Lotustyle trust yourself

〜内にあるエネルギーを解放して自分の道を進んでいこう〜

こころのじゆう

2013年02月27日 | スピリチュアル

心身ともに、拘束、縛り、足枷がなく、誰かにコントロールされてもなく、

抑圧や既成概念にとらわれていない。

この状態で豊かな発想とともに、本心からそうしたいと思いとる行動が「自由」。

簡単に言うとこういうことかな。

 

ボクは型にはまりやすい性質を持っているから、

しがらみや序列がハッキリしていると この「自由」を規制してしまうので、

関わりはもっても属さないようにしています。

 

「自由」

 

でも、これをはき違えているのはよく見かけますよね。

自分だって若い頃は「好き勝手に 何をしてもいい」と都合のいいように解釈していました。

 

自分の道は自分で決めてきたし、

今だから「あの時もっとこうできたな」と思う事があるけど後悔はありません。

その時々の自分なりに責任を感じながら自由にやってきた。

そんな感想です。

 

「自由と責任」

 

これは対になっていると思います。

「自由」であることはとても大切ですが、

「自由」を主張するならば「責任」をまとうことが必須。

 

数年前、私はいきなり中学生の娘の親になりましたが、

もし、自分の自由を奪われんとするがために、娘に関するすべてを放棄してはあまりにも無責任ですよね。

 

他にたとえば、

お腹がすいたから好きなものを食べた。

好きなものはジャンクフードで喰い散らかしたあとのことは知りません。

これじゃ、家族がいればみんなに対して、自分の体に対しても気遣いがなく身勝手です。

 

「責任」

 

ではこれはなんでしょう?

どうすればいいのでしょう。

 

今日はあえて、疑問を投げかけるかたちで終わりにしちゃいます。