大変遅くなりましたが、ボランティアの報告です。
10月12日~14日にかけて宮城県の南三陸町に震災復興ボランティアに行ってきました。
東日本大震災から1年半が経過して、少し遅くなってしまいましたが・・・
とにかく、行かなければと思いました。
私の勤める企業グループでは、震災直後から会社と労働組合が協力して災害支援の寄付や緊急救援カンパを行ってきました。
その他にも、会社の全面的なバックアップで震災救援ボランティアを派遣してきました。
グループ全体から参加希望者を募って、会社が旅費(社有バスで送迎)と宿泊費を負担してくれます。
それが・・・、参加希望者が多くて抽選になってしまうんです。
私も2度目の申し込みでやっと当選しました。
10月12日のお昼過ぎにこのバスで集合場所の銀座スワン前を出発し、宿泊地(仙台)のユースホステルに着いたのは、19:00くらいでした。
翌朝6:00に宿舎を出発、約2時間かけて南三陸町のボランティアセンターに着きました。
ボランティアセンターで、作業の割り振りをしてもらって作業場へ向かいます。
私たちのように、企業や自治体から団体でボランティアに参加する人々の他に、個人で乗用車に乗って参加する人もいました。
ボランティアセンターの駐車場にテントを張って泊り込みで来ている人もいました。
1日目の作業場です。建物は無く、基礎部分が残っているだけです。
この場所に沢山の家々が建ち、多くの人々が行き交っていたなんて・・・
現在の街の様子からは想像も出来ません。
2日目の作業場です。のどかで美しいこの海が牙をむいたとは信じられません。
作業内容は、このように瓦礫を拾い集めて選別するのですが、スコップで土砂の撤去作業をすることもあります。
とにかく色んな瓦礫があって、ガラス片や金属片、コンクリート片など拾っても拾っても拾い尽くせないんです。
橋脚だけが残ったままになっている鉄道の跡です。
このような景色があちこちで見られます。
防災対策庁舎跡です。
今も、お花や千羽鶴を供える方があとを絶ちません。
あの日、津波にのまれながら最後まで住民に避難を呼びかける放送を続けた、若き女性職員の声が聞こえてくるようです。
ボランティアセンターに隣接するベイサイドアリーナ内に展示してあった4歳の子供が作った5行歌です。
写真が小さくて見にくいでしょうが、じっくり読んであげて下さい。
震災後の昨年6月に被災地を訪れたときにも感じた事ですが、今回改めて自然の力の恐さというものを感じました。
一言で「復興」と言ってしまいますが、その道のりはとても長く苦しいものであろうと思います。
震災で亡くなられた多くの方々の事
ご家族や知人・友人を亡くされた方々の事
幼い心に深い傷を負った子供たちの事
色々なことを思い考えながら帰ってきました。
また、何かのかたちで自分にできる支援をしていきたいと思います。
10月12日~14日にかけて宮城県の南三陸町に震災復興ボランティアに行ってきました。
東日本大震災から1年半が経過して、少し遅くなってしまいましたが・・・
とにかく、行かなければと思いました。
私の勤める企業グループでは、震災直後から会社と労働組合が協力して災害支援の寄付や緊急救援カンパを行ってきました。
その他にも、会社の全面的なバックアップで震災救援ボランティアを派遣してきました。
グループ全体から参加希望者を募って、会社が旅費(社有バスで送迎)と宿泊費を負担してくれます。
それが・・・、参加希望者が多くて抽選になってしまうんです。
私も2度目の申し込みでやっと当選しました。
10月12日のお昼過ぎにこのバスで集合場所の銀座スワン前を出発し、宿泊地(仙台)のユースホステルに着いたのは、19:00くらいでした。
翌朝6:00に宿舎を出発、約2時間かけて南三陸町のボランティアセンターに着きました。
ボランティアセンターで、作業の割り振りをしてもらって作業場へ向かいます。
私たちのように、企業や自治体から団体でボランティアに参加する人々の他に、個人で乗用車に乗って参加する人もいました。
ボランティアセンターの駐車場にテントを張って泊り込みで来ている人もいました。
1日目の作業場です。建物は無く、基礎部分が残っているだけです。
この場所に沢山の家々が建ち、多くの人々が行き交っていたなんて・・・
現在の街の様子からは想像も出来ません。
2日目の作業場です。のどかで美しいこの海が牙をむいたとは信じられません。
作業内容は、このように瓦礫を拾い集めて選別するのですが、スコップで土砂の撤去作業をすることもあります。
とにかく色んな瓦礫があって、ガラス片や金属片、コンクリート片など拾っても拾っても拾い尽くせないんです。
橋脚だけが残ったままになっている鉄道の跡です。
このような景色があちこちで見られます。
防災対策庁舎跡です。
今も、お花や千羽鶴を供える方があとを絶ちません。
あの日、津波にのまれながら最後まで住民に避難を呼びかける放送を続けた、若き女性職員の声が聞こえてくるようです。
ボランティアセンターに隣接するベイサイドアリーナ内に展示してあった4歳の子供が作った5行歌です。
写真が小さくて見にくいでしょうが、じっくり読んであげて下さい。
震災後の昨年6月に被災地を訪れたときにも感じた事ですが、今回改めて自然の力の恐さというものを感じました。
一言で「復興」と言ってしまいますが、その道のりはとても長く苦しいものであろうと思います。
震災で亡くなられた多くの方々の事
ご家族や知人・友人を亡くされた方々の事
幼い心に深い傷を負った子供たちの事
色々なことを思い考えながら帰ってきました。
また、何かのかたちで自分にできる支援をしていきたいと思います。