、
吉野宮に、行幸しました。
12日、
使者を派遣して、
広瀬の大忌神と龍田の風神を祀りました。
14日、
大夫、謁者を派遣して、
諸社を詣でて、雨乞いをしました。
16日、
大夫、謁者を派遣して、
諸社を詣でて、雨乞いをしました。
この日、
天皇が、吉野から帰りました。
明日に続きます。
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