日本書紀 巻第二十七
天命開別天皇 十二
・天智天皇4年の出来事 二
九月二十三日、
唐国(もろこし)は、
遣朝散大夫(ちょうさんだいぶ)の
沂州(きしゅう)の
司馬(しば)の
上柱(じょうきゅうこく)の
劉徳高(りゅうとくこう)等を
遣わしました。
(等とは、右戎衞郎将上柱国(せきじゅうえいろうしょうじょうちゅうこく)の百濟禰軍(くだらのねぐん)、朝散大夫柱国(ちょうさんだいぶちゅうこく)の郭務悰(かくむそう)のことをいいます。凡そ、二百五十四人。七月二十八日、對馬に至りました。九月二十日、筑紫に至りました、二十二日、表函(ふみひつ)を進めました)
冬十月十一日、
菟道(うじ)で、
大いに閲(けみ)しました。
十一月十三日、
劉徳高(りゅうとくこう)等を
饗賜(きょうし)しました。
十二月十四日、
劉德高等に物を賜りました。
この月、
劉德高等は罷歸(まかりかえる)しました。
この歲、
小錦守君大石
(しょうきんもりのきみおおいわ)等を
大唐に遣わしました。云々。
(等というのは、小山(しょうせん)の坂合部連石積(さかいべのむらじいわつみ)、大乙(だいおつ)の吉士岐弥(きしのきみ)、吉士針間(きしのはりま)をいいます。思うに唐の使人を送ったかもしれません)
・沂州(きしゅう)
中国にかつて存在した州
・司馬(しば)
古代中国の官職名である。王朝によりその職務の範囲は異なる
・上柱(じょうきゅうこく)
古代の官職。正二位の別称
・菟道(うじ)
現在の京都府宇治市
・饗賜(きょうし)
もてなしをいただく。 祭礼や会食の酒食を賜ること
(感想)
(天智天皇4年)
9月23日、
唐国は、
遣朝散大夫の沂州の司馬の上柱の劉徳高ら
を派遣しました。
(らとは、右戎衞郎将上柱国の百済禰軍、朝散大夫柱国の郭務悰のことをいいます。およそ、254人。7月28日、対馬に到着しました。9月20日、筑紫に到着しました。22日、表函を献上しました)
冬10月11日、
菟道で、大がかりな検兵をしました。
11月13日、
劉徳高らに、
祭礼や会食の酒食を与えました。
12月14日、
劉德高らに物を与えました。
この月、
劉德高らが帰国しました。
この歲、
小錦守君大石らを
大唐に派遣しました。云々。
(らというのは、小山の坂合部連石積、大乙の吉士岐弥、吉士針間をいいます。思うに唐の使者を送ったかもしれません)
明日に続きます。
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