予備知識なく、録画した映画「私の中のあなた」を見た。
【ストーリー】
白血病で余命いくばくもない少女ケイトを取り巻く人々の物語。
妹アナは、姉のドナーとなるために遺伝子操作で誕生し、幾度も血液や骨髄等を提供する。そして、ついには腎臓提供まで迫られたことから、母親に対して裁判を起こす。
弟ジェシーは失読症に陥っているが、親の十分な関心を得られず、人生に迷い始めている。
父親は温かくおだやかな気質で家族を愛しているが、妻の愛は自分ではなく娘ケイトに集中するばかりである。
親戚は上っ面の言葉はくれるが、実際には寄りつかない。
母親は現実を受け入れられず、どんな過酷な状況でも涙ひとつこぼさない。しかし、もう打つ手がないことを受け入れた瞬間、心が溶けていくように泣き崩れる。
死を受け入れたケイトは、
「ママは大丈夫」
と、母親を抱きしめて逝く。
【感想】
このような映画を、自分の誕生日に一人で見ることになるとは。
(なかなか粋なはからいをする)と、偶然の神様に突っ込みを入れつつ……。
娘を救うためにあがき、周りの言うことも聞かずにひたすら闘い続ける母親(キャメロン・ディアス)の姿は、映画「ロレンツォのオイル」に出てくる母親像と重なる。
ロレンツォの方がもっと狂っていたけれど、両方とも実話が元らしい。
(※「ロレンツォのオイル」(1992)……難病の副腎白質ジストロフィーを息子に持つ両親が、素人ながら研究を重ね、ある種のオリーブオイルが治療に有効であることを発見する。過去の実績に囚われる医学会や、傷をなめ合うだけの支援団体と衝突をし、新風を巻き起こした実話。)
母親はあらゆる治療にすがり、自分も家族も犠牲にしてどんなことでも行おうとする。
もはや、ケイトの意志すら関係なくなっていく。
そうすることが、自分を支える唯一の方法だったのだ。
2歳の時に白血病を発症したケイトは、妹アナのおかげで14歳くらいにまで成長している。
病気の子供を持つ家族の苦労は計り知れない。
悲しみが大きい分だけ、喜びも大きくあるはずだ。
家族の絆とか愛とか、云々……わたしはそう信じたい!
だけど、いつかは断ち切られる時がくる。
すべての人に訪れる、死が。
信じられない! だけど、そうなんだ。
死とは何か。
アナはケイトに「別の世界に行っても待っててくれる?」と言う。
死を受け入れてなお、自分たちは繋がっていると信じる姉妹が美しい。
多分、きっと、また会えるから。
☆
日本の医療系ドラマや映画は美化しすぎて「お涙頂戴感」があるが、それに比べれば、抗がん剤治療でゲーゲー吐くシーンに悲壮感はないし、家族以外の人たちが明るい冷淡さを持つのも妙にリアルだ。
個人的には、いつか見たいと思っていた骨髄穿刺の針の太さを鑑賞できたのも収穫のひとつ。(映画が事実だとしたら、だけど)
こんな映画を見たら、自分の白血病治療中のことを思い出さずにはいられない。
☆
※ここから自分の話
骨髄移植を受ける直前、夫と2人で旅行に行った時のことを思い出すと、今でもどうにも涙がこぼれる。
前にも書いたと思うけど。
何度だって思い出して書くさ。自分のためにね。
医者の許可を得て、家族にも誰にも内緒で行った修善寺。
2人で星を見上げながら歩いていて、道路のくぼみにはまって転びかけた。
自分で自分を支えることができないわたしを支え、夫はそのまま優しく抱きしめて、寂しそうに微笑みながら言った。
「このまま2人で逃げちゃおうか」
その時、わたしは夫が「2人で死のうか」と言ったと思った。
今でも、夫はそういうつもりで言ったと思う。
泣くしかなかった。
白血病患者を支えるのは本当に大変なことだ。
わたしには頼れる家族がいないから、夫はずっと一人で闘ってきた。
昼は会社へ行き、夜と休日は病人の看病をする。
家に帰って、病人の衣服やタオルを洗濯し、殺菌のためすべてにアイロンをかける。
医者と対等に話ができるほど白血病や薬学・栄養学まで調べ上げ、わたしとわたしの家族の連絡係をし、セカンドオピニオン(東京)に続いてサードオピニオンでは一人で日帰りで九州まで飛んだ。
夫は、日本のみならず、世界でもっとも白血病研究が進んでいるのがどこかまで調べていた。
彼が働いた分のお給料は、わたしの治療費でどんどん消えていった。
病室に来ると1日1回はわたしを笑わせてくれた。
苦しくても悲しくても、誰にも相談せず、一切愚痴や弱音を言ったことはない。
いつも笑顔だった。
だから彼の「逃げよう」という言葉は心に突き刺さって、今でも離れない。
もう2度と、彼にあんな悲しい顔をさせない。
今、わたしの命は、そのためにあるようなものだ。
【ストーリー】
白血病で余命いくばくもない少女ケイトを取り巻く人々の物語。
妹アナは、姉のドナーとなるために遺伝子操作で誕生し、幾度も血液や骨髄等を提供する。そして、ついには腎臓提供まで迫られたことから、母親に対して裁判を起こす。
弟ジェシーは失読症に陥っているが、親の十分な関心を得られず、人生に迷い始めている。
父親は温かくおだやかな気質で家族を愛しているが、妻の愛は自分ではなく娘ケイトに集中するばかりである。
親戚は上っ面の言葉はくれるが、実際には寄りつかない。
母親は現実を受け入れられず、どんな過酷な状況でも涙ひとつこぼさない。しかし、もう打つ手がないことを受け入れた瞬間、心が溶けていくように泣き崩れる。
死を受け入れたケイトは、
「ママは大丈夫」
と、母親を抱きしめて逝く。
【感想】
このような映画を、自分の誕生日に一人で見ることになるとは。
(なかなか粋なはからいをする)と、偶然の神様に突っ込みを入れつつ……。
娘を救うためにあがき、周りの言うことも聞かずにひたすら闘い続ける母親(キャメロン・ディアス)の姿は、映画「ロレンツォのオイル」に出てくる母親像と重なる。
ロレンツォの方がもっと狂っていたけれど、両方とも実話が元らしい。
(※「ロレンツォのオイル」(1992)……難病の副腎白質ジストロフィーを息子に持つ両親が、素人ながら研究を重ね、ある種のオリーブオイルが治療に有効であることを発見する。過去の実績に囚われる医学会や、傷をなめ合うだけの支援団体と衝突をし、新風を巻き起こした実話。)
母親はあらゆる治療にすがり、自分も家族も犠牲にしてどんなことでも行おうとする。
もはや、ケイトの意志すら関係なくなっていく。
そうすることが、自分を支える唯一の方法だったのだ。
2歳の時に白血病を発症したケイトは、妹アナのおかげで14歳くらいにまで成長している。
病気の子供を持つ家族の苦労は計り知れない。
悲しみが大きい分だけ、喜びも大きくあるはずだ。
家族の絆とか愛とか、云々……わたしはそう信じたい!
だけど、いつかは断ち切られる時がくる。
すべての人に訪れる、死が。
信じられない! だけど、そうなんだ。
死とは何か。
アナはケイトに「別の世界に行っても待っててくれる?」と言う。
死を受け入れてなお、自分たちは繋がっていると信じる姉妹が美しい。
多分、きっと、また会えるから。
☆
日本の医療系ドラマや映画は美化しすぎて「お涙頂戴感」があるが、それに比べれば、抗がん剤治療でゲーゲー吐くシーンに悲壮感はないし、家族以外の人たちが明るい冷淡さを持つのも妙にリアルだ。
個人的には、いつか見たいと思っていた骨髄穿刺の針の太さを鑑賞できたのも収穫のひとつ。(映画が事実だとしたら、だけど)
こんな映画を見たら、自分の白血病治療中のことを思い出さずにはいられない。
☆
※ここから自分の話
骨髄移植を受ける直前、夫と2人で旅行に行った時のことを思い出すと、今でもどうにも涙がこぼれる。
前にも書いたと思うけど。
何度だって思い出して書くさ。自分のためにね。
医者の許可を得て、家族にも誰にも内緒で行った修善寺。
2人で星を見上げながら歩いていて、道路のくぼみにはまって転びかけた。
自分で自分を支えることができないわたしを支え、夫はそのまま優しく抱きしめて、寂しそうに微笑みながら言った。
「このまま2人で逃げちゃおうか」
その時、わたしは夫が「2人で死のうか」と言ったと思った。
今でも、夫はそういうつもりで言ったと思う。
泣くしかなかった。
白血病患者を支えるのは本当に大変なことだ。
わたしには頼れる家族がいないから、夫はずっと一人で闘ってきた。
昼は会社へ行き、夜と休日は病人の看病をする。
家に帰って、病人の衣服やタオルを洗濯し、殺菌のためすべてにアイロンをかける。
医者と対等に話ができるほど白血病や薬学・栄養学まで調べ上げ、わたしとわたしの家族の連絡係をし、セカンドオピニオン(東京)に続いてサードオピニオンでは一人で日帰りで九州まで飛んだ。
夫は、日本のみならず、世界でもっとも白血病研究が進んでいるのがどこかまで調べていた。
彼が働いた分のお給料は、わたしの治療費でどんどん消えていった。
病室に来ると1日1回はわたしを笑わせてくれた。
苦しくても悲しくても、誰にも相談せず、一切愚痴や弱音を言ったことはない。
いつも笑顔だった。
だから彼の「逃げよう」という言葉は心に突き刺さって、今でも離れない。
もう2度と、彼にあんな悲しい顔をさせない。
今、わたしの命は、そのためにあるようなものだ。
そして、お誕生日おめでとうございます
ご主人に100倍恵まれましたね!
ありがとうございます。
年を取って「結婚30周年アニバーサリー」を迎えるのが夢です
わたしは、チロルさんのコメントにいつも癒されています。
どうぞ今年も、よろしくお願いします