僕は名もない凡人でいたい

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映画「マン・オブ・スティール」

2013年09月10日 | 映画/DVD

映画「マン・オブ・スティール」を見に行きました。

世界一有名なヒーロー、ご存じスーパーマンです!

彼がスーパーマンと呼ばれるようになるまでの誕生秘話、“エピソード0”的な内容の映画です。

直訳すると「鋼の男」だけど、日本語と英語では、ずいぶんニュアンスが違いますね

そうそう、わたしの周りで、「マンオブシティー」と聞き間違える人がいました。

違うからね。

「街の男」って、それじゃ普通の人になっちゃうからね(笑)

◆◇◆ ネタバレあるよー ◆◇◆

(1)あらすじ

クリンプトン星滅亡の危機において、カル・エルと名付けられた赤子(のちのスーパーマン)は、遠い地球へと送られます。

地球に降り立った赤子は、クラークと名付けられ、心優しい両親の元ですくすくと成長します。

クラーク少年は、普通の人間と違い、感覚があまりにも鋭敏過ぎました。

気の弱いいじめられっ子で、いつも物陰で膝を抱えて震えているような子供です。

しかし、父親(演者はケビン・コスナー。年を重ねてますます深みが増してます。)から自分が宇宙からやってきたことを知らされ、やがて正義の心に目覚め、人々を助けるようになります。

大人になったクラーク・ケント(ヘンリー・カヴィル。誰ですか?! このやたらセクシーな俳優は!)は、ある時は使えない新人漁師として、またある時はレストランのウェイターとして働き、髭ぼうぼうで瞳の暗い青年になっていました。

(アレッ?!だてメガネの新聞記者ではなかった?と思う方、秘密は最後に明かされます。それにしても、髭がある方がカッコイイ気がする

街で男にからまれている女性を助けたかと思えば、瞬間移動するかのようにサッと空を飛び、炎上する石油プラットフォームを担ぎ上げてヘリコプターの脱出を助ける。

遥か遠くの助けを呼ぶ声を聞き、颯爽と駆けつけ、助け、去ってゆく。

その力ゆえに人々に恐れられ、正体を隠して、仕事を転々としながらさすらっているのです。

やがて、氷河の中で発見された2万年前の宇宙船で、クリンプトン星の本当の父親の思念に出会い、青い全身タイツに赤マントという斬新なスーツを貰い受けます。

そして、大地を蹴り、成層圏にまで達するほど空を駆け、自分の力の最高点を知るのでした。

やがて、クラーク・ケントはスーパーマンと呼ばれ、人類と信頼関係を結ぶようになります。

宇宙からやってきた同胞と対決する日が迫っています・・・・・・。

(2)壊滅する街

ラスボス、クリンプトン星の生き残りゾッドとの対決は、この映画一番の破壊シーンでもあります。

車やトラック、巨大ビル群、そして人工衛星までも(地球人の英知が結集された物なのに!)粉々に破壊しまくります。

2人の全身タイツ男の大ゲンカに、街が壊滅状態。

もうやめて~~っ。

叫びたくなります

(3)クリンプトン星の人口抑制

カル・エルは、クリンプトン星初の自然出産で生まれた子供です。

この星では、人口抑制のため、それぞれの階級ごと(たとえば官僚、労働者、兵士など)のDNAが組み込まれた子供が作られ、彼らの人生には「選択」や「チャンス」というものが欠落していました。

ですから、カル・エルはこの星にとっても「希望」の人なのです。

何を思い、感じ、どう行動するか、彼は自分の意志で決めることができる。

それが出来ないゾッドは、敵役とはいえ、一番不幸な人であったかもしれません。

(コンピュータで制御・洗脳された人間たちが描かれた、1980年のアニメ映画「地球へ...」の世界観が思い出されました。)

・・・

・・・・・・

でもあれですね、わたしたちも、自分の意志で決めているようで、洗脳されていることが少なくないかもしれないですね。

食べている物も、着ている服も、仕事も、生き方そのものも。

時代の先駆者として突き抜けた才能を持っている人にも、それに共感し、続いてくれる人たちがいなければ、世には出てこられない。

誰しも、時代に流されている部分はあるということでしょうか。

あっ!

真面目な話になっちゃったけど、この映画は、なーんも考えずに見て楽しめるものなので、ご安心くださ~い


劇場版「薄桜鬼 第一章 京都乱舞」

2013年09月02日 | 映画/DVD

映画「劇場版 薄桜鬼 第一章 京都乱舞」を見ました。

動乱の幕末を舞台に、新撰組隊士たちが活躍するアニメーション。

わたしのような、歴史好き&新撰組好きにはたまらない作品のひとつです

母体はゲームに始まり、TVアニメも放映され、隊士たちキャラクターの美しさから、一部女子のハートを鷲掴みにしました。

史実を基に、「鬼」という存在しえぬ者が登場するオリジナルファンタジーを融合させ、荒ぶる魂がぶつかり合う幕末の京都が見事に表現された、とても骨太な作品だと思います。

スタッフは、画面の隅に咲く小さな花にさえ、(あの時代に本当にあったかどうか?)というところまで調べ、大変なこだわりを持って作ったそうです。

◆◇◆この先ネタバレあるけど、どっちかというと歴史の話中心だよ◆◇◆

今回公開された第一章では、芹沢鴨(せりざわかも)暗殺後の新撰組が描かれています。

かの有名な池田屋事件~油小路の変(あぶらこうじのへん)、そして、二条城の帰りに近藤勇が銃で狙撃され、鳥羽・伏見の戦いに敗れ、戊辰戦争に突入する直前まで。

武器が刀から銃に変わりつつある時代、袴を足首でギュッと縛った和装姿、刀のみで戦う様が丁寧に描かれています。

※「池田屋事件」・・・・・・池田屋に集まった尊王攘夷を掲げる長州・土佐藩士たちを、襲撃し殺害あるいは捕縛。当時無名だった新撰組の名を、(功績というよりはその強さと非情さで)京都中に轟かせるにいたった。

※「油小路の変(あぶらこうじのへん)」・・・・・・新撰組から分かれ御陵衛士(ごりょうえじ)として独立した、伊東甲子太郎(いとうかしたろう)や藤堂平助(とうどうへいすけ)らが、裏切者として暗殺された事件。

(※映画では藤堂平助は死なずにいます。後編につづくのでしょう。

近年、「触れてはいけない秘密がある」という風な、意味深発言が残っているため、「実は生きていたのでは?」とささやかれています。確かに、近藤勇は「藤堂だけは助けたい」と言っていたらしいですが・・・・・・確証がないので歴史の謎です。)

◆◇◆◇

新撰組の活躍が、歴史に大きな影響を与えたとは思えません。

歴史を作ったというより、歴史に翻弄された人たち。

ただ、その生き様に惹かれます。

彼らはなぜ、命を賭けてまで武士に憧れたのでしょう?

たとえ貧乏でも、自然豊かな多摩の田舎で、仲間とともに助け合いながら暮らし、楽しく笑って一生を終えることもできたはずです。

この疑問の答えを導くかのような台詞が叫ばれました。

「愚か? それがどうしたってんだ。俺たちは元から愚か者どもの集団だ。バカげた夢を追いかけてここまで来た。」

「いい加減我慢ならねえ! 腰抜けの幕府も、邪魔くさいてめぇらも。」

「まがいものだと?それが一体どうした。俺たちは、今までも散々、武士のまがい者として扱われてきたんじゃねぇか。だけどな、何があっても信念だけは曲げねぇ。まがい者だろうが何だろうが、貫きゃ誠になるはずだ。俺は・・・・・・俺たちは、本物になれるってこったろう!」

(「薄桜鬼」より台詞抜粋)

普段クールな土方歳三が、熱く叫んだ言葉が、胸に響きます。

実際の本人の言葉ではないか、という気がするほどです

◆◇◆◇

新撰組については、ほかの文献等も面白く興味深く、色々書きたい気持ちでいっぱいです

でも今回は、映画「薄桜鬼」の記事なので、これにのみ留めます。

映画の第二章は、春に公開予定だそうです。

歴史の波にもまれ、仲間が一人また一人と散っていくのを、最後まで見届ける人がいます。


映画「ローン・レンジャー」

2013年08月31日 | 映画/DVD

ジョニー・デップ主演「ローン・レンジャー」を見に行きました。

勧善懲悪な内容と、ほぼCGを使わない本物志向のこだわり撮影技術、どうあってもテンションあがりっぱなしになっちゃうウィリアムテル序曲とがバッチリ合って、バキューン! ドカーン!! と、大迫力の見応えある映画でございました

途中、記憶が飛んだけど、ノープロブレ~ム!

内容がナイヨーな西部活劇

なんかわかんないけど、スッゴ~イ

とにかく、最後の盛り上がりだけ見られれば、大満足です

それと、フカフカの椅子に身を委ね、キャラメルポップコーンをポリポリ食べ、足を伸ばしてくつろげる映画館って最高だよね

ジョニー・デップは好き

最近の映画もいいけど、昔の作品、特に「シザーハンズ」と「ギルバート・グレイプ」が好きです。

(「ギルバート・グレイプ」のレオナルド・ディカプリオの子役名演もすごいね

ジョニー・デップが来日した時、確か、

「かっこよくあり続ける秘訣は?」の質問に、

「周りの評判を無視すること」

と答えていました。

本当、かっこえーだーねぇ~


映画≪風立ちぬ≫を見ました

2013年08月02日 | 映画/DVD

映画「風立ちぬ」を見に行く日。

わたしは前日から、咳と鼻水が出ており、市販薬を飲んでもいいかどうか病院に確認の電話をしました。

たいしたことはないのですが、以前、肺炎になった時も、最初は風邪の引き始めみたいな軽い感じから、どんどんひどくなったことを思い出して、早めに治しておこうと思ったのです。

気楽に電話をしたのに、先生に「受診してもらおうかな」と言われ、

「いえいえ、咳と鼻水だけですから」と焦りました。

先生 「熱は?」

lib 「体温計が壊れていて・・・・・・

先生 「えぇ?!」

lib 「あの、全然元気なんで・・・・・・。ただ、市販薬を飲んでいいかだけ聞きたかったんです。今日は映画見に行くんです。」

先生 「わかりました。市販薬を飲んでもいいです。それで様子をみましょう。」

lib 「はい。(ホッ)」

先生 「熱が出たり、症状がひどくなるようであれば、土日でも電話をください。あと、できれば体温計は買ってください。」

なんだか、こんな風に病院の先生と話すと、本気の病気みたい

(病気だけど)

でも、今日は映画を観に行くのだ~!

気を取り直して、行きました

◇◆◇◆ ※ここから先、映画のネタバレあるよー ◆◇◆◇

映画「風立ちぬ」は、大正12年の関東大震災、昭和16年から始まった太平洋戦争など、時代を揺るがす衝撃的な歴史背景の中に生きた、若者の夢を描いた作品です。

零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦を設計した堀越二郎が主人公になっています。

イタリア人設計士が夢の中で語る【飛行機は美しい夢】という憧れを胸に、ひたすら戦闘機の設計に没頭する主人公。

映画では、戦闘や人が死ぬシーンは出てきません。

ただ、飛行機の残骸が浮き彫りになるのみです。

最初から最後まで、二郎は自分が作っているモノが人を殺す道具であるということに、向かい合おうとしなかったように感じました。

「一機も戻りませんでした。」

なんの感慨もなく、無表情につぶやく二郎に、わたしは違和感を感じずにいられません。

この人は、一切、葛藤しないのです。

震災で足をケガした女性を助けたり、飢えた子どもにお菓子を分け与えようとしたり、同僚との友情を大切にする、素晴らしき人格者なのに。

国や会社からの命令で仕方なく作っているという感じではなく、ただ【飛行機は美しい夢】というカプローニの抽象的な言葉だけが繰り返され、そのために戦闘機を作り続けます。

そして突如、シーンが変わり、美しい森に囲まれた避暑地で、薄幸の少女と再会します。

(彼は一体、あそこに何しに来ていたんだろう?あんなに飛行機作りに没頭していたのに。休暇?うーん、よくわからない

堀辰雄著「風立ちぬ」の愛と死の世界です。

婚約者は儚く散り、次なるメッセージ【生きねば】が出てきます。

すべての事象が断片的すぎて、感情移入できません。

映画館内では、何人もの人が寝ていました。

わたしは、(いつになったらこの世界に入り込めるのだろう)と思い続け、そのうち映画が終わってしまいました。

積極的に映画を楽しむ努力をしたつもりですが、2時間は長く、唯一、ユーミンの「ひこうき雲」に救われました。

宮崎駿の趣味の世界(飛行機大好き)を、具現化した作品だったのかな?という印象です。

あと、宣伝が多かったので覚悟はしていたものの、主人公の声は感情の抑揚がなく、本当に残念、お粗末、お気の毒でした。

それに、風景画も期待していたほど美しくなかった・・・・・・

「コクリコ坂」の方が美しかったです。

もう、ジブリは映画館で見なくてもいいかなと思いました。

映画のメッセージも、わたしにはよくわかりませんでした。

【美しい夢】の中で【生きねば】でいいんだろうか?

二郎が作った飛行機で、現実にたくさんの若者が命を落としています。

戦闘機に乗った人も、その戦闘機で撃たれた人も・・・・・・。

その人たちにも、夢はあり、友人や恋人がいて、生きたかったに違いありません。

主人公がそういう現実に目を向けず、単純に【美しい夢】だなんて実感の湧かない言葉だけを頼りに、淡々と戦闘機を作っていたのが残念です。

【美しい夢】のために必要な犠牲だった、という風にも受け取れました。

ヒロインだけが、自身の「死」という厳しい現実に向き合い、愛と情熱を持って生きたように感じます。

わたしたちは戦後の時代に生きているからこそ、過去を振り返る冷静な目を持っています。

歴史を背景にした作品では、その時代に生きた人の情熱が見たいとわたしは思うのです。

たとえそれが、愚かだとしても・・・・・・。


えっ?ナニコレ?DVD「プリンセストヨトミ」

2012年02月06日 | 映画/DVD

映画「プリンセストヨトミ」をDVDで見ました。

個人的意見であることを、まず主張しておきます。

映画の感想は、欠伸が出るほど退屈。

陳腐な大阪国設定に失笑。

音楽だけはやたら壮大。

出演者は豪華なのに。

綾瀬はるかも堤真一も好きな俳優なのに。

カッコイイたこ焼き屋さん役で玉木宏も出てたのに。

現代芸術なのでしょうか。

徳川家が豊臣家を滅ぼした1615年「大阪・夏の陣」を連想させる「赤く燃える大阪城」や、「鳥居、松平などの人名」・・・・・・ほかにも、なんらかの関連がイメージできるモチーフが映画のそこかしこに散りばめられ、歴史的背景と現代が絡み合う効果を生み出している、という感じです。

やりたいことはわかるんだけど。

セーラー服を着た男の子は性同一障がいというより、単純に女装家に思えます。父から子へ受け継がれる大阪国民としての目覚めとか、日本国政府から5億円ぽっちのお金が流れていることとか、プリンセスを守るために立ち上がった大阪国民がプリンセスを無視しているところとか、国会議事堂の使用価値とか・・・etc。

意味のわからない、つじつまの合わないことだらけです。

まぁビックリ久々のC級映画でした