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リートリンの覚書

日本書紀 巻第一 神代上 第七段 一書群 二 改訂版



日本書紀 巻第一 神代上
第六段の一書群 そのニ

・素戔嗚尊の高天原での暴挙
・天照大神の岩戸への引き篭もり
その異伝。


第三の一書


一書に曰く、
日神の田は、三か所ありました。

呼び名は、
天安田(あまのやすだ)、
天平田(あまのひらた)、
天邑田(あまのむらあわせた)といいます。

みんな良い田で、
長雨や日照りにあっても、
害を受けることがありませんでした。

素戔嗚尊の田もまた、
三か所ありました。

呼び名は、
天杙田(あまのくいた)、
天川依田(あまのかわよりた)、
天口鋭田(あまのくちとた)といいます。

そこはみんな痩せた土地でした。
雨が降ると流れ、
日照りになるとやけてしまいました。

素戔嗚尊は姉に嫉妬し、
彼女の田を壊しました。

春には、
用水路の板をはずし、
また溝を埋め、畔を壊し、
また二重に種を播きし、

秋には田に串を刺し、自分の物と主張し、
馬を伏せさせ稲を倒しました。

それらの悪事は
やむことがありませんでした。

しかし、
日神はとがめず、
広い心でそれらを許していました。
云々。

日神が天の石窟(いわや)に
閉じこもると、

諸々の神々は、

中臣連(なかとみのむらじ)の遠祖、
興台産霊(こごとむすひ)の子、
天児屋命(あまのこやね)を
遣わせ祈らせました。

天児屋命は、
天香山の眞坂木(まさかき)を
根ごと抜き出し、

上の枝には、
鏡作の遠祖で天抜戸(あまのぬかと)の子、
石凝戸辺(いしこりとべ)が作った
八咫鏡(やたのかがみ)をかけ、

中の枝には、
玉作の遠祖で
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子、
天明玉(あまのあかるたま)が作った
八坂瓊之曲玉(やさかにのまがたま)かけ、

下の枝には、
粟国の忌部の遠祖の
天日鷲(あまのひわし)が作った
木綿(ゆう)をかけ、

これを忌部首(いんべのおびと)の遠祖、
太玉命(ふとだまのみこと)とり持たせて、
あつく賛辞を祈りました。

これを聞いた日神は、
「このごろ多くの人が請いますが、
このように麗しく美しいことを
言うものはいませんでした」

と磐戸を細く開けてのぞきました。

この時、
天手力雄神(あまのたぢからおのかみ)が
磐戸の側に控えており、
磐戸を引き開けました。

すると日神の光が
世界中に満ちあふれました。
ゆえに諸々の神は大いに喜びました。

すぐさま素戔嗚尊に
千の台座にのるほどの
沢山の解除(はらえ)を科し、

手の爪を吉爪棄物(よしきらいもの)として、
足の爪を凶爪棄物(あしきらいもの)として、
徴収しました。

天児屋命に、
その解除の大諄辞(ふとのり)を
司らせました。

世の人が謹んで自分の爪を収めるのは、
これがその起源です。

諸々の神々は素戔嗚尊を責めたてて、
「お前の行いは酷いものだ。
であるから、
天上に住んではならない。

また、
葦原中国にも居るべきではない。

速やかに底根の国へ行け」
と皆一緒になり素戔嗚尊を追い出しました。

時に長雨でした。

素戔嗚尊は青草を束ねて結び笠簑とし、
衆神に宿を乞いましたが、

衆神は、
「お前は行いが邪悪で、
責められ追放された者だ。

それなのに、
どうして宿を私に乞うのだ」
と皆同じく素戔嗚尊を拒みました。

風雨がひどい状態でしたが、
このように、
留まり休むことが出来ず、
辛く苦しみながら
素戔嗚尊は降りていきました。

それ以来、
世間では、
笠簑を着て他人の家内に入るのを、
忌み嫌うのです。

また束ねた青草を背負って、
他人の家内に入ることを忌み嫌います。

この忌事を犯した者は、
懲罰を負わせる。

これは、
いにしえの違法なのです。

こののち、素戔嗚尊は、
「諸々の神々は俺を追放した。
俺は今まさに永久に去ろう。

だが、
姉さんに会わずに
どうして勝手に行くことができるだろうか」
といい、

また天を震わせ、
大地を震わせ、
天に上がっていきました。

その時、
天鈿女(あまのうずめ)は、
それを見て報告しました。

日神は、
「我が弟が上ってくるわけは、
また良い心ではなく、

我が国を奪おうと
思っているのだろう。

私は婦女だが、
どうして避けたりできようか」
といい、

すぐに武装しました。云々

ここに素戔嗚尊は誓約をして、
「俺がもし良からぬことを思い、
また上って来た者であるなら、

俺が今玉を噛んで生まれる子は、
必ず女の子だ。

もしそうであったら、
その女の子は葦原中国に降ろしてくれ。

もし、
清い心だったら
生まれる子は必ず男の子だ。

そうであったら、
その男に天上を統治させたらいいだろう。

また姉さんが生む子もまた、
この誓いと同じことにしよう」
といいました。

そこで、
先に日神が十握剣を噛んで云々。

素戔嗚尊がくるくると、
その左の髻に巻いた
五百筒統之瓊(いおつみすまる)の
瓊(たま)の緒を解き、

瓊の音をじゃらじゃらとさせて、
天の渟名井にすすぎ浮かべました。

その瓊の端を噛んで、
左の掌に置いて生まれた子が、
正哉勝勝速日天忍穂根尊
(まさかあかつかちはやひあめのおしほねのみこと)

また右の瓊を噛んで、
右の掌に置いて生まれた子が
天穂日命(あめのほひのみこと)。
これは出雲臣(いずものおみ)、
武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)、
土師連(はじのむらじ)等の遠祖です。

次に天津彦根命(あまつひこねのみこと)。
これは茨城国造(いばらきのくにのみやつこ)
額田部連(ぬかたべのむらじ)等の遠祖です。

次に活目津彦根命(いくつひこねのみこと)。
次に熯速日命(ひはやひのみこと)。
つぎに熊野大角命(くまのおおすみのみこと)

あわせて六男です。

そこで、
素戔嗚尊は日神に、
「俺がまたここへ昇って来た理由は、
諸神たちに、
根の国に追放の処分をされたからだ。

今まさに去ろうとしていたのだが、

姉さんに一目会っておかなければ、
忍び別れることが出来ない。

誠に清い心で、
もう一度上って来ただけだ。

今はもう会うことができた。

衆神の意のまま、
永遠に根の国へ行く。

どうか姉さん、
天国を照らし続けてくれ。

そうすれば自ずと平安となるだろう。

俺が清い心で生んだ子どもたちは、
姉さんに奉る」
といい、

再び降りて行きました…

廢渠槽、此は祕波鵝都(ひはがつ)といいます。
捶籤、此は久斯社志(くしさし)といいます。
興台産靈、此は許語等武須毗(こごとむすび)といいます。
太諄辭、此は布斗能理斗(ふとのりと)といいます。
轠轤然、此は乎謀苦留留爾(をもくるるに)といいます。
瑲瑲乎、此は奴儺等母母由羅爾(ぬなとももゆらに)といいます。


この一書を読み
最初に思ったことは、

粟(徳島県)の国の忌部の遠祖の
天日鷲(あまのひわし)が作った
木綿(ゆう)をかけ、の文。

以前、大嘗祭を調べた際の
麁服の事を思い出しました。

このお話が
神界のお話なのか、
現実世界の話しなのか、

いつの時代のことなのかは、
全くわかりませんが

ずっと昔から
徳島の忌部氏の方々は、
布を作り続けてきたのかと思うと、

改めて感嘆しました。

この伝統を守ることは、
大変とは思いますが
頑張っていただきたいと思います。

そして、この一書を読み
一番感じた事は、

素戔嗚尊は、
冤罪だったのでは?
と思いました。

何しろ、幼少期と晩年期の
性格が違い過ぎる。

高天原での暴挙は、
他の神々の仕業だったのでは?

天照大神は
それを知っていたから
彼を咎めなかったのではないか。

云々には、
どのような伝承があったのか。

もしかすると、
真実が書いてあったのかも。

時の権力者に、
都合が悪くごまかしたとか。

気になります。

無実なのに罪を擦りつけられ。

髪の毛を抜かれ、
爪を剥ぎ取られ、

雨の中、
皆に拒まれ
宿も見つからず…

雨に打たれ
歩く姿が心に浮かび、
悲しくなりました。

自然と涙が出てきました。

本当に悲しい。

姉に対する願いを読んでも
涙です。

素戔嗚尊は、
優しい方だったのでは。
あれほどの扱いを受けても
国を思う心。

はぁ、この一書。

心にグッときます。

あぁ、
素戔嗚尊を祀る神社に
感謝の参拝がしたくなりました。

さて次回は、
出雲国に降りたった、
素戔嗚尊のお話です。

校正をして気がつきました。
えー本日で、ブログ100日目でした。

続けてこれたのも、
読んでくださる方がいるからです。

ありがとうございます😊
感謝です。


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