私の先生がおっしゃっていたことです。
ひとのこころには、さまざまな感情がわきます。
これは自然とわいてくるものです。
「こんなふうに感じよう」と考えて、それを変えることはできません。
「こんなふうに感じるのはよくない」と思って、
それを変えるようにした、と思うひともいるかもしれません。
でもそれは、本当に感じていたことを無理矢理押さえつけて
ふたをして、感じないように見ないようにして、
別の考え方を上から1枚ぺたっと貼りつけただけなのです。
あなたが本当に感じていることではありません。
押さえつけられた感情はなくなるのではなく
無意識の中に潜んで、
理不尽な怒りや身体の不調などに形を変えて
あなたに訴えかけてきます。
では、わいてきた感情をどうしたらいいのでしょう?
おさえつけないのだとしたら、出してしまう?
でもそれでは大変じゃない?
いえいえ、なんでも出してしまえばいいということではありません。
自分がどう感じているかを認めて、
しかるのち、では自分はそれにどう対応するか考えればいいのです。
例えば「腹が立つ~~~」という感情がわいてきたのなら
まず「ああ、自分は腹を立てているんだ」と認める。
そして次にその気持ちとどうつき合うかを「自分が」決める。
ストレートに怒りを出すのか?ここはひとつ黙っておくのか?
怒るのではなく、冷静に意見を出すのか?
へらへら笑ってかわすのか?
状況や自分のやり方などを考えて、どうするか自分が決めたらいいのです。
大切なのは「わいてきた感情をそのまま受け入れること」
そして「その感情とどうつき合うかを自分が決めること」です。
自然とわいてくるものを無理矢理押さえつけるのではなく
変えられないことを変えようとあがくのではなく
あるがままに受け入れ、変えられるところを変える。
感情にただただ振り回されるのではなく、
自分でどうするのか決める。
いつでもうまくいくわけではないけれども
やみくもに無理して自分を押さえつけるのではなく
「ああ無理をしているな、自分」ってわかれば
ストレス対策もできるし、
しなくていい無理はさけることができるようにもなる。
すぐにできるようになるわけではないけれど
少しずつ自分の感情と仲良くなりつつあります
みなさんもよかったら試してみてくださいね♪
今日のいいこと
おさつスナック・紫芋 美味でした
ひとのこころには、さまざまな感情がわきます。
これは自然とわいてくるものです。
「こんなふうに感じよう」と考えて、それを変えることはできません。
「こんなふうに感じるのはよくない」と思って、
それを変えるようにした、と思うひともいるかもしれません。
でもそれは、本当に感じていたことを無理矢理押さえつけて
ふたをして、感じないように見ないようにして、
別の考え方を上から1枚ぺたっと貼りつけただけなのです。
あなたが本当に感じていることではありません。
押さえつけられた感情はなくなるのではなく
無意識の中に潜んで、
理不尽な怒りや身体の不調などに形を変えて
あなたに訴えかけてきます。
では、わいてきた感情をどうしたらいいのでしょう?
おさえつけないのだとしたら、出してしまう?
でもそれでは大変じゃない?
いえいえ、なんでも出してしまえばいいということではありません。
自分がどう感じているかを認めて、
しかるのち、では自分はそれにどう対応するか考えればいいのです。
例えば「腹が立つ~~~」という感情がわいてきたのなら
まず「ああ、自分は腹を立てているんだ」と認める。
そして次にその気持ちとどうつき合うかを「自分が」決める。
ストレートに怒りを出すのか?ここはひとつ黙っておくのか?
怒るのではなく、冷静に意見を出すのか?
へらへら笑ってかわすのか?
状況や自分のやり方などを考えて、どうするか自分が決めたらいいのです。
大切なのは「わいてきた感情をそのまま受け入れること」
そして「その感情とどうつき合うかを自分が決めること」です。
自然とわいてくるものを無理矢理押さえつけるのではなく
変えられないことを変えようとあがくのではなく
あるがままに受け入れ、変えられるところを変える。
感情にただただ振り回されるのではなく、
自分でどうするのか決める。
いつでもうまくいくわけではないけれども
やみくもに無理して自分を押さえつけるのではなく
「ああ無理をしているな、自分」ってわかれば
ストレス対策もできるし、
しなくていい無理はさけることができるようにもなる。
すぐにできるようになるわけではないけれど
少しずつ自分の感情と仲良くなりつつあります
みなさんもよかったら試してみてくださいね♪
今日のいいこと
おさつスナック・紫芋 美味でした