かなたんの更年期を楽しむブログ♪

ただいま 更年期真っ最中のアラフィフ女デス
自分のこだわり・思うコトなど
独断と偏見で言いたい放題綴ってマス 

父の人生・・・犠牲者続出

2018年02月12日 05時36分10秒 | 家族のこと

3連休最終日(*'▽')

3日とも何気に天気良さそうですね

ワタシは土日・祝日は常にバイトなので

3連休は自分で平日に作らないと・・

てか、このブログ読み返してみると

すっごいヒマ人に・・自分でも見えます

なんか・・遊んでばっかだし

老後のヒマつぶし? 

いやいや・・そんな幸せなご身分ではございません

扶養のギリギリラインまで働いております

周りには

「子育ても終わってんだしフルで働けばいいじゃないの」

と、言われますが

父を朝から晩まで一人きりにするのが

可哀想なので てか心配・・

というか。 絶対に寂しがるので・・・

なかなか踏み切れません

姉2人は正社員でバリバリ稼いでおりますけれど・・

これで、父の遺産は3等分とかになったら

ちょっとブー(*´з`)

でも 父とはお互い人生で一番長く暮らしている者同士で

ながーーーく付き合ったおかげで

若い頃許せなかった父の全てが 最近許せるようになったので

良かったなぁ・・と思います

次姉は18歳で出て行ってしまったので

いつまでも父に対する感情が娘の頃のままで

家には最低限の用でしか寄り付かないし

来る前には必ずワタシがいるか確認するし

長居なんて絶対にしません

最後には捨てゼリフまで残して帰っていきます

父に会うと調子が崩れるそうで

父も姉が帰った後はタイヘンですけどね

つまり 姉が来るとワタシが一番タイヘンなんです

姉の子達も 父には、なつかず

全然 無関係・・みたいな状態・・

でも

進学のお祝いとか誕生日のお祝いだけは

家族でしっかり受け取りに来ます

すぐ帰るけど・・・

ワタシからすると

おねえちゃん・・

いつまでも子供みたいに

恨み続けててもさぁ・・

と、思いますけど

たまに、ちょっと顔を合わせるだけでは

父の変化には気づけませんよね

次姉は頭がよく

特に反抗もせず我が道を邁進してるだけだったので

親にとっては育てやすい子だったと思います

ところが・・・

そんな姉に異変が起きたのが30代後半です

ウツ病になってしまったのです

姉は子供の頃に育った自分の家庭を反面教師に

自分の子供たちには ステキな家族を作ってあげたい気持ちが

強すぎて もともと掃除(👈超ヘタ)や料理(👈くそまずい)などの

家事全般が、大の苦手なのに

良妻賢母を演じすぎて

知らないうちに頑張りすぎてしまったようです

ワタシは 

おねえちゃん家事なんて大嫌いなのに

ムリしてるわねぇ~

とずっと思っていたので

ついに壊れちゃったか・・ 

と思いました

母が入院してしまうことが多かったワタシの家庭環境でも

姉が料理してるところなんて見た事なかったですからね

いつも一番遅くまで寝てて、一番遅く帰ってくる

もともと姉は自分を評価してもらいたい人で

評価も対価もない家事に価値を見出すことが

ヘタ・・

そんな姉でしたから

統合失調症もタイヘンですけど

ウツも、まータイヘン! 

もー別人になっちゃって・・

メンタルの病気は 実に大変です(/・ω・)/

それについてもおいおい語らせて頂きます

姉がウツになった原因も

ずっと辿っていくと

やっぱり父なんですよね・・・

姉はウツが ひどくなるにつれて

父への拒絶がひどくなっていきました

主治医からも

「お父さんと接触しないように」とのお達し・・

父は人の気持ちなんて分からないので

「そんなことはないだろう。

 先生はバカなこと言ってるなぁ」

なんて言っては

姉の入院先に顔を出しに行き

姉に

「きぃぃぃ! お父さん帰って!!」

と追い返されてました

それでも諦めない(てか気づかない?)のが

ワタシの父のすごいところです・・

ワタシが 父に

「お父さん・・・お父さんは

性格が悪いんだよ・・・」

と、客観的に父の性格を教えてあげると

「いや・・・そんなはずはない

お父さんは高校生の頃、饅頭屋に下宿していて

そこのおばあさんに 

「よっちゃん(父の愛称(・・?)「よっちゃん」って

それは可愛がられて 

「よっちゃんはどこに行っても可愛がられるよ」

って言ってもらったんだ!!」

と、人生で たった1度だけしか言ってもらったことが

ないであろう言葉を、ずっと信じ続けて

生きてきたんだという事が判明しました・・(+_+)

ワタシは あの時ほど 父の告白に

ビックリしたことはありません・・・

たしかに腰が軽くて 有難迷惑なくらいに

動くので(ほとんど押しつけ)

下宿先では そうとう動いていたんだろうと

思われますが・・・

たしかに たしかに

どんなことでも一所懸命で 

絶対に手を抜かないですから

父を理解するには

50年が必要・・・

そして犠牲者多数・・・(/・ω・)/

こわいですね~・・



















 
















秀でてなくてもいいんです(/・ω・)/

2018年02月10日 12時03分12秒 | 家族のこと

おはようございます(*'▽')

早くもお仕事終わって一休み(^^♪

と・・たった今 テレビでオリンピックの聖火をキム・ヨナが

灯しました(録画中継)

キム・ヨナさんは 品がありますね。

動きがキレイ

バンクーバーシーズンの1年間は 

すごく底意地悪そうなオーラを出しまくっていましたけど

国の期待を一身に背負って・・十代の彼女は精神的にも

追いつめられてたんだなぁ・・と、今 彼女を見ると、そう思います

底意地悪い人が あんなにキレイに踊ることなんてムリですので

本当の彼女は きっと 心優しいステキな女性なのでしょう

バレエもそうですけど

踊りって、その人の性格が ものすごく出ます

性格というか・・ 

こういう心を持った方なんだな・・となんとなく伝わります

 

 

実は・・娘がバレエをやっていました

(喘息を治す目的で)

小3の秋、という かなり遅いスタートでした

あんまり遅いスタートなので モダンバレエにしたら?

と言いましたが

トウ・シューズが履きたいというので

クラッシックバレエ教室を

何件かお試し体験に行かせたところ

娘が「ここで学びたい!」とくる所がイマイチなくて・・

最後に選んだお教室に電話してみると

事務の人ではなく、先生が直接出られました

「あの~そちらはクラッシックバレエでしょうか?」と尋ねると

「うちは純っ粋なっ!クラッシックバレエです!!」

と、「クラッシック」という言葉に魂が込められてるのが

電話口からハッキリと伝わりました

・・・この先生は ホンモノだ・・( ゚Д゚)

先生の言葉の気迫に押され 口ごもってしまうと

「小学3年生? けっして早いスタートじゃないわね!

 でも、うちは何歳でも一番下の幼稚園クラスから

 やってもらいます!! いいですか?お母さん!

 バレエっていうものは飛び級はないの!! 年齢じゃないのよ!

 1つ1つ階段を地道に上って行かないと踊れるようにはならないのよ!

 1つ飛ばしも許しません!!

 じゃあ、〇日の何時のレッスンにいらっしゃい!」

 ものすごい迫力で バレエへの心構えを熱く語られ

電話を切ったあと

「・・・〇日・・ 用事あったらどうしよう・・・( ゚Д゚)」

 てか・・まだ入るって言ってないけど・・

 とりあえず、 指定された日に娘と出かけると

入口の小さい間口に比べて

中は思いのほか広いのでビックリしました

幼稚園クラスなので 可愛い幼稚園生が わんさかいます

娘は今でこそ大きいですが、子供のころは とっても小さかったので

意外にも目立たず、むしろ馴染んでました

電話に出た先生が やってきて1時間みっちり

基礎の基礎のような練習を楽しくやってくれました

レッスンが終わり 挨拶に行くと

「楽しかったでしょう!来週からいらっしゃい」

そして 娘はバレエを始める事になりました

あとで知ったのですが

実は、ここ!知る人ぞ知る有名な教室で 

先生は本まで出しており、

娘が入った時は

先生の本に感銘を受けて他のお教室から

移ってくる生徒が続出中で

毎週のように新しい生徒さんが入ってくるといった状況

他のお教室から移ってくると

そのクセを抜かないといけないと言われ

ほとんどの子が

やっぱり下のクラスを勧められるんです

そういう理由で

幼稚園クラスにも小学生が、けっこういました

8クラスほど段階があって 

トウ・シューズは ちょうど真ん中の4番目のクラスでした

だいたい小学4,5年生が中心です

ここのお教室は これくらいの年齢にならないと

トウ・シューズは許されない感じでした

昇級試験は1年に1回だけ 

そこで毎回受かっても 娘がトウ・シューズに

足を通すのは中学生です

娘は このお教室を とても気に入り

「ここでレッスンしたらワタシ絶対上手くなるから

 ここにする」

と喜んで通いました

一番下のクラスに入って 2回目のレッスンが終わったとき

先生が

「お母さん! お子さんは ものすごく覚えが早い子です!

 来週から1つ上のクラスを受けてちょうだい!」と言ってきました

「・・はぁ」

飛び級は許さないって 言ってなかったかしら・・

とは思ったものの、

一番下のクラスは幼稚園生のリトミックみたいなレッスンですので

小3の娘が覚えが早いのは当たり前で・・・見た目が小さいから

先生勘違いしてるわね・・ まあいいや

きっと、下から2番目のクラスからが本番なのね と

次の週から下から2番目のクラスを受けることになりました

さすがに このクラスは バーレッスンもバレエっぽくて

「うわ~ なんかバレエやってる~」という風景で

娘も ますます張り切ってレッスンに通いました

それから数回して

お迎えに行くと またも先生が

「お母さん!お母さん!」とワタシを探しています

「はっ、はい!」と叫ぶと

「お母さん!! お子さんね!覚えがすごく速いのよ!!

でもね!! バレエに飛び級はないの!!」

と、側にあった階段をバンバン叩きながら

「どんなに出来ても 一段一段上ってもらいますからね!!」

と、すごい迫力で 熱く語られました

「・・・クラス上げてくれなんて 思っていませんけど・・・」

と、心の中で思いましたが

「はぁ・・お任せ致します・・・」

なにしろワタクシ バレエなんて観賞したこともありませんので

そう言われても・・てな感じでした

と、こう言われた翌月、年に一度の昇級試験がありました

これが また結構キビシー試験で 

下のクラスでも全員合格にはなりません

うちは上がったばかりだし、関係ないか と思っていたら

なぜか試験に受かってしまい またもクラスが上がってしまいました

・・・先生・・いいんですか(・・?

かくして 下から3番目のクラスに上がった娘 

これで、小学2年生くらいのレベルです

このクラスになると けっこう本格的な基礎レッスンで

踊りが苦手なワタシからすると

「難しそう・・・」

1年で昇級出来ればいいけれど・・なんて思っていたら

なぜか半年後に 特別試験とかいうのが行われ

半年前に合格できなかった人の為のモノだったのですが

娘も一緒に受かってしまい また上のクラスに上がってしまいました

トウ・シューズまで、あと1つ

と、思ったら また少しして

「最近の子は昔と違って発育が早いので これらを考慮して

 このクラスから トウ・シューズに慣れてもらうことになりました」

というお達しがきて

あっという間に 

念願のトウ・シューズを履くことを許されてしまいました

小5になると

有名な先生の講習会に「ぜひ行きなさい」とか誘われることも増え

なんだかんだと ワタシも送迎が忙しくなりました

このお教室は お金持ちのハイソなご家庭のお嬢様が多く

みなさん 穏やかでお優しい

娘も友達に恵まれ

本当に楽しく通っていました

お金持ちの方って心の余裕がハンパない

ワタシは 毎回 寝間着に毛が生えたような格好で

バイクで娘のお迎えに行ってました

ヘルメットなので髪の毛はボーボーだし

お化粧もしません 

冬なんて 娘にもスキーの恰好させてましたし

ファッションよりも防寒命!ですから・・

他のお母さま方は 常に身なりを整えておられて

それこそスーツ姿が普段着です みたいな感じ

お迎えのお車もベ〇ツやア〇ディ・・

お化粧にもスキがなく ステキな奥様そのもの・・

でも どのお方も みーんな

穏やかで ガツガツしてなくて

ワタシにも娘にも 

ものすごく優しかったです

 

この頃になると娘が家で

「今日は こんな踊りを習ったの」と

見せてくれる動きが 

我が子とは思えないほど優雅でキレイなことに

気付き

ワタクシ驚いてしまうのでした

うちの子って何者?( ゚Д゚)

お教室のおかげはおかげに間違いないのですが!

それだけではないんです 明らかに!

例えば手の置く場所、ポジションですね

常に一番キレイに見える位置におくんですよ!

それも自然に!

足の上げ方、動かし方

全てにおいて その位置! と思う場所に

ピタっ ピタっ とハメてくる

あまりに、ハマるので 見とれてしまうのです・・・

やばい・・この子 どうしよう・・

先生が アレコレ言ってくるだけのことはある

本気でバレリーナ目指した方がいいんじゃないの?

バレエなんてよく分からないけど

ちょっと違うわ・・他の子と(>_<)

と、まあ 親バカじゃありませんが

バレエでなくても 踊り系に進んだ方が

向いてるのではないか・・とワタシも真剣に考え始めました

とーころがどっこい!!

バレエが好きで好きでたまらなかった娘は

中3の秋に 突然バレエを辞めてしまいました

それはもうアッサリと!

「膝が痛いから。受験だし。」


フィギュアスケートの宮原選手のコーチや

その道で成功した人に中には

とにかく覚えが遅くて鈍くて 

マスターするのに人の2倍かかった 

でも努力の天才なんです

という話をよく聞きます

ワタシの娘は まさに その逆

なんでもアッサリできてしまうので

捨てるのもアッサリ・・・

今 思うと 娘の才能に期待し始めたワタシにも

原因があったと思います

この道で食べていかせたほうがいいかどうか

それは娘が決める事で

娘は 

この膝じゃあプロになるのはキツイ

じゃあ、別の職を考えないといけない

高校入って勉強しないと!

さっさと見切りをつけて

将来に向けて始動を開始しました。

きっと・・

ワタシが へんな期待をしなければ

今も趣味で続けていたかもしれません・・

あんなに好きだったのに

あんなに上手だったのに・・・

今も 残念に思います

でも娘は冷静に

「かーちゃん。親バカだし

 バレエでプロになるなんんてムリだから。

 自分の限界分かってたし」と言います

子育てには いろんな後悔も反省もあります

でも、娘の踊りは 本当に美しかった

そして通っていたバレエ教室は

実にすばらしい所だったと思います

あそこでなければ ここまで

キレイな踊りは身につけられなかったはずです

娘を指導して下さった先生方には

今も感謝しています

ひょんなことで入ったお教室でしたけど

最初に先生がおっしゃった

純っ粋っ!なホンモノのクラッシックバレエを

教えていただくことが出来ました

意外と 姑息でずる賢いのに

ものすごく清らかで品のある舞いをする娘でした

(親バカ)

20歳過ぎてれば タダの人

才能よりも何よりも

辞めない人が

最後に成功するのです

※子育て中のお母さまへ※

ご自分のお子様が 今は

そんなに秀でてなくても

いいんですよ

人生は 最後まで分からないものなんです


 





















 




























 





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「春はあけぼの」枕草子勝手に言いたい放題

2018年02月09日 07時54分04秒 | ワタシが思うコト

清少納言さんが書いた随筆集

「枕草子」で有名な「春はあけぼの」ですが

今日、窓をあけて あけぼのを眺めていて

「春はあけぼの」を なんとなく思い出しました

そうです

明け方が、とても美しい季節は今なのです

旧暦の春って きっと今なのです

彼女の言うところの「あけぼのがいいと思う季節」って

やっぱり冬なのです(たぶん)

今の時期のあけぼのは最高にキレイです(*'▽')

「春はあけぼの」を改めて読んでみると

清少納言さんは

季節ごとに一番好きな刻を記しているわけで

春といったら「あけぼの」なのよ! と、言ってるわけでは

ないのです

しかも、1日の中で、やってくる時間を示しているので

毎日のように期待して楽しめる

今日のあけぼのは昨日よりキレイだった

今日のあけぼのは雨で見れなかった残念

でも、明日はきっとキレイなあけぼのがみれるかも

と、1つのことにちょっと気にかけるだけで

毎日が なんとなくワクワクした気持ちになったりします

昔の人は、テレビもラジオも携帯もない 

娯楽が圧倒的に少ない生活なので

自然の変化を楽しむのが一番の娯楽

今の人より、自然の色にも敏感だったと思います

キレイと言われる色調のバランスって 

自然のバランスと、ほぼ一緒ですので

キレイな色合いのものって 

だいたいが、どこかに存在している風景です

空も、いつでも真っ青ってわけではありません

ピンクと水色と白の優しい色合いなんて見かけると

平安時代の貴族は こういう色合いから

十二単の色調を取り入れたんだろうなぁ~とか

思わずにいられません(*'▽')

清少納言さんの言う通り

今の時期は 早起きしてでも

明け始める空を眺める価値があると思います

そんでもって彼女が勧める

「夏は夜」

ホタルがキレイだと言っています

ホタルが飛ぶ季節は6月です 

そして この時期というのが

一年で最も夜が短い季節です

夜が明けるのが朝の4時前で

日が暮れるのがも7時過ぎですので

1日がとてもとても長い

もしかしたら ちょっとヒマを持て余していたかも

しれません

やっと日がくれた8時すぎ

暗闇をホタルが尾を照らしながら

飛び交い始める様は 何とも雅ですね

とはいえ

ホタルって蒸し暑い無風の日に多く飛ぶので

たくさん飛ぶ日は 不快指数も高かったんではないかと

思ったりもしますが・・・(*´з`)

1つ、2つ スーッと消えたりついたり・・・

なんとなく そっちのほうが涼しげで

趣深い気もします

梅雨の時期ですので「雨もよい」と

しっかり書いておられますね

梅雨って気がめいるかもしれませんけど

この時期の木々は葉っぱが若いので

雨に濡れる様は 実に生き生きとしてキレイです

真夏を迎える前の この時期

雨が降ったら 緑をみてほしいです

ホントにキレイですから(*'▽')

「秋は夕暮れ」

これは、とくに空に興味のない人でも

感じるくらい キレイですよね

お盆も過ぎると 虫の音がやたらと響くようになります

この季節の風物詩ですね

鈴虫の音は ホントにキレイですけど

なにしろ鳴くのが夜中なので 

窓開けて寝てると 虫の音がうるさくて

眠れない・・・なんてこともあるくらい

この時期は大合唱

逆に、この時期しか聞けないので貴重といえば貴重です

お日様が南東へ遠ざかるので 光線も長くなります

色も赤味が増すので 夕焼けのすごいことったらありません

カラスは1年中いますけど 秋は特に鳴きますね 

なんと カラスは夏に子供を産んで

秋には家族の基盤を作る習性があるんだそうで

カーカー鳴くのは 子供を守るためなんだそうです

だから秋はカーカーうるさいし

群れを作って飛び、集団でねぐらに帰るんだとか・・

「冬はつとめて」

つとめては「早朝」

彼女は冬が あまり好きではないんじゃないかなぁ~

と思います

冬は葉っぱも散って お山も禿頭だし

いろんなものが枯れ果てて

なんとなく全体に茶色くて 華やかじゃない(--〆)

夜は寒いので 外を見るも何も 戸を開けることも

したくないでしょうし

布団から起き出したくない

くじけそうになる朝 

それが冬です

そんな中で なんとなくいつもより静かな感じがして

「?・・もしかしたら」と、思い切って戸を開けたら

一面が銀世界 

しかも、早朝なので誰の足跡もないまっさらな白!

これは息をのむほど美しいですよね

雪あかりという言葉もあるように

雪景色って、日がなくても明るいですから

誰もが納得ですね

彼女自身も「言うに及ばす」といった感じで綴っています

布団から出たくないほど寒いのに

「ハー さむいさむい」と

暖を取る道具を持って パタパタと廊下を

行きかう姿を見ると

「あー 冬がきたー」と

冬を実感する一コマだったのでしょう

でも 

最後の最後で 

なんとも風情のない指摘をしているのが

子供のころから なんとも解せない・・と思うのは

ワタシだけでしょうか

ここまで 風情のある文章を書きたてて

読んだ人をヒトを気持ちよくさせておいて

なんで最後に

火桶の白い灰がきたねーんだよ

となるんでしょうか(・・?

お茶目なの?

それとも さっさと片付けろっていってるの?


まぁ それはそれで 完璧すぎるより

面白いので

今でいうオチ? 

そんなものを狙っていたのなら

清少納言さんって ホントにスゴイ女性だなぁ

と感嘆せずにはいられません

とはいえ 雪が降るのはだいたい1月から2月

この時代の春と重なります

でも 彼女をはじめ、

やっぱり 「寒い」のが「冬」

冬は特に特に

カレンダーじゃないんです

寒けりゃあ 冬なんです

これは現代も共通認識・・


とまあ

勝手すぎる自己中解釈を長々と朝から

繰り広げてしまいました

ワタクシ学者ではないので(え?わかってる?)

全部 本気にしないでくださいね

でも、古文は昔から意外と好きです

しかも こんな感じに読むのが好き

読み手の気持ちと違う解釈でも

読んだ側が どう受け取り 

大幅に、多少勘違いに想像を広げようとも

何かがひらめく 思う 考える

この年齢になると 

こういう読み方は若い頃と違って

ボケ防止に一番のクスリになるハズです・・

 👆え・・そこ?


 



 







 

 

 


 


 



ワタシの歯科治療

2018年02月06日 09時35分50秒 | 

 

 

 

一昨日 ほんの数分間ですが 空が金色に燃え上がっていました

反対側のお山をみてみたら

見事に赤く染まっていました

白と赤のコントラストは

イタリアとか地中海付近の街並みのようで

しばし自分が日本にいることを忘れるような そんな瞬間でした(*'▽')

光線の加減で いつもの景色が全く変わって見えるから 

光ってスゴイですよね

この前の月もそうでした

まるで別物に見えましたよね(>_<)

各地の素晴らしい景色を拝みたい・・と

キレイなポスターなんて見てしまうと

もー 行きたい!! 観たい! 絶対行く~

とテンション上がりますけど

ポスターの通りの景色を観れることなんて

確率的には一桁台・・・

行けば観れると安易に思ったらダメでございます・・・

げんに 上の写真をプロのカメラマンに撮ってもらって

(電線とかもない場所で)

「異国情緒の町・ヨコハマ」

なんて感じのポスター貼りだしたら

意外とここまで人が押し寄せてくるかもしれません

だいたい

素晴らしい絶景宿とか観光地とか

まず時期設定でつまづきますし

それに桜だの紅葉だの雪景色だの

満開も紅葉見頃も雪も 1年で数日しかないわけですから

さらに一番のネックは やっぱり天候ですよね・・

沖縄の海だって お日様が出てなきゃ あそこまで

青くなりませんし・・・

遠くまでわざわざ行かなくとも

条件が重なるタイミングを見逃さないように

ちょくちょく意識していれば

自分の住む場所でも

ステキな景色を見つける事は

案外出来るものかもしれません

特に 今の時期は 空がかなり澄んでいるので

夜明けの空は見事なコントラストです

是非 早起きして観てみましょう


話変わって・・・

ただいま ワタクシ 

噛める歯が3本無い状態です・・・

歯抜けババアと化しています・・・

若気の至りで虫歯だらけにしてしまったお口の中・・

それに加えて ドブネズミ色の着色歯へのコンプレックスで

前歯は漂白の為に全部神経を抜いたので

虫歯で神経抜いた奥歯と併せて

上の歯は ほとんどが神経のない失活歯です

こんな状態で ほぼ30年

生きてきました(--〆)

この状態は ハッキリ言って 

かなりヤバい状態です

でも、もうこれ以上悪くするわけにはいかないので

この状態をキープ出来れば 

それ以上は もう望みません(/ω\)しくしく

若い頃は総入れ歯になりたい(白い歯になるなら)とまで

思ったワタクシも

今では 真っ黒でもいいから自分の歯でいたい・・・

と、切に願っている毎日です

とはいえ・・・

削るほどの虫歯にしてしまった自分が一番悪いのですが

削った後の歯のその後の運命は

先生の腕次第といったところが少なくありません

これは 事実です

歯科治療って、地味ですが

実はものすごく細かくて職人技の仕事だと思います

そんでもって スゴ技を持つ先生ほど変人の傾向が高い

妥協を許さず完璧を追究するあまり

患者さんの気持ちは二の次となり 

延々とチマチマチマチマ 少し削っては 穴のあくほど眺め

また少し削っては 形成箇所をしげしげと見つめる・・・

口を開けてるほうはたまりません

納得いくまで 

「口を開けて!」「動かさないで!」「ベロを向こうに!」

顎ガクガクです・・・

それから 1本の歯に対する治療回数も長い・・・

客観的に見ると

こんなに時間がかかるなんて・・ヘタなの?

と先生の腕を疑いたくなってしまいますが

確かに、不器用で遅い先生もおります

でも歯の治療って 本当は

それくらい難しいものなのだと思います

これだけ治療を受けてきたワタクシが言うので

間違いありません

ワタシは左の上の第一大臼歯を一番早く虫歯にしてしまいました

小学校6年生の時でした

当時主流のアマルガムという水銀をつめてもらったのが1回目の治療

次にこの歯がむし歯になったのは中3の時でした

この時は虫歯が広がって 寸でのところで神経が残ったものの

銀歯になりました

そして高2の時、この歯が再び疼きだしました

歯医者に行くと レントゲンを撮られましたが

「銀歯がかぶさってる部分は透けてしまって見えない」

といわれました

・・・じゃあ なんでレントゲン撮るの(・・?

という疑問が沸きましたが

そのまま 何もしてもらえず帰宅すると その2日後

熱いものまでしみるという とんでもない激痛に襲われ

泣きながら夜を明かし

翌日歯医者さんに駆け込んで 銀歯を外してもらうと

すぐに神経を抜く処置になりました

生まれて初めて神経を抜いたのがこの歯でした

その次に この歯が疼いたのは

20歳の時でした

いきなり夜にズンズンズンズン・・と とんでもない痛みが

脳天を突いてきました

それはもう 信じられない痛みでした

翌日 またも歯医者を探して駆け込むと

歯の根っこに病巣が出来ていて この膿みが

出るに出れなくて内圧が上がったせいと言われました

この痛みは もー ホントに どーにもならないくらい痛いです!

でも・・ これって

そうならないように ワタシが日頃から気をつけることはナニ(・・?

根っこなんて どうやってケアするの?

歯ブラシ行き届きませんよ・・(/ω\)しくしく

神経の治療をし直してもらい また銀歯をかぶせてもらえました

次に再び 根っこに病巣が出来たのが

その1年半後でした

とんでもない激痛が、またも再び・・

17歳から21歳までの間に これだけ

ワタシは左上の第一大臼歯に苦しめられたのです!!

この時に たまたま治療してくれた先生が

恐ろしく器用な先生で

「きっちり根の治療をしたら病巣なんて出来ないから」

とおっしゃった通り

その後、この歯に病巣が出来る事は二度とありませんでした

先生が奇跡の治療を施してくれたこの歯でしたが・・

10年ほどすると被せた銀歯の隙間から歯の根に向かって

虫歯が進行し ボロッと銀歯が外れてしまいました

またも歯医者さんを探して駆け込むと

先生は 

「歯茎の下まで虫歯になってるから半年も持ちませんよ」

の一言で あとは延々と前歯の治療を勧めてきました

「前歯の神経ないから差し歯にしないと困るんだよね

 これ、欠けてくるし折れたら抜歯だし」と

コワいことばかり・・ 自費の差し歯にしろと迫ってきます

コワくなったワタシは、昔、歯の漂白でお世話になった

大学病院のK先生のもとへ泣きつきに行った・・という話は

前にも書いていますが

この時、先生にたくさん慰めてもらい、

左上の第一大臼歯の治療をするために

違う科の先生を紹介してもらいました

紹介して頂いた補綴科のQ先生は

実験的に矯正装置で歯の根っこをすこし引き上げてみようか

と提案してくれました

しかも実験なので無料でやってくれるということ!

「お願いします」と即答しました

そしてワタシは矯正装置まで付ける経験もしました

歯は、たいして引きあがりませんでしたが

それでも抜かずに銀歯をかぶせる事が出来ました

半年持たないと匙を投げられた歯でしたが

ここからさらに10年近く持ちました

その後、またも被せモノの隙間から虫歯が広がり

心配したK先生が 

「今のうちに ここだけ詰めるか 思い切って銀歯を外して

 少しでもやり直すか した方がいいかもしれない」と

また違う先生を紹介してくれました

紹介されたP先生は

「え・・これ治すんですか(・・?」と仰天してましたが

尊敬するK先生の頼みは断れないとばかりに

「これ治せって言われても・・・」といいながら

(カルテにC4と書いてありました

ギリギリのところまで削って被せてくれました

ムリを引き受けてくれたP先生のおかげで

ここから5年以上この歯で過ごせました

そして・・・ ついに歯の根っこが折れてしまったのが

去年のことです

これはヤバいかも・・と思いながらも 

今度こそ抜歯・・と思うと 歯医者に行くのが恐ろしくて

半年くらい我慢していると

なんと!折れた側の歯槽骨が溶けてしまい 

歯槽膿漏のような歯茎になってしまいました

見えない場所なので我慢しすぎました・・・

ちょっと恐ろしい感触に ついに意を決して

合わせ鏡で観てみると

ギャ~~・・・

観念して大学病院に行くと さすがのK先生も

「抜歯しかないな・・」の一言のみでした

ちーん・・・

とうとう・・とうとう抜歯・・・

その恐怖・・わかります?

これだけ 往生際悪くあがいてきたこの第一大臼歯と

ついにお別れです・・・・

考えてみれば ワタシももうアラフィフ・・

20歳前に あんな状態にしてしまったこの歯が

このトシまで持つなんて奇跡以外の何物でもありません

それでも・・ 出来れば抜きたくなーい(*ノωノ)

また、第一大臼歯ってデカいんですよ・・これが

この歯1本抜いただけで まー噛めない噛めない・・

さてさて・・ 抜いた歯をそのままにはしておけないので

どうするか・・K先生も 抜歯してくれた先生も

「歯茎が下がっちゃってるから 

 しばらくは入れ歯でもいれるんだね」

と言いました

ワタシもブリッジにするよりは入れ歯の方がいいかな~と

思っていました

これ以上 むやみやたらと歯を削りたくないので・・

ブリッジにして前後の歯にダメージが来たら

左上は総崩れになってしまうので

それは避けたい

すると処置を任されたP先生が 

「インプラントはどうですか?」と、思わぬ提案をしてきました

インプラント・・・ 歯を骨に埋め込むってヤツです

1本、50万円くらいするのですが 

成功率は100%とは決して言わない 

成功したら10年くらいは持ちます みたいな感じ・・・

ずっーーと この歯に苦しめられてきました

もしインプラントが成功して なんでも噛めたら

こんな幸せはありません・・・

でも50万(・・?   埋め込む(・・?

怖すぎる・・・・

しかも うまくつかなかったら50万円パー(・・?

さらに我慢しすぎたせいで 内側の骨が溶けているので

この部分に骨を盛って足すとか なんとか・・

聞くだけでも卒倒しそうな内容・・・

とりあえず CTだけでも撮りましょう と促され

2万円もするCTを撮らされた時には

「写真だけで2万円・・・ てか2万円しないって言われたのに

 消費税で2万を軽く超えるって・・・じゃあ50万の消費税って

 いくらなの?・・・」👈4万円です!!

でもCTまで撮っちゃって いまさらなんて言って断ろう・・・

なんて悶々として迎えた次の診察日・・・

CT画像をもとに あらゆるシュミレーションの説明を受けました

CTって全部の歯が いろんな角度から それは見事に

立体的に360度見回すことが出来るんです

「素晴らしい機能ですね!」

と、感嘆してしまったワタシへのサービスなのか

先生は

「そうなんですよ。マウスをこう動かすとね」と

いろんな方向に全部の歯を1つずつ見せてくれました

その中で・・

「ん(・・?」 目を疑うような画像が チラッと・・・

心臓がバキュンッ・・と何かに撃ち抜かれたような

イヤな予感が・・

先生は構わずマウスを動かします

「ん(・・?」またも 目を疑うような画像が チラッと・・・

気付いているのに 受容できない・・・・

「・・・・・」

すると先生が サラッと 実にサラッと

「ああ、この歯には病巣がありますよ」

やっぱりそうですか!!

「こっちもですね」

犬歯の隣りの歯(第一小臼歯)が左右両方

見覚えのある病巣がくっきりと・・・・

CT画像を撮る前にとった普通の大きなレントゲン写真では

見えなかった病巣が くっきりと写っているではありませんか!!

「でも、これコアが深く入りすぎてるから抜歯かもしれません

他人事のように サラッと言うではありませんか

いや・・他人事ですよ 確かに他人事ですけれども!(--〆)

犬歯の両隣が抜歯(・・?

全然受容出来ない! 青天の霹靂とは まさにこのことです!!

完全にインプラントなんて頭から吹っ飛びました

先生が

「インプラントどうします?」

と静かに聞いてきましたが

ワタシの頭の中はそれどころではありません

そんなことより 犬歯の両隣 ここまで抜歯になったら

もう生きていけないっ!( ゚Д゚)

とにかく とにかく 何も考えられない状態で

「ここは入れ歯でいいです・・でも犬歯の隣りが無くなったら

 ここは入れ歯じゃイヤですっ 先生~オヨヨヨヨ~

先生は とりあえず 

「分かりました。 ここは入れ歯で 

 次回は入れ歯の型採りと

  平行して犬歯の隣りを外していきましょう」とのことで

その日の診療は終わりました

かくして昨日・・・ 

大学病院に行ってきました

とりあえず 右よりは外せそうな左上の小臼歯を外すということで

ワタシの心臓はガクブルガクブル・・・

「先生信じてます」

祈るしかありません・・・

てこの原理でも使っているのかしら?と思ったわりには

ものすごい力でギギーッと被せモノを外してきます

「折れちゃう 折れちゃう 前歯まで折れちゃう・・」

そんな不安に駆られながらも 

見事、被せモノを全部外すことに成功しました

「外せましたので」

「先生! ありがとうございます!」

「でも こっちの歯は頬っぺた側が、うすく残っていたので

 そのまま残しておきましたけど ここで固いの噛んで

 割れたら抜歯になっちゃうので気をつけてくださいね」

 と、サラッと爆弾発言・・(--〆)

「は・・はい・・・気をつけます」といって帰ろうとした矢先

「反対側も外しちゃいましょうか」

「え」 心の準備が・・

心の準備が出来ていませんけど!!先生!

とのワタシの訴えは いともスルーで

先生は ついでとばかりに

「リムーバー持ってきて」と、助手の学生に

てきぱきと指示・・

ひっえ~・・・・・

先生・・・(>_<) 先生の歯は 

きっと全部が健全歯なんでしょうね・・

ワタシの気持ちなんて 

分かってもらえないのね・・(/ω\)しくしく

「じゃ、いきますよ~」

淡々と キュイーン。。。と削りはじめました・・

実は この歯 5万円もする自費がかぶさっていたんです!

銀歯が目立つ場所なので 1本でいいから白くなりたいと

無い袖を振り絞って ダンナ様にナイショで

5万円で入れた唯一の自費の被せモノ・・・

とても気に入っていた唯一のちょっとだけ白い歯・・・

それを容赦なく キュイーンっと破壊していくP先生・・・

まさか今日外すなんて夢にも思っていなかったので

お別れの覚悟もしていなかった5万円の歯・・

でも そんなこと言ってられません!

抜歯になるかならないか・・・ 

ワタシはただただ祈るだけ・・・

そして またも

ものすごい力でギギーッと被せモノを外してきます

本日2回目の

「折れちゃう 折れちゃう 前歯まで折れちゃう・・

しばらくして

「よし! 折れずに外せましたよ」

汗がドッと・・流れました 

「先生・・・ ありがとうございます・・・」

精神的にも 肉体的にも疲労困憊のワタシは

もう・・これ言うだけが精いっぱいでした・・・

とにもかくにも 折れずに外せた小臼歯

これでバンザーイ!

とはいきません

やっと第一段階クリア と行ったところです

病巣が どこまで取り除けるか 

きちんと根の処理が出来るのか

そして根は最後まで持つのか・・・(--〆)

まだまだ問題山積です

でも なにはともあれ 良かった良かった

ホントに先生ありがとーです

心の重荷が 少しだけ軽くなりました

とはいえ・・・

犬歯の隣りなだけに 

この空間が ものすごく目立つのもまた事実

左は まだ少し歯が残っていますが それだけに危険!だし

ワタシは前歯の神経がないので

普段から

前歯では あまり噛まないように心掛けている分

犬歯の隣りで噛み切っているだけに 

ここで噛めない しかも両側噛めない

ついでに左の奥歯も噛めない

もー どこで噛めっていうの・・・

両方いっぺんに外しちゃうってのが

生活する事を考慮したら

けっこうムリ目だったのでは・・・

大学病院だから予約のインターバルが

長い長い・・・

今年1年は通うことになりそうな予感です・・

 






 

 








 


 




 





 











 




 


童話が大好きだったワタシ

2018年02月04日 13時02分14秒 | 思い出話

         👆ランドマークタワーです(*'▽')

こーやってみると やっぱり すごい建物だなーと 改めて実感

桜木町が こんな観光地になるなんて 

中高生の頃のワタシは思いもしませんでした

だって 海だったんだもん・・・このへんぜーんぶ(/・ω・)/

横浜の観光地といえば 関内から山下公園 氷川丸 マリンタワーに

中華街・元町から外人墓地へと続く山・・ ついでに三渓園 

そんな感じでしたけど

桜木町の景色、夜景は特に キレイだな~ と

いつも見惚れてしまいます

「みなとみらい」 この名にふさわしい景観ですね

その反面

山下公園方面が だいぶ廃れた感が否めませんが

あっちはあっちで 

昔からの異国情緒の風情を まだまだ 

そこはかとなく残しつつあるので

自分の中の「横浜」観光のオススメは

圧倒的に 関内方面かなぁ・・と思います(*'▽')

昔からの造りの県庁とか 銀行とか 会館とか

よく見て歩くと ちょっと面白いですよね

山下公園の通りは 外国の物語に出てくるような

異国チックなお店が軒を連ねていて 

子供のころは そこを歩くだけで

ワクワクしたものですけど・・

異国チックといえば

ワタシは子供の頃、童話が大好きでした

日本昔話も好きですけど

やっぱり外国の童話がなにより好きでした

でも父が へんな教養本ばかりワタシに読ませようとするので

童話は あまり読ませてもらえませんでした

それでも学校の図書室とかで 

童話を読んでは思いっきり空想の世界に浸るのが

最高の幸せな時間でした


1つ1つのお話が すごく短いけれど 

その短さの中に 教えがギュっとつまっている

その素晴らしさに感動したのは 

なんといっても 「イソップ童話」です

どのお話も

ことわざみたいに 教訓が きちんと組み込まれていて

1つのお話を読み終わるごとに「ハッ」とさせられる

子供ながらに この作者はスゴイ・・天才だわ!と

どれだけ思ったかしれません 

過去から未来まで語り継ぐべき童話の筆頭

子供には絶対に読ませたい

教科書以上に大事な書物だと思います


異空間の出来事みたいなSFチックさを感じたのは

「グリム童話」でした

グリム童話は

ディズニーアニメにも何作か起用されていますけど

元祖SFファンタジーなんではないかと思います

ありえない話だけど夢がある 

女の子なら この世界

絶対好きなんじゃないかな~

て、いう感じがします

 

そして アンデルセン童話

アンデルセン童話は 

この童話をもとにして作られた

手塚治虫のアニメがありました

ワタシの中では そのイメージが物凄く強いです

アニメの世界観が

それはもうワタシのイメージぴったり

なおかつ 進行係の妖精をだしてくることで

知らない国を一緒に覗いてるみたいな

不思議な気持ちにさせられる演出で

キャラも可愛いし 出てくる街並みとか服装とか

全てが自分の思い描く世界と違和感なし!

お話は かなりデフォルメされていましたが

大好きなアニメの一つでした


童話って

子供用に お話を分かりやすく書かれれているものが

ほとんどですが

童話が好きすぎるあまり

作者が書いた文章そのままのものが 

とても読んでみたくなってしまいました

とくにアンデルセン童話を 

もっと深く読んでみたい

そんな気持ちになったのは

小学4年生の時でした

ワタシは勇気をふりしぼって父に頼みました

「お父さん・・アンデルセン童話を買ってほしいの

すると父は

「童話なんて もう読む年齢じゃあないだろう」

「でも 読みたいの どうしても」

懇願するワタシをよそに

本居宣長はどうだ?偉い人なんだぞ」

と、童話とは ほど遠いちょんまげの

武士なんだか学者なんだかよくわからない人の

本を勧めてきました

「・・・・・」

当時、伝記モノに凝っていた父は

福沢諭吉とか 野口英世とか 二宮金次郎とか・・

そんなものばかりワタシに勧めていました

しかも かなりマニアックな男性モノばかりで 

唯一の女性モノといえば

キュリ―婦人くらい・・・(--〆)

偉人の生き方に学べ 

言いたいことは分かります・・

でも 当時のワタシは空想癖が旺盛な女の子

伝記モノは ワタシの空想が全く広がらない分野そのもので

人の一生なんか読んで何が楽しいの? と思っていました

伝記モノばかりが本棚の場所を埋めていく中で

ワタシは来る日も来る日も 

「アンデルセン」「アンデルセン」と父にせがみまくりました

すると 根負けした父が ある日 

一冊の本を手に持って帰ってきました

「はい」

「え?」

手渡された本は

「アンデルセン」でした

きゃー

まさか父が買ってくれるとは思っていなかったので

ワタシは 天にも昇る気持ちで本を抱きしめ

「おとうさん!ありがとう!!

 本当にうれしい!!」

と 心からお礼を言いました

あの時ばかりは 父が とってもいい人に見えました


心躍らせながら さっそく目次をめくりました

アンデルセン童話の中の どんな話が収録されているのかしら・・

ワタシの知らない童話はあるかしら・・・

この本を枕元に置いて今日は眠ろう

そうしたら今日の夢はアンデルセン童話かもしれない

早くも頭の中は空想でいっぱいです

目次には ワタシの知らない題名が連なっていました

「なになに・・・靴屋のハンス?合唱隊の夢?」

どんな話なのかしら・・・

早速本編を読み進めると

貧しい靴屋に生まれたハンスは 歌が大好きな少年で・・・

でも 歌手にはなれなくて 深い絶望と悲しみに打ちひしがれて・・

なにやら暗ーいお話が1冊まるまる続いていました・・・

こ・・・これは・・・

これは・・

アンデルセン本人の

  伝記ではないですか・・


おとーさん・・・

どれだけワタシに伝記を読ませたいの・・

(/ω\)しくしく・・


もちろん父は 伝記を買ってきたつもりはなく

ワタシの望む童話を買ってきた気になっていました

「どうだ?面白いか?あんなに欲しがってたんだからな」

と、ニコニコ顔でワタシに言い寄ってくるので

「違う」とも言えず

「う・・・うん・・」と 

ツラすぎる返事をするしかありませんでした

なんで伝記・・?

 アンデルセン

これ・・

伝記を探す方が

よっぽど難しいと

思うんですけど・・

苦すぎる思い出です・・・