私はとにかく嫌われる。
20代前半には「敵を作っても仕方がない」と、少しは努力もしたが、やっぱり嫌うヤツは嫌うのだと諦めた。
そもそも私が中学3年の時の10月、
小駅廃止政策で父親の転勤が決まり、(担任の教師は止めたが)小中学校合わせて130人(中3生徒18名)の過疎地から、中学3年生だけでも400名強の中学校に転校してからだった。
受け入れ校も心配した成績だが、中間テストの成績が数理とも一番だったのだ。
過疎地の学校では、中学からの担任教師が国語担当だったので国語の成績も悪くない。
文化祭での審査委員長として総評したときの出来事も理由して、私は生徒会の生活委員長にさせられてしまったのだ。
おかげで何事か生徒同士のトラブルがあると必ず私が呼び出される。
私が仲裁に入ると「気に入らないヤツだ!」と、私が身代わりに暴力を受ける羽目になった。
しかも何が因果か、校内一の乱暴者「番長」は同級生であり、私の転校初日以来彼の席は私の真後ろだった。
授業中も休憩中も私と彼とはイザコザの連続。
彼を支援する不良グループと、暴力を嫌うグループは私につくという構図が始まった。
(続く)
20代前半には「敵を作っても仕方がない」と、少しは努力もしたが、やっぱり嫌うヤツは嫌うのだと諦めた。
そもそも私が中学3年の時の10月、
小駅廃止政策で父親の転勤が決まり、(担任の教師は止めたが)小中学校合わせて130人(中3生徒18名)の過疎地から、中学3年生だけでも400名強の中学校に転校してからだった。
受け入れ校も心配した成績だが、中間テストの成績が数理とも一番だったのだ。
過疎地の学校では、中学からの担任教師が国語担当だったので国語の成績も悪くない。
文化祭での審査委員長として総評したときの出来事も理由して、私は生徒会の生活委員長にさせられてしまったのだ。
おかげで何事か生徒同士のトラブルがあると必ず私が呼び出される。
私が仲裁に入ると「気に入らないヤツだ!」と、私が身代わりに暴力を受ける羽目になった。
しかも何が因果か、校内一の乱暴者「番長」は同級生であり、私の転校初日以来彼の席は私の真後ろだった。
授業中も休憩中も私と彼とはイザコザの連続。
彼を支援する不良グループと、暴力を嫌うグループは私につくという構図が始まった。
(続く)