リートリンの覚書

日本書紀 巻第一 神代上 第六段の一書群 改訂版


日本書紀 巻第一 神代上
第六段の一書群

・天照大神と素戔嗚尊の誓約、異伝。



・一書に曰く、
日神(天照大神)は、
素戔嗚尊が猛々しく
物欲が強いことを、
もとより知っていました。

その素戔嗚尊が天に上ってくるというので、
弟がくる理由は、良い心ではなく、
必ず私の天原(あまのはら)を
奪おうとしているのだと思い、

勇ましい武装の用意をしました。

十握剣(とつかのつるぎ)、
九握剣(ここのつかのつるぎ)、
八握剣(やつかのつるぎ)を身に帯び、

また背中には靫(ゆぎ)を背負い、
肘には威力のある高鞆(たかとも)を装着し、

手には弓箭(きゅうせん)を握り、
自ら素戔嗚尊を迎えて、
防御をしました。

この時素戔嗚尊は
「俺にはもともと悪しき心などない。
ただ、姉さんに会いたいと思い、
ほんの少しの間、尋ねてきただけだ」
と告げました。

これに対し日神は、
素戔嗚尊と向かい合い、
共に誓約をして、
「もしお前の心が清明で、
天原を奪いとろうという
心がないのなら、

お前が生む子は必ず男であるはずだ」
といい、

まず帯びていた十握剣を食べて生じた子を、
瀛津島姫(おきつしまひめ)と名付けました。

また九握剣を食べて生じた子を、
湍津姫(たぎつひめ)と名付けました。

八握剣を食べて生じた子を、
田心姫(たきりひめ)と名付けました。
合わせて三女神です。

次に素戔嗚尊は首に身に着けていた
五百箇御統(いおつみすまる)を
求めて天の渟名井(ぬない)、
またの名は去来(いざ)の真名井で濯ぎ

食べて生じた子を
正哉吾勝勝速日天忍骨尊
(まさかあかつかちはやひあめのおしほねのみこと)
といいます。

次に天津彦根命(あまつひこねのみこと)。
次に活津彦根命(いくつひこねのみこと)。
次に天穂日命(あまのほひのみこと)。
次に熊野忍蹈命(くまのおしほみ)。

合わせて五男神です。

こうして素戔嗚尊は
勝った験(しるし)を得ました。

日神は、素戔嗚尊に悪意のないことを知り、
日神が生んだ三女神を
筑紫洲(くに)に天下りさせました。

そうしてこう教えました。
「お前たち三神は、
下り道中に居て、
天孫を助けて奉り、
天孫のために祭られなさい」
といいました。

・一書に曰く、
素戔嗚尊は天に昇ろうとしたとき、
一神がいました。

名前を羽明玉(はかるたま)といいます。

この神は、
素戔嗚尊を迎え奉り、
瑞八坂瓊之曲玉を
素戔嗚尊に持って献上しました。

素戔嗚尊は、
その瓊玉(たま)を持って
天上にやってきました。

この時天照大神は、
弟に悪心があると疑い、
兵を動員して、
問いました。

素戔嗚尊は答えて、
「俺がやってきたのは、
姉さんに会いたいと思ったからだ。

それに珍しい玉、
瑞八坂瓊之曲玉を持ってきた。

この曲玉(まがたま)を
献上しようとしただけで、
他意があるわけではない」

時に、
天照大神は素戔嗚尊に問い返しました。
「お前のいうことが偽りがない、
本当のこと話していると、
どうやって証明するのか」

「姉さん、
俺と共に誓約を
たてることにしよう。

誓約の中で、
女を生んだら邪心があるとし、
男を生んだら清心だとしよう」

そこで天の真名井三か所を掘り、
共に向き合って立ちました。

時に天照大神が、素戔嗚尊に、
「私が持っている剣をお前に授けよう。
お前は、持っている
八坂瓊之曲玉を私に授けなさい」
といいました。

このように約束をして
共に(剣と曲玉を)とりかえました。

まず天照大神が、
八坂瓊の曲玉を天の眞名井ですすぎ浮べ、
玉の端を噛み切り、

吹き出した息吹の中に生じた神を、
市杵島姫命と
名付けました。

これは沖津宮に
居る神です。

また玉の真ん中を噛み切り、
吹き出した息吹の中に生じた神を
田心姫命と名付けました。

これは中津宮に居る神です。

また、玉の尾をかみ切り
吹き出した息吹の中に生じた神を、
湍津姫と名付けました。

これは辺津宮に居る神です。

合わせて三女神です。

次に、素戔嗚尊は剣を、
天の眞名井ですすぎ浮べ、
剣の末を噛み切り、
吹き出した息吹の中に生じた神を
天穂日命と名付けました。

次に正哉吾勝勝速日天忍骨尊。
次に天津彦根命。
次に活津彦根命。
次に熊野櫲樟日命。
合わせて五男神です。
云々。

・一書に曰く、
日神は素戔嗚尊と天安河(あまのやすかはら)を隔てて、
向かい合って立ち、誓約をして、
「お前がもし
姧賊の心(邪心)を持たないのなら、

お前の生む子は男でしょう。
もし男の子を生んだなら
私の子として、
天原を治めさせましょう」
といいました。

こうして先に日神が
十握剣を食べて生じた子が
瀛津嶋姫(おきつしまびめ)、
またの名は、市杵嶋姫といいます。

また、九握剣を食べて生じた子が
湍津姫といいます。

また、八握剣を食べて生まれた子が、
田霧姫命(たきりひめのみこと)です。

素戔嗚尊は、その左の髻にまいた、
五百箇統の瓊(たま)を含んで、
左の手の平の中に吐きつけてけると、
たちまち変化して男となりました。

そこで、素戔嗚尊は言葉に出して、
「まさに私が勝った」
といったので、
勝速日天忍穗耳尊
(かちはやひあめのおしほみみのみこと)
名付けました。

また、右の髻の瓊を口に含み、
右の手の掌の中に吐きつけてみると、
変化して天穂日命が生まれました。

また首に巻き付けた瓊を口に含み、
左の臂(ひじ)の中に吐きつけると、
変化して天津彦根命が生まれました。

また、右の臂の中から、
変化して活津彦根命が生まれました。

また、左の足の中に、
熯之速日命(ひのはやひのみこと)
が生まれました。

また、右の足の中にから
熊野忍蹈命(くまのおしほみ)が
生まれました。
またの名を、
熊野忍隅命(くまのおしくま)といいます。

素戔嗚尊が生んだ子は皆男の子でした。

日神は、
素戔嗚尊が元から清い心を
もっていたことを知り、
その六男を迎え入れ、日神の子として、
天原を治めさせました。

そして日神が生んだ三女神を
天下りさせ、
葦原中国の宇佐嶋に
住まわせました。

今、海北の道の中にあります。
道主貴(みちぬしのむち)と名付けました。

これは筑紫の水沼君(みぬまのきみ)らが
祭る神です。


熯干(せんかん)これは備(ひと)といいます。




沖津宮(おきつみや)
沖ノ島
中津宮(なかつみや)
大島
・辺津宮(へつみや)
福岡県宗像郡玄海町田島にある



この段の一書は、
本文とあまり変わりがないようですね。

気になるところは、
熯之速日命(ひのはやひ)でしょうか。

子ども数が一柱増えている。

しかし、熯之速日命を調べてみましたが、
名前のみで詳しいことは見つからず。

いったいどのよう方だったのか?

あと羽明玉(はかるたま)。

こちらも調べてみましたが

埼玉県川口市、

羽盡神社(はぞろ)に祀られている

という事以外

詳しいことはわかりませんでした。


うーむ。

こういった名前だけ残された方々が、

重要な方だったのでは?

と妄想。


日本書紀まだまだ続きます。

明日は、高天原での、素戔嗚尊の暴挙。

そして、天照大神の引き篭もりです。


読んで頂き

ありがとうございました。







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