ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

エピソード(#001) 通勤ラッシュ攻略法

2006年08月04日 16時31分01秒 | Weblog
再び横浜での生活を始めた1982年春、始めて通勤ラッシュを経験した。

横浜駅から東海道線上りに乗車するときは、学生アルバイトの「押し屋」がいるのでさほど苦にはならないが、品川駅で乗り換える時は自力で乗り込まねばならない。

元々満員状態で到着する車両にさらに乗り込むのだから皆必死である。
前の人物をさらに車両の中に押し込まないと自分が車内に入る余地が無い。
体当たりしたり、必死に前にいる乗客を押し込んだりと、必死になって自分の身体を車内に乗せる毎日だった。

なにせ、定刻通り電車が来ない時も多いのだからこの車両を逃すと遅刻の確立が急上昇。
どの会社も同じ時間に始まるのだから思いは誰も同じ。他の人々の必死さも伝わってくる。

そのころは品川駅のホーム先頭(東京駅方面ホームの端っこ)を守る駅員さんも何とか乗車して欲しいと、懸命に乗客らの後押しをしてくれたり、「発車」の合図を待ってくれていた。

満員電車に乗車できる「勝ち組」は、他のひとより先に立っている人である。
後ろの人も乗り込もうとして背中を押してくれるので100%乗れるのだ。

また、最後に乗り込む人にはもう一つのリスクが伴った。
こんな風だ。
一人のサラリーマンが駅員さんの助けを借りながら必死になって最後に乗り込んできた。
サラリーマンが乗り込んだのを確認した駅員さんは「発車」の合図を発した。
そのサラリーマンは「ホッ」とした表情を見せ安心した様子だった。
私や周りの乗客は「気を抜いたらダメだ!」と思った事だろう。
案の定、発車の合図に合わせて彼のために開けたスペース分の揺り戻しの人の波が起こり、閉じかけているドアの間からあっけなくそのサラリーマンはホームに押し出され、そのまま電車のドアは閉じた。

そのサラリーマンは何が起こったのかとホームの上で唖然としており、
駅員さんは「あ~ぁ、やっちゃったね」と同情顔。
乗客皆も「可哀相だけど..」と窓の外を見つめる中で電車は走り出した。

【 攻略法の発見 】
毎朝のように繰り広げられる「満員電車乗車競争」。
どうしても無理だと判断して、乗車を諦める日もごく普通にあった。

数ヶ月して、
毎日同じようにもがいて乗り込むのだが比較的楽に乗り込める時があることに気がついた。
乗り込んだ時の様子を注意深く反省してみると、
どうやら、前からではなく、後ろ向きに乗り込むと比較的楽に乗り込めるらしい。と、気づいた。
翌日から早速実験と観察を繰り返した。

そしてついに、ドアから人がはみ出している中でも、
1.利き手でドアの上の壁をおさえ、
2.電車の入り口に後ろ向きになって近づき、
3.利き足の靴のカカトをドアの縁(ヘリ)に引っかけ、
4.もう一方の手もドア上の壁をおさえるようにしながら、
5.後ろ向きのまま自分の身体を車内に押し込んだ。

確実に乗れる方法を見つけたのだ。

翌日から、先に車内に乗り込んだ乗客やホームの端を守る駅員さんのいぶかしげな表情で見ている中、発車間際までホームに立ち、駅員さんの発車合図の様子を確認すると、さっと乗り込んだ。
駅員さんはいつものようにはみ出た人を押し込もうとドアのところに来たが、すでに私が全員を車内に押し込んでいた。

【 見切り発車始まる 】
たいがい誰も自分の乗車位置を持っている。
顔を合わせる乗客もいつもの人たちの場合が多い。

私が毎回一番最後に乗り込み、それが気に入らない乗客から乗せまいと妨害されても難なく突破してしまうのでジョージィ型乗車方法は皆がマネを始めた。

乗れることが確実になれば、着いた駅では真っ先に降りたいしドア側は外も見えるので快適なのだ。
つまり、だれもが一番最後に乗りたがった。
電車が来ても、発車の時間になっても、なかなかすぐに乗り込まない人々が現れた。駅員さんの困惑が始まった。

私が最後に乗り込むのは全員を車内に押し込むためで有ることは駅員さんも判っていた。
しかし彼らは、自分の為に最後に乗ろうとしているのだ。

私と駅員さんは顔を見合わせ「困った人たちだ」と目で合図をし、
とにかく彼らを早く車内に乗せようと、私は率先して車内に乗り込むようになった。
それでも彼ら数人はなかなかすぐに乗り込もうとしない。

そしてついに....、

私は車内から駅員さんを見つめていた。
駅員さんは「ほんとうは皆さんを乗せてあげたいのだけれど、電車がさらに遅れてしまう」と苦渋に満ちた表情と、ためらいを見せながら発車の合図を送った。

慌てて乗り込もうとしたが、駅員さんの助けがないので乗れなかった数人がホームに残されたまま電車は走り出した。

その日を境に、さっさと乗り込もうとしない人たちはホームに残されたまま「見切り発車」が始まった。
1982年、東京・浜松町駅に向かうための 品川駅ホーム での出来事だった。