ジョージィはずっとアパート暮らしである。
しかも典型的な引っ越し貧乏人だ。
私の最も古い記憶(1960年頃)では、
父が安月給の国鉄職員であったためか、私の学齢前からは薄いベニヤ製で、垂れ下がって今にも落ちてきそうな天井を持つ六畳の板の間(居間)と押入のある4畳半の畳部屋(寝室)の二間が我が家であった。
後年父母から聞いた話によると、私が生まれる前の結婚したての頃は天井裏の一間を借りていたのだというから、そんなアパートでも住環境としては進化だろう。
一階と二階にそれぞれ廊下を挟んで二部屋ずつ。計四部屋の二階建ての木造アパートだった。
どの部屋も居間にある流しの横には直径50cmほどの口を持つ高さ1m弱の水ガメ(瓶)が置いてあった。
アパートから数十メートルのところにある共同水道からバケツで汲んできた水を入れておくためだ。
上水道がこんな具合だから、下水に関しても下水管など無く道路の即帯に掘られた幅、深さとも数十センチの溝つまりドブであった、各家庭から流された水はこの小さなどぶ川に流れ込み、さらに大きなドブへと流れついには川に流していたのである。
まぁよく言えば、どの家も小さなお堀付きの住宅に住んで居たと言うことか...(違う!って)
テレビも普及していないから天井裏ではネズミが走り回り、よく「ほうき」や「はたき」「ものさし」等で天井をつついてネズミを追い払っていた。だから天井が垂れ下がってしまったのだ。
<夫婦喧嘩もお隣さんが仲裁>
そのアパートの想い出では、おとなりさんの部屋の様子が筒抜け。
夫婦喧嘩が始まるとアパート中に知れ渡る。
私と同い年の娘さんを持つお隣は、酒好きお父さん。しょっちゅう大酒を飲んでは暴れていた。そのたびにアパートの住人皆で止めに入った。
実は我が家の両親の夫婦喧嘩の時にも、お隣さんが止めに来てくれた記憶がある。
両親の夫婦喧嘩が始まると幼い子供にはどうしていいのかわからない。
実は子供心に「はやく誰か止めに来てよ」とお隣さんが来てくれるのを頼りにしていたことを思い出す。
それだから子供の居る家庭で夫婦喧嘩が始まると、その家の子も助けを待っているかも知れないと気になって自分の両親に「行かなくて良いの?!」と何度もせっついていた記憶がある。
(続く)
しかも典型的な引っ越し貧乏人だ。
私の最も古い記憶(1960年頃)では、
父が安月給の国鉄職員であったためか、私の学齢前からは薄いベニヤ製で、垂れ下がって今にも落ちてきそうな天井を持つ六畳の板の間(居間)と押入のある4畳半の畳部屋(寝室)の二間が我が家であった。
後年父母から聞いた話によると、私が生まれる前の結婚したての頃は天井裏の一間を借りていたのだというから、そんなアパートでも住環境としては進化だろう。
一階と二階にそれぞれ廊下を挟んで二部屋ずつ。計四部屋の二階建ての木造アパートだった。
どの部屋も居間にある流しの横には直径50cmほどの口を持つ高さ1m弱の水ガメ(瓶)が置いてあった。
アパートから数十メートルのところにある共同水道からバケツで汲んできた水を入れておくためだ。
上水道がこんな具合だから、下水に関しても下水管など無く道路の即帯に掘られた幅、深さとも数十センチの溝つまりドブであった、各家庭から流された水はこの小さなどぶ川に流れ込み、さらに大きなドブへと流れついには川に流していたのである。
まぁよく言えば、どの家も小さなお堀付きの住宅に住んで居たと言うことか...(違う!って)
テレビも普及していないから天井裏ではネズミが走り回り、よく「ほうき」や「はたき」「ものさし」等で天井をつついてネズミを追い払っていた。だから天井が垂れ下がってしまったのだ。
<夫婦喧嘩もお隣さんが仲裁>
そのアパートの想い出では、おとなりさんの部屋の様子が筒抜け。
夫婦喧嘩が始まるとアパート中に知れ渡る。
私と同い年の娘さんを持つお隣は、酒好きお父さん。しょっちゅう大酒を飲んでは暴れていた。そのたびにアパートの住人皆で止めに入った。
実は我が家の両親の夫婦喧嘩の時にも、お隣さんが止めに来てくれた記憶がある。
両親の夫婦喧嘩が始まると幼い子供にはどうしていいのかわからない。
実は子供心に「はやく誰か止めに来てよ」とお隣さんが来てくれるのを頼りにしていたことを思い出す。
それだから子供の居る家庭で夫婦喧嘩が始まると、その家の子も助けを待っているかも知れないと気になって自分の両親に「行かなくて良いの?!」と何度もせっついていた記憶がある。
(続く)