リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 十六 ・下野国の凶作 ・南淵山・細川山を禁足地とする ・大旱



日本書紀 巻第二十九 
天命開別天皇 十六

・下野国の凶作
・南淵山・細川山を禁足地とする
・大旱



五月三日、
調(みつき)を進める期限が過ぎた
国司等の犯した狀(かたち)を宣べました。云々。

七日、
下野国司
(しものつけのくにのみこともち)が
奏して、

「所部(くにのうち)の百姓が、
凶年に遇(あ)いました。
飢えて子を売ろうと思っています」
といいました。

朝は聴きれませんでした。

この月、
勅して、
「南淵山(みなぶちやま)、
細川山(ほそかわやま)を禁ずる。

並びにくさや薪をかることなかれ。

また、
畿內の山野で、
もともと禁じられた所に限り、

みだりに焼いたり、
折ったりすることなかれ」
といいました。

六月、
四位の栗隈王(くるくまのおおきみ)が、
病となり薨(みまか)りました。

物部雄君連
(もののべのおきみのむらじ)が、
にわかに発病し、
卒(お)わりました。

天皇は、
これを聞いて、
大いに驚きました。

それ壬申の年に、
車駕(しゃが)に従い、
東国に入り、
大きな功があり、

恩を降ろし、
内大紫位(うちのだいしのくらい)を
贈りました。

よって氏の上(うじこのかみ)を
賜りました。

この夏、
大旱(たいかん)となりました。

使を四方に遣わして、
幣帛(へいはく)を捧げ、
諸々の神祗(かみがみ)に祈りました。

また、
諸々の僧尼(そうに)に請うて、
三宝に祈らせました。

然るに、
雨は降りませんでした。

これによりて。
五穀は登らず、
百姓は飢えました。



・所部(くにのうち)
=しょぶ・官庁などの管轄をするところ。 また、その範囲
・南淵山(みなぶちやま)
奈良県高市郡明日香村稲淵
・細川山(ほそかわやま)
奈良県高市郡明日香村細川
・車駕(しゃが)
天子が行幸するときに乗る車
・氏の上(うじこのかみ)
古代における氏 (うじ) の首長
・大旱(たいかん)
非常に長い間、雨が降らないことひどいひでり。大ひでり
・幣帛(へいはく)
神道の祭祀において神に奉献する、神饌以外のものの総称
・神祗(かみがみ)
=じんぎ・天の神と地の神。神々
・僧尼(そうに)
男の出家と女の出家。僧とあま



(感想)

(天武天皇5年)

5月3日、
調(みつき)を
献上する期限が過ぎた国司等らの
犯した罪状を宣べました。
云々。

7日、
下野国司が奏して、
「管轄をするところの百姓が、
凶年に遭いました。
飢えて子を売ろうとしています」
といいました。

しかし、
朝廷は聞き入れませんでした。

この月、
勅して、
「南淵山、細川山を禁足地とし、
並びに草や薪を取ってはならぬ。

また、
畿内の山野で、
元からの禁足地の限界内で、
みだりに焼いたり、
折ったりしてはならぬ」
といいました。

6月、
四位の栗隈王が、
病となり亡くなりました。

物部雄君連が、
にわかに発病し、
亡くなりました。

天皇は、
これを聞いて、
大いに驚きました。

壬申の年に、
車駕に従い、
東国に入り、
大きな功労があり、

恩を降ろし、
内大紫位を贈りました。
よって氏の首長をとなりました。

この夏、
非常に長い間、雨が降らず、
大ひでりとなりました。

使者を四方に派遣して、
幣帛を捧げ、
諸々の天神地祇に祈りました。

また、
諸々の僧尼に請願して、
三宝に祈らせました。

しかし、
雨は降りませんでした。

これによりて。
五穀は実らず、
百姓は飢えました。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


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