リートリンの覚書

日本書紀 巻第十五 億計天皇 一 ・出自



日本書紀 巻第十五 億計天皇 一

億計天皇(おけのすめらみこと)
仁賢天皇(にんけんてんのう)

・出自



億計天皇の諱(いみな)は
大脚(おおし)といいます。

(更の名は、大為(おおす)といいます。それよりほかの天皇は、諱字を言っていませんでした。この天皇に至り、書き記したのは旧本によってです。)

字(あざな)は、
嶋郎(しまのいらつこ)です。

弘計天皇(をけのすめらみこと)の
同母兄です。

幼くして聡穎(そうえい)で、
才があり敏(さと)く、
識も多かったです。

壮(さか)んになると、
仁惠(じんけい)にして、
謙恕温慈
(くだりなだめやはらきうつくしひます)
でした。

穴穂天皇が崩ずるに及び、
難を丹波国余社郡(よさ)に避難しました。

白髪天皇元年冬十一月、
播磨国司山部連小楯
(やまべのむらじおだて)が、
京に詣でて、
迎えるように求めました。

白髪天皇(しらかのすめらみこと)は
ひきつづき小楯を遣わして、

節(しるし)を持ち、
左右舎人をひきつれて、
赤石に至り奉迎(ほうげい)しました。

二年夏四月、
遂に億計天皇を皇太子としました。
(事は具に弘計天皇紀にあります)

五年、
白髪天皇が崩御しました。

天皇は、
天下を弘計天皇に譲り、
皇太子となりました。
これは以前と同じです。
(事は具に弘計天皇紀にあります)

三年夏四月、
弘計天皇が崩御しました。



・聡穎(そうえい)
ぬきんでて、かしこい
・仁惠(じんけい)
いつくしみとめぐみ
・謙恕温慈(くだりなだめやはらきうつくしひます)
でしゃばらないで、ひかえめな態度をとる。けんそんする。へりくだる。
・奉迎(ほうげい)
身分の高い人を迎えること。お迎えする



(感想)

億計天皇の諱は
大脚といいます。

(更の名は、大為(おおす)といいます。それよりほかの天皇は、諱字を言っていませんでした。この天皇に至り、書き記したのは旧本によってです。)

字(あざな)は、
嶋郎です。

弘計天皇の同母兄です。

幼くして、
ぬきんでて、賢く、
才があり敏(さと)く、
知識も豊富でした。

壮年になると、
慈しみと恵みをもち、
謙虚であつい思いやりがありました。

安康天皇が崩御した時、
難を逃れるため、
丹波国余社郡(よさ)に避難しました。

清寧天皇元年冬11月、
播磨国司山部連小楯が、
京に詣でて、
兄弟を迎えるように求めました。

清寧天皇はひきつづき小楯を派遣して、
節(しるし)を持ち、
左右舎人をひきつれて、
赤石に行きお迎えしました。

清寧天皇2年夏4月、
ついに億計天皇を皇太子としました。

清寧天皇5年、
白髪天皇が崩御しました。

天皇は、
天下を弘計天皇に譲り、
皇太子となりました。
これは以前と同じです。

顕宗天皇3年夏4月、
弘計天皇が崩御しました。

今日から仁賢天皇の条
始まります。

お付き合い頂けたら幸いです。

仁賢天皇とは、
どのような方だったのでしょうか?

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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