どうも、混乱している。
ずばり、書いてしまえば
ウガヤフキアエズ王朝が・・・
いや、ウエツフミが、
【オオケツ王朝】【出雲王朝】をゆがめて書いている。
と、思えて仕方がない。
おそらく、出雲王朝というのは、あったと思う。
ーこれが、また、見つからないのだが、何人もの天皇の名前/本名?/その時の出来事とか・・かきつらねて、
年表にしているブログがあったのだが・・・
その天皇の名前が素戔嗚7世とか、かなり、素戔嗚の世があったと思う。
正直、これは、「妄想」「狂ってる?」みたいに思えて
避けた覚えがある。
が、それが、出雲王朝であったなら、
かなりの年月続いたと思える。ー
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八坂神社と祇園社と素戔嗚と・・・
当社は慶応4年(1868)5月30日付の神衹官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるというとは、書いているが・・・
八坂神社
弥栄、彌榮(いやさか、いやさかえ、やさかえ、やさか、やえい)とは、主に一層、栄えるという意味の単語。また、「万歳」に意味が近く、めでたい意味で使われることもある
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秦氏は、応神14年(283年)百済(朝鮮半島)から日本に帰化した弓月君(融通王)が祖とされる渡来系の豪族ですが、その秦氏は東アジアに景教(古代キリスト教のネストリウス派)徒のユダヤ人の末裔という説があるのです。
その説が元で、祇園祭がイスラエル(ユダヤ)との関連性があるでは…
という説が生まれたのでした。
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日本人のDNAをめぐって、もう一つ、意外性のある分析結果がある。
数年前、島根県の出雲地方出身者でつくる「東京いずもふるさと会」から国立遺伝学研究所にDNAの調査依頼があり、斎藤教授の研究室が担当した。21人から血液を採取してDNAを抽出、データ解析した。その結果、関東地方の人たちのほうが出雲地方の人たちよりも大陸の人びとに遺伝的に近く、出雲地方の人たちは東北地方の人たちと似ていることがわかった。
「衝撃的な結果でした。出雲の人たちと東北の人たちが、遺伝的に少し似ていたのです。すぐに、東北弁とよく似た出雲方言が事件解明のカギを握る松本清張の小説『砂の器』を思い出しました。DNAでも、出雲と東北の類似がある可能性が出てきた。昔から中央軸(九州北部から山陽、近畿、東海、関東を結ぶ地域)に人が集まり、それに沿って人が動いている。日本列島人の中にも周辺と中央があるのは否定できない」と指摘。出雲も東北地方も同じ周辺部であり、斎藤教授は「うちなる二重構造」と呼んで、注目している。その後、新たに45人の出雲地方人のDNAを調べたが、ほぼ同じ結果が得られたという。
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秦氏は、応神14年(283年)百済(朝鮮半島)から日本に帰化した弓月君(融通王)が祖とされる渡来系の豪族ですが、その秦氏は東アジアに景教(古代キリスト教のネストリウス派)徒のユダヤ人の末裔という説があるのです
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どうも、秦氏にたいして、と、いうより、
日ユ同祖論に否定的にみえるのだけど・・・
先の記事で言えば
日祖ユ孫論みたいなところが本当の気がする。
逆に言えば、日本こそが世界の中心、大元だと思いたい代理がいるせいかもしれない。
秦氏が掲げた・信奉したのが素戔嗚で
海部氏が掲げ・信奉したのが饒速日・豊受(うかのみたま)=籠神社
物部氏が、よくわからないのだけど・・・饒速日と思うが大物主のほうだろう。
全部がヘブライ人(失われた12支族)ルーツだとは思わないが
とにかく、祭祀にかかわるのは、
ヘブライ人の特技というか、キリスト教徒もそうだし・・・
いまだに、もめてるしww
日本を目指したのも、神託・預言によると思うと
とにかく、なにか、神様をもちあげておかないと暮らせない民族と思う。
元々、日本人(縄文人?)は、
良いも悪い一人の神様の両面とおもってるし
問題は自分の取りよう。
そんな感じもする。
なので、各部族、工夫をこらして、あちこちの神様に引っ付きまわってしまうのだろうけど
(ヨシュア(予言者/イエス)を与佐宮に隠したり)
八坂神社もそうだろうし・・
伊雑宮にイザヤ(預言者)を隠して、これが、素戔嗚
天照をイエスにしたててみたり
まあ、なんといっていいか、現代の何かあるとは政治が悪いといってる「よりかかり思想」と変わらない気がする。
そういう見方があるせいかもしれない。
なんとか王朝、こうとか王朝のバックグラウンドがなべて、12支族・キリスト(ヨシュア)(ユダヤ人であるわけだし)教徒
のせめぎあいにみえてしまい、
天皇をたててるのか、自分らの神様をいれこむことにがんばってるのか、
天皇のルーツにあるものをみいだして、天皇にかたいれしてるのか、
ーあなた動機が不純なんだわー(ロックンロール・ウィドウ)って、気がしてくる。
なんだろう。
国民が豊かにくらしていける。国民に安泰があってこそ、国が成り立っていく。
その思い・祈りをもつのが天皇であり、
その補佐をしたいと思ったのだろうとは思うけど・・
なんだか、権力・勢力争いのどろどろ・・・ばかり見えてくる。
だれが、どうであろうが、かまわない。
変に日本を属国扱いしたがる中国や朝鮮あたりが入り込んでなけりゃ良い。
ー北海道の事件はしっておられるだろうー
それを思うと、崇神天皇の件りで、
あ、これは、秦氏は、大丈夫とか、
魏志倭人伝の邪馬台国も・・・代理なりにそうかもしれないと思えたらすっきりした。
日本人の特徴というと、
1神教じゃないところだろう。
他の国(多くは)他教を信じると裏切り者になってしまうが
日本は、キリスト?あ、八百万神の中にはいる?いらっしゃ~~い。なんて具合に入れ込んでしまう。
では、天皇というのが、1神教になるかというと、ならない。
(他の国にはそう見えるのだろうと思う)
しいていえば、国民の父みたいな・・
無償の愛というと、逆に安っぽくなってしまうけど
国民のひな型といっていいか。
どんなふうに生きていけばよいか、見本というか手本というか
神秘や奇跡など起こさなくても、その無私の姿と思いが
国民のよりどころになる。
だから、しらべまくってみりゃ、天皇をかつぎだしては、
権力あらそいをしている・・と、いうのが、
歴史であるのなら、
こんなつまらない話はない。
*******小野田寛郎さんのルーツから判明した海部氏の正体 - ウガヤフキアエズ王朝実在論 (jimdofree.com)
◆小野田家の家紋は「丸に三つ鱗」で、祖母山から出た豊後大神氏と同じ。
豊後大神氏は宇佐神宮の宮司を務め、ルーツに「修験サエキ」を持つので、小野田家と豊後大神家は同族である。
⇒「豊後大神氏」とは、祖母山から発祥した大蛇の子孫を自称する一族で、源平時代には緒方三郎惟栄がここから出たと『平家物語 緒環』にもある。
【参考】http://www.coara.or.jp/~shuya/saburou/heikemonogatari/sono05/heike05.htm
⇒その家紋「三つ鱗」は、明らかにピラミッドの三つ重ねであり、落合先生の説く「彼らはエジプト文明の継承者である」という説と一致する。
もしも、海部氏こそ「修験サエキ」であり、エジプト文明の継承者であるとするならば、なぜ彼らは「自ら大王になる」ことを選択しなかったのでしょうか?
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代理の記憶が怪しいのだけど
天皇家の神道(裏?)は、さえき神道ではなかっただろうか。
読んだ記事は、30年前くらいか・・・
第二次世界大戦中、ヒットラーを呪詛し、封じ込めるため
天皇家で?
何人もサエキ神道の修験者(なんというのだろう?神主でもないし、巫?)を集めて
祈り続けたという。
その甲斐あってか?ヒットラーは最後に自殺したということらしいが(生存説もある)
これは、ひとつには、
ユダヤ人を護ろうとしたのかもしれない。
日祖ユ孫論みたいなものが、天皇家のなかにあるのかもしれない。
その時に寄せられていた記事が
ー天皇家が、何よりも先に欠かさず行うことが
素戔嗚への礼拝(と、いうのか?参拝でもないし・・)であるー
と、むろん、真偽は判らない。
なぜ、こんなことが本になって出版されていたのか
そんなことを一般にもらしてよいことだったのだろうか?
と、いう疑問があった。
天皇家の古神道にのっとっての儀式・行事というのは、いまだに、表になっていることしかわからない。
それも、古神道にのっとっているのか、天皇家に伝わる天皇道?によるものなのかどうかも判らないことばかりだけど。
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